話し方の良いコメディアン,
腕の良い事業家として順調な道を歩いてきた、キム・ヒョンゴン.
だが、彼は去る4月、国会議員選挙落選に続き、5月には離婚で、どん底よりも深い挫折感を味わった.
体重が20kgも減る程に痛みが大きかった彼は、一日も早くスランプから抜け出すために、10年前から構想してきたゲイ
レストランをオープンしたという.
政治に対する夢を捨てられない彼が、イメージに打撃を与えかねない事業を始めた理由と、彼をめぐるおかしなうわさに関する真相をきっぱりとさらけ出した.
文・キム・ソンジュン<フリーライター>
写真・パク・ヘユン 記者
国内最初の、ゲイショーが舞台に繰り広げられるレストラン
‘ハハホホ’が、7月15日オープンした. オープン一日前の14日、最終リハーサル現場で会ったキム・ヒョンゴン(40)は、いつもよりも沈着で、真摯に見えた.
米国やタイ,
日本などと比較する時、まだゲイに対する偏見が激しい韓国で、ゲイショーを始めるキム・ヒョンゴンは、‘ハハホホ’に、社会的意味を附与して話し始めた.
“21世紀には、明確に全世界が観光戦争を繰り広げることになるはずです.
付加価値が高い観光事業なのに、私たちの現実はどうですか?
外国人が来ても、夜になっても行く所もなく、見るものもないですよ.
英国が高い物価,
湿っぽい天気にもかかわらず、途方もない観光収入を上げているのは、各種ミュージカル等のあふれる文化商品とアイディアがひかるテーマレストランのためだと思います.
外貨収入の70%が観光収入のタイでは、‘ゲイショー’が国を支える事業です.
私が去る4月、国会議員になっていたとしても、この事業はやっていました.
また、人権の次元でも、ゲイを陰から陽に引出し、国家に税金を収める堂々とした社会人になるようにと、大きな意義を持っています.”
離婚の痛みを忘れるために
9月に予定していたオープンを操り上げ
当初の憂慮とは異なり、当局の営業許可を受けることも容易にできた.
女性が酒を接待したり、淪落行為がなされる店舗ではなく、単純にショーを観覧するレストランだったためだ.
華麗なステージ衣装にも途方もない費用を投資したキム・ヒョンゴンは、“国内で見物する所やショーの質的な面で唯一のライバルは、ウォーカーヒルショーだけ”と自信を持った.
キム・ヒョンゴンがタイの‘アルカサールショー’,
ラスベガスの‘ラカジショー’, 東京の‘金魚ショー’などを10年間研究した末に店を開いたという‘ハハホホ’には18名のゲイたちがいる.
初めは、顔をあらわすことに恐れを感じていた彼らが勇気を出して‘ハハホホショー’に出演することになったのは、冷遇と蔑視を受けているゲイたちが、よりましな生活を送ろうとしたためだという.
当初は9月に予定されていたオープンは、キム・ヒョンゴンが‘離婚’という個人的な痛みを体験しながら7月に前倒しになった.
離婚の衝撃から一日も早く抜け出すために、仕事に拍車をかけたのだ.
5月から、各地に散在して暮らすゲイを募集し始めたのだが,
その作業が最も難しかったという.
彼は、ゲイがいるといううわささえ聞こけば、済州島まで出かけて‘ゲイショー’の趣旨を説明して説得するのに多くの時間をかけた.
“かろうじて、ショーの趣旨を理解させたのですが、練習は遅遅として進みませんでした.
だめだと思って、みんなを全部連れてバンコクに行きましたよ.
タイの4大ショーの‘アルカサールショー’‘ティファニーショーーパー’‘カリプソショー’‘マンボショー’を見せて、私が求めているのが何かを感じられたようでした.
その後から実力が身についていきました.
企画及び総監督は私が直接して、振りつけは、<キャッツ> <もうけのない居酒屋>
などをやったパク・サンギュ先生が担当しました.
練習期間は2ケ月もまだ経っていないので、長い間の伝統をもったタイと米国のゲイショーとは比較もできませんが、まもなく正常軌道に乗るだろうと自信を持っています.
