2001年7月293号 週刊東亜

ミ/ヤ/ザ/キ/を/ベン/チ/マー/キング/せ/よ

夢と幸福で率いる‘特急配達部’
ジャパニメーションの巨匠 ‘宮崎 駿’ … ‘最も日本的なことの世界化’に成功


トナリノ トトロ トトロ トトロ….’ ‘ジャパニメーション’(日本アニメーション, アニメ) マニアで、この歌を知らない人があるだろうか. 敢えて説明すれば、‘ジャパニメーションの巨匠’ 宮崎 駿 監督の‘となりのトトロ’主題曲だ.

‘誰かがそっと小道に樹を植えて/ 小さい芽が出たなら、秘密の林へのパスポート/ 素敵な冒険が始まるでしょう/ トトロ トトロ トトロ トトロ/ 森の中でむかしから生きている/ となりのトトロ トトロ トトロ/ 幼い時期にだけ、貴方を訪ねる神秘な出逢い….’

この地で永らくアニメーションは‘幼い時期にだけ訪れる神秘な出逢い’だった. 現実に適応する頭が少しずつ固まりながら‘漫画的想像の世界’は、しばしば幼稚なものとして包み隠されるのが習慣であった. 同じように、‘となりのトトロ’のトトロは、おとなの目には見えない. おとなしく、純朴な子供たちにだけ発見される. しかし、トトロは、子供たちに夢と希望を植え付ける. あたかもアニメーションのように.

子供だけでなく、おとなたちにも幼い夢と追憶を思い出させるようにしながら、日本人に‘故郷の意味’を新たに呼び覚ました‘となりのトトロ’が、来る28日に封切りする.
製作から13年ぶりに韓国で封切りすることになる. ‘となりのトトロ’は、果して日本での封切り時のように、わが国でも興行に成功できるだろうか. 展望は悲観方向に傾きがちだ. 第一に、既に相当な人が見ているという理由のためだ. 製作と韓国での封切りが13年も差が出ているので、ジャパニメーション マニアたちは海賊版ビデオやCDで、既にみな習得している. ‘ポケットモンスター’‘人狼’‘風の谷のナウシカ’等、既に封切りしたジャパニメーションが、その名声があるにもかかわらず、皆興行に失敗したという事実も悲観的展望に一役担う.

‘となりのトトロ’28日封切り

もちろん、‘となりのトトロ’は、これまで封切りした映画とは非常に違っている. ‘人狼’などのように暴力的だったり残酷な場面もなく, 未来社会を背景にしたSF物でもない. 貧困な、50年代の戦争直後の時代を背景に、都市から田舎に引っ越ししてきた サツキとメイの姉妹がトトロに出会って、お互い一緒に生きていく‘穏やかな話’だ.
この作品に関しての共同版権を持つ ‘デウォンC&Aホールディングス’と‘イルシンピクチャース’側では、“一部の封切り作での興行失敗要因として指摘された暴力性や難解さが全くない家族用映画であるから、宣伝を期待している”という希望を表わす.

しかし、私たちのアニメーション界が、まさに関心を傾けていることは、この作品が興行に成功するかどうかではないようだ.
日本での‘となりのトトロ’は、いままでアニメーションに気を使わなかったおとなたちまでが漫画映画に関心を持つようになる転換点を作った. ‘トトロ’を契機に、日本の成人たちは宇宙空間が登場する未来時点でもなく、ロボットが登場することもない、自分たちの故郷と幼い時の話がこのように美しく感動を与えることができるという、アニメーションのもう一つの魅力を発見したのである.
このような‘トトロの情緒’は、まさに翌年封切りした宮崎 駿のもう一つの作品‘魔女少女 キキ’(原材は「魔女の宅急便」)へとつながりながら観客動員が3倍(264万名)へと、ぐんぐん伸びる結果を産んだ.

‘となりのトトロ’に対して、アニメーション‘蛍の墓’‘思ひ出ぽろぽろ’ ‘平成たぬき合戦 ぽんぽこ’で有名な監督 高畑 勳はこのように話す.
“トトロは、宮崎 駿がもたらした最大の恩恵だと思います. トトロは全国にいる子供たちの胸の中に生きていて、子供たちは林を見るとトトロが隠れていることを感じるわけです.”
高畑 勲は、TV用アニメーションの‘アルプスの少女ハイジ’‘母を訪ねて三万里(註:原文通り.現在では3千里だが)’‘赤毛のアン’の演出者でもあった. 今では子供を持っている年配のおばさんたちが少女の時期に夢中で見た、その漫画映画だ.

