2006年8月週刊東亜 548号

 [うん, この味が!|おいしい食堂を探す要領]
2006.08.15 548 号 (p 75 〜 75)

[うん, この味が!|おいしい食堂を探す要領]

放送された店, 規模の大きい店 ‘とりあえず バシッ’!

ファン・キョイク 味 コラムニスト・パルヘ農園 代表 ceo@bohaifarm.com

既存の市場の食堂街などで特色ある郷土飲食店を見つける確率が比較的高い.

一般人が美味しい店を探す方法はたいてい似ている. 新聞や放送を通し, またはインターネットを検索して探す.
しかし、味コラムニストはこういう方法では生き残れない. 他人がしたことを二番煎じするために味コラムニストがあるのではないのだ.
初めての土地にヘディングをしなければならない.
さあ、私のヘディング法だ.
まず、現地人に尋ねろ.
ある地域で食堂に関する情報を誰が最も多く知っているだろうか.
当然、飲食業中央会のような団体の支部が最初だろう.
しかし、支部が地域ごとにあるわけでもなく, ともすると地域事業主と深い関連がある場合には正確な情報が分からない.
その次の手としては、地方自治体の衛生課職員だ(文化公報室職員も情報量が多いが, 飲食業者管理は衛生課でするので、より具体的な情報を得ることができる). 公務員の態度は以前とは違って非常に親切だ.
こういう質問が最も効果的だ.
“衛生課の職員はどの食堂でご飯を食べるんですか?”
休日で官公署が休みなら、市場通の大きい店の主人に聞くことのも要領だ.
尋ねる時は必ずこういう風にしなければならない.
“新聞や放送に出た所ではなく, この近所の人々がよく行く所を教えて下さい.”

次に, 小さな食堂であるほど料理の味が良い.
私たちの国の人々はとても妙だ. 食堂が大きければ料理の味もより良いと思っている.
私が暮らしているイルサン新都市では食堂の規模競争がまさに苛烈だ. 数百億規模の食堂もある.
ところが、そこでなにを扱っているかといえば, ソルロンタンと安物の刺身, 近所配達専門食堂水準の中華屋だ.
主人の話はこうだ.
“なにかがあるように見えてこそお客さんがくる.” 本当に お客さんは笑ってしまう程多い.
いったい食堂を食べに来たのか, 料理を食べに来たのか.
ある料理人に“一晩で料理人一名が受けることができるお客さんの数は何名が適当か”と尋ねたことがある.
最善を尽くして料理を出すことができるお客さんの数を訊いたものだ.
日本食でも洋食でも韓食でも、同じく“2テーブル, つまり8名程度”ということだった.
あらかじめ作っておいた料理を工場で加工するかのようにして出す料理, 大型食堂の大部分がそうだ.
料理する人の気運を感じることができる料理が本当においしい料理で, このような料理は規模が小さいほど味わうことができる機会が多い.

三つ目, 自分は優秀だと騒ぐ食堂は避けなさい.
言論媒体が選定したおいしい店, 放送出演などという文章をべったり貼り付けた店はとりあえず‘バシッ’だ.
もちろん、新聞や放送に紹介された店の中には飛び抜けた手並みを誇る飲食店があることもある.
しかし、不幸にも大部分の食堂は一言で水準以下だ.
新聞と放送関係者も自らおいしい店だと判断して取材をしたことであるので口当りの差だけであると思いたいが, 純粋な取材よりは記事型広告を新聞に掲載した後にこれを利用する飲食店, また、味よりは視聴者の関心を集めるだけの特異な点のために放送されたことをおいしい店に選定されたと広報する飲食店が多い.
料理を本当にきちんとする店は新聞や放送に取り上げられてもこれを知らせない.
経験上, 料理の巧い人々はとても謙虚なのだ.

四つ目, 市場の‘食堂街’を探せ.
我が国の全てのものがそうだが, 料理の味の画一化は深刻な問題だ.
まさに、ソウル中心の画一化なのだ.
慶尚道に行ってもソウルの料理を食べて、全羅道に行ってもソウルの料理を食べるようになる時がほとんどだ.
特に‘模範店舗’のような看板がかかった地方大型食堂の料理は大部分ソウル化されていて、私が今どこでご飯を食べているのか錯覚する程だ.
食堂に関する情報無しでどこかに行くことになったら, 近くの市場を訪れることが最も良い方法だ.
既存の市場ならばどこでも‘食堂街’があり, そこの料理はまだ中央化されていないうまみを出す確率が高い.
特に市場の片隅にある小さな屋台ではその地域でも消えていく郷土料理を発見することもできるので, これが本物の最高の味だ.

五つ目, 文化的味盲から抜け出しなさい.
色を区別できない人を色盲という様に、味を正しく感知できない人を味盲という.
これは生理的異常のためなのであるが, 先天的に料理の味を感じることができないから、哀れなことこのうえない.
ところが‘文化的味盲’もある. 常に食べることだけで食べたとする人々だ.
また、自分の口に合わないとまずい料理だと感じる.
このような文化的味盲のために、地方ごとに食堂ごとに特色あるおいしさが消えていっている.
真の美食店は、ある意味で悪食家のようなことをする. 新しい味に対する挑戦精神がなければおいしい食堂が鼻先にあっても通り過ぎざるをえないからだ.
偶然に通りかかった食堂の看板に‘鶏頭串焼き’のようなメニューがかかっていたら無条件に入っていって食べてみなさい.
これがおいしい店を探す最上の要領だ.

(終わり)