99年1月
女性東亜
苦行の末に本来の姿で帰ってきた雑巾僧侶 -ジュン クァン |
文 イ・ジョンア 記者 / 写真 チョ・ヨンチョル 記者 -------------------------------------------------------------------------- ![]() 陽射しもなく、足元が凍りついた道をこわごわ歩くこと1時間半、遠い渓谷の彼方に白潭寺の屋根が見えてくる. 誰が訪ねるのでも、その遠くて険しい道を歩かなければならないのは同じ. 規則として寺で定めたものでも, 所轄区域代表が定めたものでもない. 曲がりくねった心を平らかにしなさいという自然の指示だ. その遠い渓谷の行き当たりに終わり ジュン・クァン(重光, 64)が居る. 今ではイスン(註:耳順・60歳の別称)をひらりと超えてしまった年齢が顔にそのまま表れている彼は、相変らず大きく笑っているかのようだ. 若者も年寄りも区別しないジュン・クァン特有のお客さんへの接待は、微笑で始まる. “以前はだめだった. 若く、路上で酒を飲んで、そのまま居眠りをよくしていたし、あちらこちらさまよっていた. 酒? もう、切ったぞ. 酒を飲んでからだが苦しいと作品ができないので切ったのだよ. 薬をのんで、鍼を打ってもらうこともしょっちゅうだ. タバコはどうしたって? … タバコは切れなくてね. それでも、以前ほどではないよ.” お客さんがきたから正しい衣冠を揃えると、真っ赤な帽子を頭に被って法服を着る僧侶に、酒を切ったということは紀行(註:人生の楽しみを旅に例えたようだ)が終わったという意味ではないかとたずねた. すると、彼は断固としてそうではないといった. “私が生きていくこと自体が紀行なのだ. 誰も私と全く同じ生活を送るわけではないでしょう? まだまだ… 私も老いて、以前のようにできないのも事実だが、それでも私はまだ相変らずだよ.” 常時そのようにはっきりとした返事だが、すこし悲しい語調に聞こえるのは何故だろうか. 味噌玉麹のようでありたい老心 “私が最後に戻る故郷に/一年に一回も見ることができなければ寒気がする/内雪岳 白潭寺前の小川が流れる水音ちゃらん/水中の砂利 玉水さらさら 玉水さらさら/とても美しいこの土地では、言い表す言葉が少なくて、口に出して言えなくて/水は澄み、暗く青黒い/青黒く暗い雪岳山に戻り、また満たされる/蒸し暑い夏の日、服を脱ぐと飛込んだ/狂ったおっとせいのように遊んでみたくても、結局申し訳なくてできなかった/水中で山鹿も共に遊ぶ/山の人参も共に遊ぶ/白雲も苦しい世上万事水中にみな戻る/私が最後に戻る故郷に/私が最後に戻る故郷に.” なぜ、わざわざ白潭寺かとたずねたら、彼は突然、詩一編を詠じた. 若い時期、白潭寺に立ち寄った時書いたもので‘遺作’と違わないと付け加えた. 詩想は以前と同じかもしれなくても、歳月は流れた. ある政治家(註:全斗煥)が彼岸の場所としてとどまった白潭寺は、その時とはかなり違う. 増改築を繰り返し、寺の入口の石橋の水沈橋をはじめとする新しい設備と事務所, 現代化された供養間と解優所(お手洗)があちこちに立っている. “むかしは、むこうの谷間から渓谷を越えて寺へ入る橋がみずぼらしくてね. 雨が多く降って、橋が崩れれば、何日も入れなかった. いまはクルマが通れるように丈夫な石橋ができたから… 歳月とはとても良いねえ.” ジュン・クァンIが滞在する所は、白潭寺の向こう側の端にある. ジュン・クァンを認めるオ・ヒョンヒ師が、特別に彼のために気楽な構造の家を建ててやったのだ. やや広い居間に、小さい部屋(?) 二間とお手洗で構成された, 最近の言い方で言えば話せば、10坪に満たないワンルームスタイル寺家とでもいおうか. 小さな部屋のひとつは彼の作業室, 残りは宝物倉庫だ. 他人の目をはばかりながらジュン・クァンがそちらへ行くので、何の宝物があるのかとたずねたら、彼は一抱え持って出てきた. “こういうことを聞いたか”と、ひと山手に持たせた. セルフサービスだ. “師がこれまでに描かれた絵と画具が入っていますよ. 