格別に暮らしたがる上流層を指す新造語
文・アン・イ・ヨンノ<大衆文化評論家> 写真・東亜日報
写真DBチーム
アパレル分野に従事しているする中年女性にチョンダム洞(註:江南にある高級住宅街)についてたずねた.
“仁寺洞(註:インサドン.美術関連の店が集まっていた)が移転してきている”という
答を聞いた. 意外だった.
ファッションと消費についての答えが返ってくると思っていたのだ.
チョンダム洞は、ギャラリーの道だ.
この町内に、こじんまりとした高級な画廊が位置を占め始めたのは5年前だ.
カイス, イェファラン(画廊),
フュージョンなどの、すっきりとしていて静かなギャラリーは、午後の太陽のきらびやかな日差しの間に陰を落とし、裕福な有閑階級を呼んでいる.
この画廊街の気運をよく感じなさい.
これらは、中産層の中年が好む、ギャラリーカフェの姿を帯びている.
もちろん、これらの画廊では椅子を薦めたり、レモネードやコーヒーを売らない.
だが、けだるい午後に、自己充足感と解放の感情を持って,
また、その日の悩みを解消するために女性たちはこの道を訪れる.
この道の雰囲気を楽しんで, 画廊を散策して,
その感じでカフェのソファにからだを沈めるのだ.
20, 30代の青年作家たちは相変らず仁寺洞に期待し,
実験的な美術館と伝統を誇るギャラリーは景福宮の近くからピョンチャン洞まで広がったが,
美術市場を狙う高級商業画廊は、チョンダム洞に集中し始めた.
同じように、高級ブランドのショップなども、4, 5年にわたり、この道に門を開け閉めして漸増した.
90年代初め頃に胛鴎亭洞(註:アックジョンドン.ここも江南に位置する高級住宅街)を新しい明洞(註:ミョンドン.「ソウルの銀座」とも呼ばれる高級商業地区)に,
消費文化のメッカとして作った、市場経済の自然な結果だ. 80年代末、漢南大橋下の胛鴎亭洞で始まって、ギャラリアデパートに達するカフェ通りは、ドアを開き、人々を呼び込んで,
90年代初めにはギャラリアデパート近くの四角いブロックに消費者の足を集めて、胛鴎亭洞という巨大なブランドを作りだしたのである.
チョンダム洞は、おとなのための胛鴎亭洞
‘特区’
このような集約の次の段階は、膨脹だ.
その姿は、ギャラリア旧館を中心にしたカフェ通りから順次広がって、側面の華麗なロデオ通りとドサン公園近くに達する閑静なショッピング路地を作り、ついに、チョンダム洞にまで散在する拡散型の地図を描いた.
チョンダム洞は、その渦中にも貴族の部類, おとな,
最高級などのイメージを持つ、盛り場の郊外周辺の名品通りを作った.
商売に目ざとい人々には、チョンダム洞はまもなく第2のロデオ通りになるという直勘があったことだろう.
だが、若者達に似合うロデオ通りに比べて、この道ははるかに高級に上向きに移動した言える.
そのような点で、最高級海外ブランドだけを集めたギャラリア新館名品館は、チョンダム洞の象徴だと言える.
胛鴎亭洞を闊歩して精一杯消費を追求した人々は、これからはもう少し‘高級化した消費’を楽しみたい.
チョンダム洞は胛鴎亭洞の膨脹が産んだ派生物だが,
多くの高級ショップが入りながら、自然に新重心地の位置を占めた.
10年前の胛鴎亭洞は、過去の'明洞'を移してきたようだった.
既に胛鴎亭洞で創造されたロデオ通りが逆輸出されて,
明洞でも最もにぎやかな盛り場をロデオ通りと呼んでいる.
私が抱くチョンダム洞のイメージは、まさに明洞とロデオ通りの変奏曲だ.
上流層女性のファッションを引き受けた明洞が、時代を超えて移ってきたのであり,
高価ブランドで厳選された胛鴎亭洞が近隣に移転したということではないだろうか.
第2のロデオ通り!
一地域がもった集約的なイメージは、一つのブランドのように,
消費するようにさせるパワーを持つ.
夏の午後に道で会ったこれら全ての人々は、たぶん私のように,
‘単にそこがチョンダム洞であるから’来たのだ.
胛鴎亭洞は、子供たちがまず引き込まれて、続いておとなたちが訪れた.
反面, チョンダム洞はそうではない.
おとなのために用意された、胛鴎亭洞の‘特区’だ.
もちろん、高級消費者が引きこまれれば、その後を一般消費者が追従するという点では、胛鴎亭洞でもチョンダム洞でも同じだ.
