2001年10月305号
週刊東亜
“町の薬局が全滅するのは時間の問題” |
数万種の常用医薬品目録も知らされずに調剤する難しさ … 医薬分業後、1年で1913ケ所廃業 ![]() すでに薬業界では‘病院調剤室’の役割をする門前薬局や談合薬局に転落しなければ生き残る道がないということが公然の秘密になって久しい. だが、医薬分業後、大きく変わったことがひとつある. いや、正確に話せば、‘私たちの脳裏から消えたこと’だと言う方が正しいのかもしれない. 路地ごとにあった町の薬局が、まさにそれだ. 保健福祉部統計を見ると、医薬分業を始めた昨年7月から今年7月まで、3010の薬局が門を閉じた. 分業以前、全国1万8679薬局中の16%がシャッターを下ろした格好だ. 廃業後、門前薬局や談合薬局として再開業した1097薬局を除外すれば、純粋に亡びた町の薬局だけで1913に達する. 重複投薬防止と 医師・薬剤師間の談合を防止するために、町の薬局(行きつけ薬局)活性化を叫んだ福祉部は、医師たちの実力行使に押されて、町の薬局生存の前提条件の常用医薬品目録を医師団体から引き出すのに失敗した. 数万種に達する医薬品中、各病院・医院がどんな薬を使うのかわからない状況で, 医薬品目録がなければ、町の薬局の没落は火を見るように自明な事実だ. 門前・談合薬局は‘病院調剤室’ 昨年11月まで、3回の‘医師大乱’の間、大韓医師協会は“常用医薬品目録を出せというのは、診療権侵害”とし、これを拒否し, 今年7月施行された改正薬事法で政府が医師団体の常用医薬品目録指定を義務化したが、2ケ月が過ぎたのにかかわらず、全国大都市のどの医師会も医薬品目録を提示した所がない状態だ. 医師たちの常用医薬品目録提示拒否は、まもなく町の薬局没落と、門前・談合薬局の氾濫につながった. 町の薬局に固執する亡びた薬剤師たちの話は、医薬分業が処した私たちの医薬界の現実をそのまま反映している. 京畿道 富川市 W薬局 ![]() 彼に残ったのは、さる1年間の借金1億4000万ウォンだけ. 彼が薬局を経営しながら負債を負ったのは、分業後に処方箋が減ったのに反して、医薬品はもっと増やすしかなかったためだ. 薬局から2kmくらい行った所に医院が密集する商店街があるが、門前薬局がひとつふたつとできながら、一日50枚以上は来ていた処方箋が20枚にまで落ちた. “それでも、行きつけだからと来てくれる町の方達が有難かったけれど, 無い薬品があるということは、そのままま常連客一名を失うことでした.” キムさんは、分業開始直後、薬局にない薬品が処方箋に上がってき始めると、その時から医薬品の種類を増やし始めた. まず、5000万ウォンを姉に借りて100種に過ぎなかった薬品の種類を1000種に増やした. そのようにしても、処方箋にない医薬品が出てくれば、患者を待たせておいて、オートバイに乗って近隣の薬局で現金を払って医薬品を買って来た後、薬を整えた. その後にも、足りない医薬品補充を続けて、借金は増えていった. 兄に4000万ウォン, マイナス通帳3000万ウォン, 家担保 2000万ウォン…. このお金で、6月までに彼が買い入れた薬品の種類は、計2080種. 医薬分業開始前、政府が常用医薬品目録ガイドラインで提示した600種の、何と3倍を超える数値で, 当時、医師協会が提示した1000種と比較しても、2倍を超えた. 家に持って帰らなければならない一月の調剤料収入400万ウォンも、薬品を買うのに使った. だが、日を重ねるごとに患者は減ったし, 借金に対する利子は増えていく状況で、彼は薬局を廃業することに決定した. “町の薬局の活性化だけで重複投薬の弊害を減らすことができるという信念があったためです.” キムさんは周辺から‘マヌケだ’という非難を受けながらも、町の薬局を固守した理由をこのように話した. 彼は、“例えば2種類以上の炎症疾患を同時に病む患者が、2ケ所以上の医院に通うならば, 町の薬局1ケ所だけを利用する場合、薬歴管理されて、消炎剤と抗生剤を一回だけ調製するが, そうでない場合、ふたつの門前薬局では2枚の処方箋を両方とも見ることができないので、消炎剤と抗生剤を重複投薬するのは自明なことです”と重複投薬の原理を説明する. 