第326号/2002.03.21
ソ/テ/ジ/は/生/き/て/い/る/か 時代は何故彼に熱狂したのか
デビュー10年‘最強のカリスマ’限りない音の革命
… 若者達に新しい‘成長モデル’提示
振り返ってみたら、疾風怒涛の時期はあまりに遅く訪れていた.
極めて正常な模範生だった私は、大学を卒業して社会に足を踏み入れ、女性に対して決して好意的ではない社会通念,
そして、私自身もよく知ることができなかった自我と身に余る戦いを始めた.
自らを守らなければならないという切迫した自尊心と、将来に対する不安, あきらめたくない夢とがごちゃまぜなっていた時期だった.
その時、ソテジの歌が耳に聞こえてきた.
強烈なビートと攻撃的な歌詞を聞いていると、頭ががんと叩かれたような爽やかさがあった.
私が世の中に叫びたいことを、彼が代わりにしていた.
短くはない彷徨の末に、ついに社会に自分の場所を探しに行こうとしたら, 彼は歌謡界を引退して韓国を離れた.
ソテジが引退宣言をした日, 雪が降り注ぐ鍾路の道を一人さまよって、泣いたことを思い出す.
私にとって、若さとは、祝福ではなく、刑罰のような時間だった.
その身に余る時間を共に送った友が離れていくのに、どうして泣かずにいられただろう.
---イ・ゴスン記者の極めて個人的な経験談だ.
しかし、90年代を生きた若者の大多数は、これと似た記憶を持っていることだろう.
ソテジが引退して韓国を離れるということに衝撃を受けた記者の知人のひとりも、やはり‘韓国での青春時期’をたたんで留学した.
ソテジという名前は、90年代を貫通した一つの銃弾だ.
理念が消え失せ、不景気が始まって、相変らず大学入試は難しかった時期, ソテジは少なくない若者達にとって慰めであり救援だった.
彼は‘大学, それがなんだ!’と叫んで,
家を出た子供たちに‘より良い未来がある’と、帰ってこいと手を差し出した.当時としては考えることもできなかった統一を歌で叫ぶこともした.
ソテジが歌に込めたメッセージは、今また聞いてみると、極めて平凡だ.
しかし、皆知っているけれど敢えて話さないことを、わざわざ出ていって叫ぶ人を先駆者というなら, ソテジは若者達の先駆者であった.
2002年3月はソテジが‘ソテジワアイドゥル’でデビューして10周年になる.
ソテジは、1992年3月23日、‘私は知っている’‘幻想中の恋人’が収録された‘ソテジワアイドゥル’ 1集を出してデビューした.
作曲家たちと歌手たちは彼に酷評を浴びせ、若い世代は既成世代の反応と正反対に熱狂し始めた.
それなら、この10年間、ソテジは‘ソテジ世代’に何を残したのだろうか.
高校中退とアンダーグラウンドバンド,‘ソテジワアイドゥル’の成功と終り,
ソロカムバックに引き継がれるソテジの行路は、この地の若者達に新しい成長モデルを提示した.
ソテジの成功は、規格化された小市民や少数の選抜されたエリート, または 孤高の芸術家の他にも、新しい‘生の道’はあるということを見せた.
ソテジ世代は、その前世代とは違い、“遊ぶことができて、遊ぶのに罪責感を持つこともしない”という、ある大学生の言葉はより一層意味深長だ.
ソテジの登場で、‘何か一つだけでも良くできれば大学に行くことができる’という話につながり,
より一層積極的な若者達は、いっそのこと大学を拒否して、創業などの方法を通して10代で自らの道を探しに出た.
このような若い世代の挑戦精神は、明らかに‘この世の誰も、私を真似できない.
私を世の中に知らせるんだ’(ソテジワアイドゥル 2集 収録曲‘スシア’)と歌ったソテジから出てきた、最も強力な力だ.
既存権力に対する抵抗&行き過ぎた商業精神の共存
ソテジが成功した後に見せた動向はより一層意味深長だ.
ソテジは既存権力に積極的に抵抗するが、商業的な成功とお金に決して超然としてはいなかった.
むしろ、自身を神秘化する戦略を通し、自らを高付加価値商品として作るのに率先した. 強迫的な程に、独創性,
新しさを叫びながらも、外国の先端潮流は無批判的に受け入れた.