ファッションと消費の先導者たちが来れば、流行の追従者たちが後に沿ってこの通りを闊歩する.
うまく行く消費の道は、多くの部分が子供のショッピング行為にかかっている.
その行為は、商品を購買しないという意味ではなく,
高級商標を胸の中に吸収して記憶することだという.
そこは、歩行者の道だ.
全体がガラスでできたカフェのガラス窓から外を鑑賞する胛鴎亭洞とは違い,
チョンダム洞は、道を歩く人がショップとショーウィンドーを選択するようになっている.
チョンダム洞は、本当にギャラリーのようだ.
この道の人々の中には、90年代初めに胛鴎亭洞を中心に増えた、消費膨脹の中で作られた新興中産層と、IMF前後の経済不況を前後し、確かに位置を占めた少数の新貴族が共に入り乱れているのだ.
経済的豊饒の中に胛鴎亭洞タイプの中産層が形成された当時にも、過去の上流層指向的な中産層が頽落したことはない.
彼らは、より一層、差別的な貴族的消費欲求を持つようになった.
不況が来た時、むしろ彼らは剰余を呼ぶ土台で生存してきたし, 90年代初めからいままでの10余年を通じて,
ついに独自のライフスタイルを持った階層として位置を占めるようになったのだ.
IMFが国内の貧富格差を深刻化させたという、いろいろな調査を見なさい.
したがって、チョンダム洞は、以前の胛鴎亭洞のように、消費とファッション,
遊興に浮き立った若者の道というよりは、頑固に確立した消費パターンの道だ.
新しい消費風潮というよりは、60, 70年代の産業化とともに明洞で見ることができた、典型的な上流層指向の購買力とこれに似合う流行,
海外高価ブランドなどが路頭を埋めている.
今は‘ノブレス
オブリジェ’について悩む時
しかも、高級美術画廊は、昔も今も商業的にそれを消費できる、ごく少数の階層にだけ意味があるものだった.
絵を買って売ることは、相変らず少数の特権であり,
また少数の役割だ. 順次絵を買う若い中産層の主張とは違い,
まさにこちらの画廊の関係者は、一様に今が不況だと首を左右に振る.
高級画廊は、路頭のブランドショップのように,
まさに、今購買しなくても、自身が享有して大事に保管することができるイメージである.
胛鴎亭洞のオレンジ族は、富裕な父母を持った、情熱的な若者のイメージを示した.
これと対応になるチョンダム洞で、レモネードを吟味する静かな高級消費者は、既に経済的富を勝ち取った中壮年の新興貴族層だ.
一地域 の成長は、このように新しい文化集団と関連している.
テヘラン路(註:韓国のシリコンバレーとも呼ばれ、ベンチャー企業が集まっている)が大騒ぎだったのも、やはりインターネットベンチャー企業と関連した経済的ブームのためであったし,
情報通信界の高級インテリたちにより、その消費に火がついた.
このように、通りの発達は、韓国の経済指標を反映する. 97年以後の不況と貧富の格差が、今のチョンダム洞の新貴族消費をもたらしたのである.
わが国も、これからは、貴族と上流層の社会的義務を話す時になったのだ.
歴史的に貴族階級が存在した国家では、いわゆる ‘ノブレス
オブリジェ’といって,
明示的に貴族の社会的責任という徳性を作った. 社会に対する献身,
平民に対する保護の責務は、事実、義務条項というよりは貴族がもつ美徳として,
慈悲と慈善を期待することだ.
これは、特権階級を許さない自由主義国家でも通じる.
国民福祉が発達した先進国であるほど、持てる者が献金,
寄付文化が当然視されるだけでなく、財産の社会的還元が義務化されている.
わが国のように、特権層を認めないで平等を好む国民感情では、持てる者の社会的責任が論議されてこなかったが,
むしろ、貴族を認める国家ではこれが推奨されてきたのだ.
市場競争を認める資本主義国家は、成熟すればするほど、富の公平な再分配問題を悩むようになっている.
政府が課する国民の税金と同じように、競争の所産の金持ちたちの私有財産を社会的に還元する必要があると認識することだ.
これは、チョンダム洞や胛鴎亭洞にも適用される.
金持ちがお金を湯水のように使う度に、われわれは消費を問題視してきた.
そのようにチョンダム洞に流れてくるお金を過消費だと糾弾するのではなく,
その消費の一部を貧しい国民に戻る税金や寄付文化の所得にする努力が必要とされたのである.
儲けた分を堂々と楽しんで,
また楽しむ分、一定部分を社会に還してくれること,
それが富裕な消費者の社会的責任だ.
また、華麗なこのチョンダム洞通りの存在を、大部分の市民が認めることができるようにする根拠だ.
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