2002年4月週刊東亜 328号

光州ビエンナーレは休憩所までも‘芸術’

過去の関連記事-ハンギョレ21誌2000年4月304号光州に行けば人間が見える?

第328号/2002.04.04

光州ビエンナーレは休憩所までも‘芸術’

3月29日ファンファーレ … ‘休止’をテーマに、国内外の作家3百余名が想像の翼を広げた
光州ビエンナーレの第1展示場に入っていく時、忘れずに上を一度みつめよう.
展示場入口上には、長い葉を悠々と伸ばして垂れている椰子の樹がある屋上庭園がある.
美術展市場になぜ椰子? 気になることは少しの間置いておいて、樹のそばの椅子に座って、暖かい春の陽差しを楽しんでみてはどうだろうか.
これが、まさにこの‘作品’を作ったベルト・タイスの意図だということだ.

展示場に入ると、もう一つの珍しい風景が広がっている.
中国式カーペットと椅子が置かれている中国喫茶店が片隅に見えるかと思えば, フォルクスワーゲンの車体を逆さにぶら下げてブランコのように揺れる休憩所もある.
広い展示場の所々に作った休憩所は、光州ビエンナーレのとても大きな特徴だ.
‘パビリオン’と呼ばれるこの休憩所は、今回のビエンナーレのテーマである ‘休止’(Pause)の意味と一脈相通する.
観覧客は休憩所と同時に、それ自体が奇抜な設置作品であるパビリオンで、光州ビエンナーレのテーマをもう一度反芻するはずだ.
3月29日に開幕し、6月29日までの3ケ月間開かれる第4回光州ビエンナーレは、どの年よりも不利な条件に置かれている.
選挙熱風が既に光州を巻きこんでいるところに, ビエンナーレ期間中に開かれるワールドカップも好材料として作用するわけではないだろう. しかも、予算まで、3回の11億ウォンから3億7000万ウォンへ3分の2近く削減された. 予算不足でビエンナーレ期間に開く祝祭行事が次々取り消しにもなった.
そのせいか, 開幕を僅か1週間先にした時点だが、光州市内でビエンナーレの祝祭雰囲気はほとんど感じられなかった.


ワールドカップ・選挙が重なり、条件不利

このような状況で、光州ビエンナーレが‘休止’をテーマとしたというのはかなり意味深長だ.
‘休止’とは少しの間停滞するが、まもなく活動を再開するという意味としても受け取れる.
急いで回る‘生の速度戦’から、少しの間でも休息をとってみようという意味としても解釈できる.
パク・マヌ 光州ビエンナーレ展示部長は、“広報などが例年より不十分だった点は認める”ながらも、“展示自体は、世界のどんなビエンナーレにも劣らない高い水準を見せている”と話した.

今回の光州ビエンナーレの一番大きな特徴は、‘休止’という大きなテーマの下に4つのプロジェクトを分けて、そのプロジェクト別に展示内容とスタイルを別にしたという点だ.
ソン・ワンギョン芸術監督は、“プロジェクト別展示で展示内容を明瞭化して、観客の理解を助けるための措置”と説明した.
4つの展示場に231名の国内外作家が参加した最初のプロジェクトは、多様な‘休止’の現状を見せている.
ハム・ジンは軍の協力を得て、梅香里(註:地名.基地がある)から持ってきたミサイルを天井にぶら下げ、ジョン・ヨンドゥの‘若鷹ダンスホール’は、新大方にある実際のダンスホールをそのまま再現した.
日本の作家である小沢剛は、韓国と日本の作家11人が、それぞれサッカーボールで自由に作品を作った‘芸術人のサッカー競技’を披露した.
作家たちの際限ない想像力を鑑賞できる最初のプロジェクトは、事実上今回のビエンナーレのメイン展示であるわけだ.
これに比べて、プロジェクト 2, 3, 4は、それぞれ特別な‘休止’の瞬間を捕捉している.
プロジェクト2は‘離散の地’というテーマで、海外で活動中の韓国作家たちの作品を映像中心に企画した.
‘離散の地’のキュレーターは、在米同胞1.5世であるミン・ヨンスン カリフォルニア州立大学教授.
展示場のデザインを引き受けたロナルド・ストローは入養児出身である韓国系アメリカ人だ.
24人の作家たちの異邦人意識は、作品のあちらこちらに強く現れる.
例を上げると、フランスに居住する作家キム・ジュヨンは、‘高麗人:その悲しい足跡の巡礼−コメの霊魂祭’というパフォーマンスで、7000kmに達した高麗人の強制移住過程を描く.
“‘離散の地’プロジェクトに参加した作家たちは、それぞれ異なる方式で韓国人になっていっている人々です. 同じ米国系列でも、2世と3世の表現方式ははっきりと違います. しかし、彼らは共通的に自身の地でアウトサイダーであることを感じており、その同じ意識は結局作品の特徴として現れています.” ミン・ヨンスン キュレーターは、不慣れな韓国語と英語を混ぜながら、観客が開いた心から‘離散の地’プロジェクトを見てくれるように頼んだ.