ソテジの二重的指向は、結局、韓国の若者達の姿に過ぎなかったのだ.
しかし、現在進行形であるソテジ世代を分析しようという試みは、一見無意味だと見られたりする.
ソテジの初アルバムが発売された時、大学1年だった世代が、すでに30代になった. ソテジ世代は相変らず成長しているのだ.
ソテジは、ソロ2集‘ウルトラマニア’アルバムに、このような文章を残した.
‘何らの慰めも無しで/ 時間とこの時代の速度感に勝ってきた, そんな君に/ 私が約束する、これから慰めになるなら.
’すべての分析と修飾語を離れ、ソテジは若い世代にとって慰めになる存在だ.
それだけで、当分、ソテジの価値は充分だと見える.
< ジョン・ウォンギョン記者 >winnie@donga.com
ソテジ10年
年譜
1972. 2 ソウル 出生
1990 ロックバンド‘シナウィ’ ベーシストとしてシナウィ4集アルバム参加
1992. 3 ソテジワアイドゥル‘私は知っている’ ‘幻想中の恋人’などが収録された1集でデビュー
1993. 6 テピョンソ音調を挿入した‘ハヨガ’が収録された2集発表
1994. 9 ‘勃海を夢見て’‘教室イデア’が収録された3集発表.
統一, 大学問題などの社会問題に関して、最初に発言
1995. 10‘カムバックホーム’が収録された4集発表.
1996. 1 ソテジワアイドゥル 解体及び引退宣言.
ソテジ、日本を経て、米国行き
1998. 7 米国から‘take’連作として作られた初ソロアルバム発表.
2000. 8 4年7ケ月ぶりに帰国, 国内活動宣言
2000. 9
ハードロック系列(註:原文通り.実際はハードコア系)の音楽で構成されたソロ2集‘ウルトラマニア’発表と一緒に公式カムバック
2001. 10 シングルアルバム‘フィール ザ ソウル’(feel the soul) 日本発売
2002. 3 ソテジワアイドゥル デビュー10周年. |
ソテジは今?
日本でアルバム準備中 … ‘10周年記念行事説’は事実無根
ソテジは、デビュー10周年を迎えた現在、日本に留まっていて、今春日本で発行される正規アルバムを準備している.
BMGから発売される日本アルバムは、ソロ2集‘ウルトラマニア’に収録された曲を整えて載せる予定だ.
昨年10月、シングルアルバムが出たことを除外すれば、日本で初めて発売する正式アルバムだ.
そのため、ソテジは、‘新人歌手の姿勢で’このアルバム準備にだけ集中しているという.
公演など、公式的な活動も全くしない.
特異な点は、日本で発売するアルバムなのに、アルバムに収録されるすべての曲を韓国語で録音するという点だ.
ソテジはかなり上手に日本語を駆使する.
それでも韓国語に固執するのは、‘歌詞の意味を皆生かそうとするなら、韓国語で歌わなければならない’という ソテジ本人の主張のためだ.
昨年10月、発売されたシングルアルバム‘フィール ザ ソウル’(Feel the
Soul)の収録曲も、‘ウルトラマニア’に収録された曲‘デギョンソン’もだ.
最近初めて放送出演した(1992年4月11日、MBC
TV‘特ダネTV演芸’)を記念し、オリンピック公園で‘ソテジデビュー10周年記念行事’が開かれるといううわさがファンサイトに広まったが、これまた事実無根であると知らされた.
ソテジを公式代弁している 潟\テジカンパニーは、10周年記念行事は計画されたことがないと明らかにした.
ソテジが当分日本活動に力を注ぐ考えであるため、彼の国内活動時期は、現在未知数だ.
2002 韓日ワールドカップ記念アルバムのインターナショナルバージョンにソテジの歌が含まれるはずだという展望程度が全部だ.
一方、昨年夏、‘オンチ歌手’イ・ジェスが‘コムベッコム’ミュージックビデオを通してソテジの‘カムバックホーム’をパロディしたことに反発して組織された‘商業性に蹂躙されるミュージシャンの権利のためのソテジマニア非常対策委員会’は、2月28日、これまでの活動を整理し、‘コムベッコム著作権闘争運動白書’を発刊した.
|
|