2000年12月 女性東亜

江原道ジョンソン '江原ランド スモールカジノ'生々しい体験


チェ・ミソン記者の旅行スケッチ 


30年ぶりに内国人出入を許すことによって,開場以来連日混み合う江原道ジョンソンの 'スモールカジノ'. 好奇心と射幸心に引き摺られた人波によって,一瞬のうちに全国的な名所になった. しかし,'金のなる畑' と勘違いして, 一獲千金を夢みる間に '敗家亡身'しかねないのが,まさにこのカジノの世界だ. 記者が直接体験したカジノの現場 & カジノ周辺の見所. 


写真 ・ チ・ジェマン記者 


どんな席でも,集まれば ‘お小遣いだけの娯楽プログラム(?)’であることを前提に広げられる花札賭博に慣れ親しんできた韓国の人々…. 花札賭博をしたことのある人は知っているだろうが,夜通し腕の運動をして,結局,お金も廻り回って‘トントン’に行ったり来たりする程度だ. そのため,時には‘いちかばちか’式に僥倖を願って,‘食われないぞ!’と,叫ぶこともするけれど,カジノではそれが‘絶対’に通じない.

国内最初に内国人出入が許容され,開場する瞬間からスポットライトを浴びている‘江原ランド スモールカジノ’. その上,開場して何日かで5千万ウォンを超える巨額の‘ジャックポット’が炸裂したという報道が出されると,普段は賭博の‘と’も知らない人々さえ,‘ひょっとしたら’という気持ちで,一回くらいは行ってみたくなる所だ.

雀が脱穀場をそのまま行き過ぎるはずがないように,常時新しいことを探して歩き回ることを好む記者がそちらを見逃すわけがない. ‘百聞は一見にしかず’だ…. どんよりと曇った空の下,初冬の雰囲気を楽しみながら江原道ジョンソンに向かった. 江原道特有の曲がりくねった坂道を越えていく所に位置を占めた江原ランドを訪ねるまでにかかった時間(ソウルから)は,概略4時間30分程度. それでも平日なのでこの位であって,週末ならどれくらいかかるかは,某CFコピーのように“私もわかんな-い”.

コハンは,海抜7百mに位置している. 敢えて海抜の高いところである理由は,7百mが人体の生体リズムに最も良いということだからだ. 江原ランド 広報チームの人の話を聞いた人ならば,“それで,ここにきて酒を飲んでも,朝になっても頭が痛くならない人々が多い”という. もちろん,‘信じようが信じまいが’だ.

‘深い山の中のカジノ,お金は誰が持っていくのだろうか?’と,鼻歌を歌いながら,いよいよスモールカジノに到着した. 参考までに…,このカジノ周辺の住民(コハン, ジョンソン, サブク, 太白地域)は‘入場不可’. 地域住民の‘敗家亡身’を最大限防止するためだ. そのため,5千ウォンの入場券を売る時に,いちいち身分証を確認する.

カジノ安全要員が‘にらんで’いる検索台を経た後に入ったカジノの中は,落ち着かないものだった. あちこちでブンブン唸る数百台のスロットマシンから噴出する機械音, 小銭の落ちる音, きらりと光るライト, 足を踏み入れる場もないほど一杯になった人々, そのなかから噴き出すタバコの煙… 賭博場らしい(?)姿だった.

カジノゲームは,普通は二種類に分けられる. 機械と‘格闘’するスロットマシン, ディーラーと‘一本勝負’を繰り広げるテーブルゲームがそれだ. スモールカジノの中には,99種の異なるスロットマシンが480台出ている. ベッティングできる金額は,下限100ウォンから最高1500ウォン. だが,100ウォン玉ベッティングのスロットマシンは何台もない. それも,内側の深いところに位置を占めていて,探しにくい. 探しあてたとしても,既に座っている人がなかなか立たなくて,相当な忍耐心がなければ触ることもできない.

スロットマシンの大部分が‘自分一人の戦い’をするだけだが,20台のスロットマシンを連結させて当選金額を上げた後,ひとりに幸運を集めてあげる‘プログレッシブ’も6種がある. 開場初めて5千余万ウォンの‘ジャックポット’が炸裂した所も,まさにこの‘プログレッシブ’であった. ラスベガスで,タレント オ・ヨンスの母親が炸裂させた‘ホイール オブ フォーチュン’は,ネバダ州全域を連結したプログレッシブマシンだった. それほど幸運の確率は稀薄だが,幸運の女神が手まねすれば,まさに‘大ヒット’が炸裂する. ただ,どんなスロットマシンでも,‘ジャックポット’が炸裂することを願うのならば,最高ベッティング(1500ウォン)をしなければならない.