一部プロジェクトは光州市内に外出

5・18(註:光州事件.1980年5月18日) 自由公園で開かれるプロジェクト3 ‘執行猶予’は、どちらかといえば、今回のビエンナーレで最も興味深い展示かもしれない.
展示が開かれる場所は、公園内の過去の憲兵隊敷地.
イ・テホ、キム・ヨンス、シン・ハクチョル 等、国内作家49人は内務班と営倉の各部屋を展示場として作品を設置した.

ハン・ゲリュンは営倉の床に塩を敷きつめて、この床をスクリーンとして利用し、各種映像を見せる. 作家は‘歴史の腐敗を塩で漬けるために’塩をばら撒く方式を選んだと説明した.
ジョ・ドクヒョンは、内務班前の空地を掘りおこして、他殺された犬の屍体を発掘する瞬間を描写した作品‘犬の死’を設置した.
公園のまん中にある憲兵隊本部事務室には、イ・ウンノの作品が登場した.
‘執行猶予’の作品は、明確に政治的に見えた.
展示場所として軍憲兵隊を選んだことが、このプロジェクトの意図を語ってくれる.
しかし、5・18抗争をテーマとした過去の展示方式に比べて、‘執行猶予’プロジェクトはだいぶ柔軟で包容力がある方式で過去史を引き込んでいる.

学生動員などの‘バブルを拭い去る元年’

3番目のプロジェクトである‘接続’は、いっそのこと光州市内に出てきた.
このプロジェクトは、南光州市場のそばにある過去の南光州駅舎と廃線敷地を展示場所に選んだ. 駅舎と鉄道周辺に10棟のビニールハウスを作って、その内外で展示が開かれる.
市民が直接石塔を積みあげる‘砕石の考古学’のように、大衆参加作が多いという点が‘接続’プロジェクトの特徴だ.

‘接続’というテーマは、市場と鉄道の接続地点である展示場所を指すと同時に、日常と美術が接する地点を象徴することでもある.
主催側はビエンナーレ館と第3, 4プロジェクトが開かれる 5・18 自由公園, 廃線敷地間を行き来するシャトルバスを運営する計画だ.

4回を経た光州ビエンナーレは、ある程度本来の姿を掴む時期になった.
95年に開いた第1回行事で、何と200万名の観客を動員した光州ビエンナーレが、果して今年の‘休止’以後、どんな姿に変貌することか.
地域言論は思わしくなく、減った予算と市民の無関心, 不足した広報, 不十分な準備状況などを継続糾弾する雰囲気であった.
反面、学生動員などで観覧客数を膨らませる雰囲気だった過去に比べて、今年の光州ビエンナーレはバブルが消えた真の美術祝祭になるはずだという期待が混ざった展望もなくはない.

