2005.11.22 511 号 [インタビュー]
ナンシー・レン, シンドローム あるいは感覚の女戦士 現代人の夢と葛藤を告白するアーティスト …
“美術作家に最も必要なことはビジネスマインド”
キム・ミンギョン記者
holden@donga.com
ベニス
ビエンナーレ(1993年)でビクトリアシークレットランジェリーを着てバイオリンを持った作家ナンシー・レンに会う約束が夏から晩秋へと何回も延ばされる間,
何名かの作家と美術評論家に会った.
彼らと話をしたが、ナンシー・レンという作家はどう思うか尋ねる機会があった.
彼らは皆似た反応を見せた.
“ナンシー・レン. 最近、最も流行っているスターでしょう. ところが、よく知らないのです.”
乾いたせきから続けて‘よく知らない’と答える美術作家や評論家たちの返答には、なにか抵抗感のようなものがあった.
しかし、彼らは金髪頭にダイアモンド, 内蔵などのがらくた四肢を付けてサイボーグを作ったナンシー・レンの‘タブー妖気’シリーズを知っていた.
また、主にビキニ姿で行なわれたパフォーマンスに対しても、とにかく珍しく思った.
多様な美術界の人々と話しながら‘そのような点でナンシー・レンの場合はどうなのか’と尋ねることになったためだ.
ナンシー・レンは美術界の問題にどんな方法で携わっているかという意味だ.
ナンシー・レンに会う場所は、ソウル江東区オリンピック公園の近く, 彼女が毎日出勤しているサムジー社屋の事務室であった.
ナンシー・レンはそこの事務室で自身の名前を取ったファッションブランド‘ナンシー・レン’のデザイン作業に没頭していた.
作家名を商品ブランド名に取ることは今回が初めてだ.
スポーツウェアのように見えるけれど、シャツはからだの曲線をあらわして、ミニスカートデザインが多い.
服には‘タブー妖気’イメージや彼女がパフォーマンスで叫んでいたスローガン‘キューティ, セクシー, キティ, ナンシー!’がプリントされている.
サンプルとして出てきた服を着て、鏡の前に立ってナンシー・レンは話した.
“‘ナンシー・レン’スタイルでしょう. 自分自身がギャラリーになりますよ.”
作家名商品ブランド使用初めて
実は、ナンシー・レンほど意味を附与しようというどんな試みも効かない作家に会ったことがなかった.
一般的に作家たちは意味附与を好み, ある作家たちは‘意味附与を拒否する作家的行為’の意味を強調するので、ナンシー・レンの場合はちょっと当惑する.
ナンシー・レンは
‘タブー妖気’の顔が西洋児童なのについて西欧文化に対する批判意図なのか、あるいは欲望なのか聞くと、“この方がきれいに見えるから”と答える.
ロボットの胴, ルイヴィトンバッグのコラージュが機械主義や 資本主義を 風刺するかと 質問した.
“いいえ.タブー妖気は果たせなかった夢, 褪色した欲望を成し遂げる神であり, 私達が願う夢ですよ. そこに出てくるがらくたは、私が好きなものです.
わたしの作品には、皆ルイヴィトンバッグが登場します. 他の人たちがシャネルを好きなように、わたしはルイヴィトンが好きなのです.”
‘タブー妖気’ 連作, 混合媒体 2005
彼女のルイヴィトンに‘意味’を附与した人は、飛行機内紙で偶然にナンシー・レンの作品を見たフランソワ・ドゥラジュ ルイヴィトン アジア太平洋社長だ.
その縁で、ナンシー・レンは今年夏、ブニュエル ルイヴィトン オープニング行事で映像ビデオとパフォーマンス作業をした.
招請を受けていないベニスビエンナーレに行ってパフォーマンスをしたことは、ビエンナーレ
パフォーマンスを行う西欧アーティストたちと似た意図だったのだろうか?
“はは. わたしはビエンナーレで作家たちがそのようなパフォーマンスをすることも知しませんでした. 行ってきてから知りました.
2003年ベニスビエンナーレの主題が‘夢と葛藤’であり, その時、バイオリニストになっていない私の夢のために葛藤していました.
参加作家でないので、タイトルを‘招待を受けていない夢と葛藤’としたのです.”
彼女から自己分裂や疎外,
多様な存在の輻輳は見つけることができない.
100%純粋自身の意志が透明にながめるナンシー・レンが存在するだけ, 外から加えられるどんな分析や意味等も、なめらかな表面上から滑り落ちる.
ナンシー・レンはあまりにも軽薄で, 薄っぺらだ. しかし、こんにち人々の頭と胸を刺す‘あるもの’を持っている.