市内から遠いために、私が行く度に一度に買い揃えるのです. 求めるのが難しい紙と染料は、なくなる前に大都市に行って買ってきておくので、作業するのに支障がありませんよ.” ジュン・クァンと共に留まって、彼の剃髪頭を手入れてくれる同志であり行者(?)の‘ファン・カバン’が代わりに説明する. ファン・カバンは、ジュン・クァンIがこの中年の同志を呼ぶ名前なのであるが、山に上がってくる前、ファン氏がしていた表具商の商号だ. 彼は静かにジュン・クァンと眼を光らせて、いろいろな問題を解決する強固な人だ. 作品を描く部屋には、紙屑と作品が散乱散在していて、墨汁や染料を入れた皿があちらこちらに置かれていた. 数十の筆が掛けられた片側の壁の下のテーブルには、いろいろな本と共に味噌玉麹(註:味噌を作るための麹を丸めて球状にして乾燥させたもの)がぽつんと置いてあった. “私は味噌玉麹が良くてね. 味噌玉麹とは何か?, 自分のからだをみな捧げて、人間に有益な醤油や味噌を作って消えてなくなる存在だ. そのように生きたいね. これからは、ぼくの年齢がそのような年齢だ….” 彼は撮影のために、病気で震える右腕の代わりに左腕で絵と文字を書いた. 般若心経の文句をひとつずつ、ひとつずつ、すべての力を尽くして書いてみた. ジュン・クァンは、最近、文字と共に達磨図に没頭している. 2000年春にひらく予定だという達磨図展示会で披露する作品を描いていた. 何故達磨図かとたずねた. “東洋画の神髄は達磨図だよ. 終生絵をたくさん描いてきた人, 修行を多くした人だけが描くことができることだ. ぼくの絵人生の終着地のようなものだ.” 太い筆で何回も絵に描き込むが、時折りTVに目を向けた. ブラウン管の中には、アフリカの草原のヒョウと鳥たちが自由に飛び回っていた. ファン・カバンの言によれば、ジュン・クァンが最も好きな番組なのだという. ‘動物の王国’を録画しておいて、何度も観ながらも、毎度子供のようにめずらしがると. “人というのは、老いるほど動物的本能だけが残って、獣がなじむように感じられるのだ”と言って手伝った. 他でもない彼の部屋にはビデオ テープが何本もあり、その中には"動物の王国"の録画テープが多かった. そして、‘ドキュメンタリー ジュン・クァン(The Mad Monk)’, チャーリー チャップリンの映画が目についた. ジュン・クァンはチャップリンの奇抜な創作力とコメデイを好んで一日に何度も彼の映画を観たという. 山の中の陽は短い. なごり惜しい気持ちに席を立つと、風邪による微熱にもかかわらず、彼は出てきた. 前大統領の住みかをすぎて、ある寺家の前に立った. ノンアプジャンシル(聾庵丈室)という現版がついていた. ジュン・クァンは、その寺家の門をきしませて開くと、入っていこうと薦めた. 中にはテーブルと椅子がいくつか, 簡易台所とともに壁に絵がかかっていた. “白潭寺でぼくの作品を展示するように作ってくれた家だ. お客さんが寺を尋ねるときは開けて、絵も見せて、簡単な茶菓も出すんだ. ノンアプというのは、ぼくのもうひとつの法名なんだ. 唖の寺という意味だ. 都合がよければ、また来て、絵を観て、お茶も一杯して行きなさい.” 陽が山の頂にかかる頃、世の中とは全く隔絶しているかにみえる閑静な寺の門を出た. きんきんと凍りついた渓谷の下に緑色の雪岳水が流れるのを見て、あわただしく歩きながら、なにげなく振り返ると、橋の向うに立って手を振るジュン・クァンが、あたかも別世界にあったかの様に見えた. 彼は今、苦行と解脱の間の修心橋を越えているのかもしれない. -------------------------------------------------------------------------- Copyright(c) 1999 All rights Reserved. E-mail: newsroom@donga.com |