取材のために光州を訪れた日は、たまたま何十年ぶりに最悪という黄砂が光州市内をすっかり覆い尽くしていた.
ビエンナーレ館があるチュンウェ公園周辺には、光州ビエンナーレの薄緑色の旗が翻っていた. 黄色いホコリの中で、旗はとりわけ無力に見えた. その旗が本来の豪華な色合いを輝かせてはためく光景が見たくなった.
< 光州=ジョン・ウォンギョン記者 > winnie@donga.com

北朝鮮美術展 ハプニング
ビエンナーレ参加論争がにせ物論争に

光州ビエンナーレ行事期間中、光州では北朝鮮作家たちの作品55点を展示する北朝鮮美術展を開く.
展示作は山水画30点と現代美術作家であるソン・クギョンの絵画, 写真25点だ.
光州市立美術館が主管するこの展示会は、ビエンナーレ館と隣接したチュンウェ公園 北朝鮮館で開かれるが、ビエンナーレの本行事ではなく‘後援展’だ.
当初、光州市はビエンナーレの公式行事に北朝鮮美術展を含めることを願っていた.
しかし、ビエンナーレ財団側は‘テーマと関係ない北朝鮮美術品が入ってくれば、ビエンナーレの意図自体が薄れる’と反対した.
その渦中に搬入された作品が本物の北朝鮮美術家の作品なのかという論争が 行われ、光州市が北朝鮮との交流に過度に執着するという非難を聞くこともあった.
まさに問題は真偽是非より、作品を導入する過程で美術専門家が全く関与できなかったということにある.
作品導入を主導した部署はセマウル運動中央会, 民族助け合い運動本部, 曹渓寺 ソン・ウォンジュ僧侶などだ.
光州市立美術館のジャン・ギョンファ展示課長は、“作品は皆、萬寿台創作社に展示中の絵を持ってきたものであって、ジョン・チャンモ 等の人民芸術家の作品も入っているほど作品水準は信じるだけのことはある”と話した.
反面、ある美術関係者は、“人民芸術家の称号は、芸術水準よりも北朝鮮体制に対する忠誠度が高い人に与えられるのではないか”と反問した.

この絵は展示に先立ち、3月16日から言論に公開された.
ソン・クギョンの絵画は、作家主体の個性が感じられたが、余り山水画などは特別な感興を与えない平易な作品だった.

ソン・ワンギョン芸術監督が話すやりがいと苦しさ
“予算不足をアイデアで満たした”


“光州ビエンナーレの歴史はまだ10年にも足りません.
4回目である今年からは、中長期的に安定したビエンナーレのモデルを出さなければならず、それを探すために悩んでいます.

ソン・ワンギョン芸術監督は長期的には、光州市の発展とビエンナーレの発展が噛み合うべきだという点を強調した.
そのために市民が参加できる作品を作って、また、プロジェクト別展示を考え出したという.
“普通、ビエンナーレが個別作家たちのショーケースのような感じを与えるなら, 光州ビエンナーレはもう少しダイナミックで現在進行形の美術現場のように見えるはずです.
特に、初プロジェクトの対案空間では作家たちが自ら作品を企画する‘セルフキュレイティング’(Self Curating)を披露することになります.

ソン監督は、“予算が急減し、困難が少なくない”と話した.
事実、3億7000万ウォンの予算は昨年光州で10日間開いたキムチフェスティバルと似た規模だ.
90日を超える行事を導いていくのに、非常に不足した予算であることは言うまでもない.
しかし、このような予算不足を対案空間設置で埋める等、斬新なアイデアも続出した.

“私は光州ビエンナーレへいらっしゃった観客たちが、雄大ななにかというよりも、何よりもおもしろいという感じを受けて行くことができるよう願っています.美術と日常の間の境界がなくなって, 現代美術に対する先入観が破られる行事になるように最善を尽くしました.それでこそ、光州ビエンナーレは新しい文化芸術の発信地になるはずです.”