宮崎のアニメーションは、人になくした童心の世界, すなわち故郷をとりもどして与えたという意味をもつ.
最近の97年に封切りし、70日間で何と1200万名を動員した‘怨霊王女’(原題は"もののけ姫")も同じだ. ‘怨霊王女’は、製作費20億円, 構想期間16年, 製作期間3年, 作画枚数14万4000枚等、ジャパニメーション史上に残るいろいろな部門の新記録も恐ろしいが, それよりもっと凝視しなければならないことは、室町幕府時代の卓越した再現だ. この作品に登場するあらゆる衣装と小品・風景・家屋・人物描写等は、あたかもその時代に跳び越えていったようにあまりにも生き生きしていて精巧だ. キャラクター自体が日本的情緒を代弁する. 言わば、‘最も日本的なことの世界化’とでも言おうか.

‘となりのトトロ’と‘魔女少女キキ’に頻繁に登場する猫も、日本人には最も馴染み深い愛玩動物だ. ‘魔女少女〜’の猫は、キキと話しながら寄宿舎の舎監のような小言をならべ, ‘〜トトロ’の猫は、あたかも縮地法(註:土地を飛び越えて一瞬にして移動すること)を使用するかのようにトトロを積み出す森の中のバスとして登場する. 汎国民的な愛情をもった愛玩動物を漫画中のキャラクターとして変形することによって、アニメーションと観客の距離を狭めておいたのだ.

このため、‘天女幽魂’で有名な香港の映画監督 ソ・グクはこのように話す.
“宮崎 駿は、彼の作品の中で私たち皆を生命で満杯な世界へ率いて、生命の情熱を伝えてくれます. 作品中の登場人物は、永遠な生命を伝えられ、人に忘れられた何かを捜し出しています. 彼が作った、現実からは遠い世界の中で、私たちはいつのまにか話の登場人物たちと共に流浪し始めるのです.”
このくらいになれば、宮崎アニメーションの競争力がどこから出てきているかが分かるようだ. 彼の作品が一様に明確なメッセージであって, これをジ―ンとする感動を通じて、観客に效果的によく伝達することも、彼の競争力の主要源泉だ.

明確なメッセージにジ―ンとする感動

今では30代中盤以上になった壮年層たちは、幼年期に楽しんで見た‘未来少年 コナン’で、核戦争の恐ろしさを教育によらない最初の経験として, うっすらとながら感じることができた. 以後、宮崎作品の主人公たちの根幹になるキャラクターが誕生した‘未来少年 コナン’は、反核, 環境保全, 反独裁の主題を形状化したが, そのようなメッセージの重さが漫画を見る楽しみと面白さを害することはなかった. WWF(世界野生生物基金) 推薦を受けた‘風の谷のナウシカ’が、生命保全と環境保全のメッセージを含んでいるのは当然だった. 以後、宮崎作品の主題は、天空の城 ラピュタ : 反独裁, 生命尊重, 未知への 挑戦 となりのトトロ : 家族愛, 故郷 魔女少女 キキ : 自立, 責任意識 紅の豚 : 反戦 怨霊王女 : 環境保全, 反利己主義, 反差別主義等に現れた.

このような宮崎 駿の作品哲学は、彼と共同作業を多くした高畑 勲により一層深刻化した形態で現れる.
高畑は、最近、青少年層マニアに人気が高い ‘アキラ’や‘空殻機動隊’にようなSF素材は異国人も理解して共有する国際的な言語だが, 他の国でもそのような素材で作品を作ることができるという点を指摘する. 彼のこのような指摘は、最近の私たちのアニメーション界の作品傾向が、順次日本ニューエイジ アニメーターたちの世界に似通っていたり, 摸倣する現象に対する批判としても聞こえる. 例えば、‘霊魂騎兵 ラジェンカ’のようなわが国のアニメーションは、途方もない金を注ぎ込んで製作と広報に力を注いだが, 国籍不明の日本ニューエイジ アニメーションの亜流だという批判論から自由ではなかった.

高畑は大衆が好む‘ハンバーガー’を作るより、もう少し日本的特殊性が含まれた‘寿司’を作ってこそ、競争で勝つことができると主張する. 彼の‘平成たぬき合戦 ポンポコ’だけでも、老人たちまでが十分に受け入れることができる伝統的素材を扱ったために、大きな成功を収めたと見ることができる. したがって、こんにちのテクノロジーの飛躍段階に立ち入った私たちのアニメーション産業が、宮崎や高畑にベンチマーキングすべきことは、彼のテクニックというより、‘日本的独創性’の想像力を育てたところにあるはずだ.

宮崎 駿の作品を何故好むのか. 多くの人はこのように話す. “彼の作品を見ていれば幸福になる.”人は幸福になることを願う. アニメーションを見る理由も同じだ. ‘幸福な作品’を作れば、わが国の成人たちもアニメーションに対する関心が今よりは高まらないだろうか. あたかも、‘となりのトトロ’がそうであったように.



< ジョ・ヨンジュン記者 > abraxas@donga.com