また、ゲイショーに対する社会の認識が変われば、より一層‘ガッツ’があるゲイたちが集まって、ショーの水準が高まるだろうと信じます.”
キム・ヒョンゴンが進行していたあるテレビ番組に出演して、彼と縁が結ばれた‘オキ’というゲイ(性転換手術までして、女性として活きる事を希望する彼は、ゲイという代わりにトランス
─ 性転換者 ─ と呼ばれることを希望した)は、躊躇する同僚を引き込むのに絶対的な役割をした人物だ.
梨泰院等の酒場に行っていたという彼は、“収入は多くはないけれど、これ以上卑下されながら暮らさなくても良い”と、‘ハハホホ’に合流したことを非常に喜んだ.
“愛が動くように、性も動くのではないでしょうか”と主張するキム・ヒョンゴンも、はじめのうちは、ゲイたちと一緒にはご飯も食べられなかったことを告白した.
しかし、共に仕事をしながら“彼らも私たちと全く同じ人間だという事実を悟るようになりました”としながら“南北対話もする場に、私たちの兄弟のゲイたちも含まれるようになる”と強調した.
‘ハハホホ’のゲイショーは、夕方8時30分に始まる. 正午から午後3時まではクラシック歌手たちが舞台に上がるが、夕方7時からは本格営業時間だ.
1, 2部に分けられたショーは、各々70分ずつ進行されて、夜12時30分から始まる第3部公演には、ヘバラギ,
パク・ガンソン, ユ・イクジョン,
ジン・シモンなどのフォーク歌手たちが出演する.
簡単な飲料とビールが提供されて、入場料は1人当り4万〜5万ウォン.
料理の価格は、別に計算しなければならない.
女装をした彼も、MCとして舞台に上がり、ねっとりとした話し方を誇示する.
“表面には現してはいませんでしたが、妻は遠い以前から離婚を決心していたようです.
1年前から各方法を使って離婚を要求する妻に、総選挙が終わるまで待ってくれと、お願いしました.
巷間には、妻が反対した総選挙に出馬して、落選後に借金に苦しめられて妻が離婚を要求したと言われていますが、それは絶対にありません.
もちろん、政治家の妻になることを願ってはいませんでしたが、選挙期間には誰よりも熱心に私を助けてくれました.
息子の英国留学も、離婚のために下した決定ではありません. 1年前から計画していた事なんです.
国内でコメディアン
キム・ヒョンゴンの息子と呼ばれるよりは、教育環境が良い英国で国際感覚を持つように育ててみたかったのです.
かりに、息子が私のような道を歩くとしても、世界的なコメディアンになるようにと思います.”
何日か前、彼は息子に会うために、6日間英国に行ってきた.
幼い年齢で異国で苦労する息子を見て、もう一度妻を説得する考えだった.
だが、妻は既に帰国してしまった後であった.
結局、彼は妻と法廷で別れた後、今まで会えない状態だった.
“なにぶん、一人で長くは生きられないようです.
夜遅く家に帰れば、体の芯から寒く、孤独を感じます.
どんなに、家に家事をこなすお手伝いさんや執事のような人が一緒に暮らしても、家族がいない家は寒いことでしょう.
いまは処理しなければならない仕事があまりにも多くて、女性に会う時間もないのですが、来年には再婚をするつもりです.
息子にとって良いママになることができる女性ならばいいですね.
なんにしろ、子供がいない女性とはどうでしょうか?
わたしは、家庭に最善を尽くしていない自責感と思い入れが大きいだけ、また全く同じ失敗はできないでしょう.”
‘選挙’と‘家庭’で失敗を続けて体験して、より一層精神的に成熟した彼は、今後社会にとって良いことを多くして生きたいという.
今後、継続的に痩せて、肥満人に‘私も痩せることができる’という希望を与えたいという彼は、機会が熟せば‘小児肥満退治運動’も率先する考えだ.
政治家としての夢も、ずっと育て続けることはもちろんだ.
コメデイも, 事業も,
政治も、笑いというコンセプトで推進するというキム・ヒョンゴン.
彼は、ゲイショーもやはり、健康な笑いというコンセプト中にあるので、躊躇なく勇気を出したという.
彼は“人々に笑いと希望を与える仕事くらいファンタスティックなことはない”と言った.
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