薬局は閉じたが、キムさんには頭の痛い問題が残った. 在庫品を処理する方法がなかったのだ. 薬品はほとんど大部分1・2回ずつしか出していなかったのだが、封切りした状態であるために、製薬業者が返品処理を拒否した. それで考えたことは、大学の同窓後輩薬剤師たちに強制割当式で薬品を任せるようにした. これからキムさんは、全てのものをパラパラとはたいてしまって、新しい出発を模索している. 不動産仲介業者が一度に膨らませた価格と知っていながらも、彼は最近新しくできた医院のそばの薬局を確保するために余念がない. ソウル市 陽川区 A薬局 さる6月、自身が経営していたA薬局の門を閉めた薬剤師 イ某さん(女,34)は、最近ソウル 市内の大型門前薬局の薬剤師として就職し、サラリーマンの悲しみをずいぶんと味わっている. 月給が250万ウォン程にはなるが、この1年間の借金を返そうとするなら、3年はみっちり仕事をしなければならない. だが、イさんの胸中に生じたしこりは、医薬品を供給するためにできた1億ウォンの借金のためではなく、談合をする病院と薬局, そして、そのような事実を無策のまま傍観する関係当局に対する憤怒であった. 彼女の薬局は、総合病院が密集する所から僅か200m行った所に位置した、町の薬局だった. 分業前、常連客をかなりたくさん確保していたイさんは、総合病院の近隣だからと、‘分業後’に対しては心配もしなかった. だが、さる9月、病院駐車場の向かい側に大型門前薬局が入り、彼女の試練は始まった. “うちにない薬ばかり処方” “常連客たちが来て ‘わたしたちはそれでもこの薬局に通う’と激励もしてくれたのですが、薬があってこそのことですよ. どうやって知ったのか、うちにない薬ばかりを処方しているのです…. 処方箋もわかりません.” イさんは、総合病院門前薬局の月給薬剤師を通じて、その理由を知った. 病院駐車場に入った門前薬局は、病院と‘特殊関係’にある薬局であったし, 向こう側の薬局もリベートを病院側に提供するために、彼ら間で処方医薬品目録が知らされていたのだ. イさんは、病院を訪ねて、呼び掛けてもみて, 門前薬局をのぞき込むこともしたが、処方目録を確認するのに失敗した. それで、管轄保健所に陳情もしてみたが、区役所側は談合確認が難しいという言葉だけを繰り返した. 彼女は、その後、家を担保として1億ウォンを借りて、医薬品の種類を70種から1400種に増やして、薬局も修繕した. だが、客が来なくなって、結局、薬局を閉めた. ソウル市 江東区 M薬局 さる2月、薬局を整理したチェ某さん(64)は、昨年、医薬分業が始まって、いっそのこと漢方薬と一般医薬品専門薬局を標ぼうして、病院・医院の処方箋をはじめから受け付けないケースだった. 概略3000万ウォンを投資し、漢方薬と一般医薬品を100種以上も増やして、薬局インテリアも変えた. チェさんが処方箋受け付けをあきらめたのは、薬局に近い5km半径内に病院・医院が全くないことも一理由だったが、根本的に医師が処方目録を容易には出さないと判断したためだ. だが、看板を大きくして, 宣伝をすれば、漢方薬と一般医薬品販売がうまく行くというチェさんの考えは完全にはずれた. 毎月彼の手に残ったお金は、薬品購入費を除くと、僅かな額の100万ウォン. 家賃と各種税・公課金を除いて、従業員の月給を払うと、毎月40万ウォンずつの赤字が出た. チェさんが専門薬局運営に失敗せざるを得なかったのは、昨年実施された薬品実取引が償還制であるため、製薬企業が薬品マージン幅を減らしたうえに、近隣に漢医院が入ってきたためだ. チェさんは、“それでも私は欲を出さなかったので、他の町の薬剤師よりも被害が少なかった”としながら、“町の薬局を殺す医薬分業は失敗するしかない”と区切って話す. “医薬分業という言葉はそのようですが、結局、あらゆる薬局が談合薬局になるだけです. 医薬分業ということが、病院の調剤室を外に出して、薬剤師を雇用したのとなにが違いますか?” チェさんは、これ以上薬剤師という職業に未練がないと、辛い表情になった. < チェ・ヨンチョル記者 > ftdog@donga.com |