ところが、作家としてそのような才能を利用するというより、それ自体だ.
したがって、ナンシー・レンの作品を分析するよりは‘ナンシー・レンという現状あるいはシンドローム’について語る方が正しいのかもしれない.
‘ナンシー・レン シンドローム’は、米国中心に世界化した資本主義時代に普通人たちが持つ、俗物の夢と葛藤だ.
人々はナンシー・レンに聞くこともせず、彼女が僑胞(海外在住韓国人)3世だとか、最小限かなり長く米国ではない国であっても国外に住んでいたと断定する.
しかし、実はナンシー・レンは米国で生まれ, 国際学校に3年間通ったことを除くと,
弘益大美大と同大学院を卒業して、ほとんどの人生を韓国の土地で送った人だ. それにもかかわらず、彼女は韓国的なことに不慣れなようだ.
ナンシー・レンには、戸籍にあるパク・ヘリョンと合衆国旅券のナンシー・レンという名前二つが‘同等な’価値を持つ.
二つの名前と二つの国籍, 二つの言語が作家的‘拡張性’にとって助けになると信じている.
彼女が‘属している’世の中は、現代美術の中心地であり、名品で満杯なニューヨークの‘フィフスアベニュー’であり、全てのものが豊穰な所だ.
誰かが誰かを搾取することもせず, 他の人を欺く必要がない. 男子たちはジェントルで, 女子たちは愛嬌あふれる.
普通、このような世の中の裏面では腐敗のにおいがして亀裂の隙間が見えるものだが, ナンシー・レンの世界は完全無欠だ.
美しい表面が世界の全体であり、全部であるためだ.
一時はバイオリニストが夢だったナンシー・レンは、“現在の夢は世界的アーティストになって、富と名誉を得ること”だと話す.
“ソウルを現代美術の中心地にしたいのですよ. アーティストが持つ付加価値がどれくらい大きいか、人々はよく知りません.
おかしく聞こえるかもしれないけれど, 私が作家として成功して国家になにかしてみたいのです.”
そして、独り言のように話した.
“資本主義社会で生きるということ,それは、戦闘でしょう.血がたらたらと流れています.”
典型的なアックジョンの金持ちの家の‘お嬢様’だったナンシー・レンは、大学の時に事業家である父が交通事故で亡くなって、お母さんが癌にかかりという様々な不幸を体験していなかったら,
‘タブー妖気’を作ってベニスへ行くこともなく、戦闘で血を流さなくても良かったことだろう.
“あまりに苦労して、酒も飲んで、自殺も考えました.
大学院の時、作業室を借りるお金がなくて絵画を描くことができなくてスケッチブックにアイデアだけを描きました.
それで‘タブー妖気’というパフォーマンスをしたのですよ. そしてベニスに行きました.”
褪色した幼い時期の夢を生かし、もう一つの夢に自ら変身していく半分悪魔であり、半分天使である‘タブー妖気’はナンシー・レンの防御機材だ.
‘タブー妖気’は、アックジョン女子大生の俗物の夢を作家的成功というアイディアに変えて, “おじさん,
わたしを少しは真っ直ぐに見なさい”と叫ぶハラハラした彼女の身体をブランドに変身させる.
彼女のホームページに女子大生と幼い 少女たちがメッセージを残すのは, 多数の‘ナンシー・レン ウォナビ’たちが生きていたということを意味する.
カメラの前で彼女は独特の呼吸法でシャッターの瞬間に微笑を明るく浮かべて, 腰を伸ばして脚が‘長く見えるように’立った. あ,
人よりカメラとより親密な‘人類’なんだ.
ナンシー・レンは、12月14〜25日までソウル仁寺洞サムジーキルギャラリーで個展を開いて,‘ビキニを着た現代美術’という本も編集して出して,
新年初めに直ちに‘ナンシー・レン’2006年 s/s ファッションショーを開く.
“現代美術作品を誰が買いに行きますか? 作家たちに今最も必要なのはビジネスマインドです。
あまりにも当然のことなのに, 違うふりをしていますね.”
インタビューをした日、ナンシー・レンはアジアの作家を扱うニューヨークで発行される‘theme’という雑誌ともう一つのインタビューをした.
作家とセレブリティを合わせたナンシー・レンの存在がアジアの若い女性作家の戦略としてわかるようだった.
愚かな質問をもう一つ試みてみた.
貴方はフェミニズムのアイコンになることを願うんですか?
“フェミニズムを考えたことはないけれど, 韓国で女性として生きていくと、当然差別と憤りを感じますよ. 我が国で最も弱い人々は少女たちですから.
彼女たちの‘大お姉さん’になること, それがもう一つの自分の夢でしょうね.”
(終わり)
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