テーブルゲームでは,ブラックジャック(9台), バカラ(12台), ルーレット(7台), ダイサイ(1台), ビッグフィール(1台)などが多様に配置されていた. テーブルゲームでディーラーは,ゲーム進行をすべて英語でする. しかし,ゲームを説明するパンフレットがあって,他の人がするのを頭越しに何度もみていれば,進行方式をすぐ理解することができるため,初心者でも心配する必要がない.

ブラックジャックは,ディーラーが配ってくれるカードの数字の合計が21になることを言い,そうなれば,ディーラーのカードが21でない以上,勝率は100%. 21にならない場合には,カードの数字がディーラーより高ければ勝ちゲームだ. しかし,ディーラーでも客でも,数字が21を超えれば,アウトになってベッティングしたお金をそっくり‘取り上げ’ られる.

バカラは,ハイローラー(High Roller・高額ゲーム者)たちが主に楽しむゲームである反面, ターンテーブルに象牙のボールを投げ込んで出た番号を当てるルーレットは覚えるのがやさしくて,勝率も相対的に高く,初心者も無難にできる. そして,ダイサイは,サイコロ3ケを投げて数字を合わせるゲームだ.

一旦全体的なカジノ状況を把握した後,ゲームを始めてみることにした. しかし,なんということか! 私の意向通りにはならない. ブラックジャックもバカラも空席がない. 開場以後,日々非常に多くの人波が集まるので,ゲーム場内は過負荷状態だということをちょっと妄覚してしまった. ゲーム場は大きくても,記者のように落ち着いていない‘野次馬’たちがテーブルを廻って,寸分の隙もなく人垣を作って見ていて,ゲームをする人の姿さえ見るのが難しかった. かろうじて隙間を探して廻ってやっとのことでゲームテーブルをのぞき見ることができた. ゲームをする人々の大部分が深刻な表情でタバコばかりを‘スパスパ’吸うのを見ると,たぶん,特に良くはなかったようだ. 話を聞いてみると,その日,ある人は2千2百万ウォンを失ったという.

どんよりとした空気の中で,それでもカジノにきたから,どうにかひと勝負打ってみたくて,立ったままひたすら待ったが,席を立つ人はただのひとりもなかった. 時々人が席を立つので,‘さあ!’と,思ったのに,少しの間用を足しに立っただけで,お金を賭けた状態で席を‘キープ’しておいて,さっと消えた. テーブルゲームは,ほとんどそんな感じだった.

あきらめて,それさえもチラホラとしか席が空いていないスロットマシンに向かった. とりあえず,1万ウォン紙幣を機械の中に押し込んだ. ディスプレーに20という数字が表示された. 500ウォン玉20枚ということだ. ベッティングは500ウォン, 1000ウォン, 1500ウォン玉の3種類. 当たった時にぱっと大当たりするのが良いように見えて,1500ウォンずつベッティングをした. くるくる回るスロットマシンの絵が出てくるのにかかった時間が約5秒. ハズレだった. また押した. どうかな? また,ハズレ. 時折いくつかの1000ウォンが当たることもあったが,1万ウォンが飛んで行くのに1分もかからなかった.

また3万ウォンを入れた. うわー! 初戦で60枚のコインが大当たりした. 不意に3万ウォンを得た.しかし,‘うーむ,まさにオイシイ!’ と思ったのも一瞬, また再び5秒ごとにコインがぞろぞろなくなる. それでも,今度は10分は粘ったようだ. いくらにもならない時間だが,スロットマシンをしているうちに興奮してしまったようだ. 

普段は賭博に関心がないと自負していたはずなのだが,いつのまにか,私自身も知らないうちに陥っていたのだ. また,とても,お金がお金に見えない. お金を取っても,ディスプレーに数字だけが表示されるから,‘現金’だとは考えられなかった. 大部分の人々がお金を取っても,席を立とうとはしないで,その数字が‘パンク’するまでベッティングをして,結局はみな擦ってしまって初めて席を立つのが,カジノの客の微妙な生理だ. 単純な好奇心で楽しむための人ならば,一回くらいは薦めてみたいけれど,一獲千金をねらって‘好機でなければ,殺気’式で来る人は,本当に止めたい所だ.

記者もやはり‘もう, 一度だけ, あともう一度だけ’などと言っている間に,10万ウォンがなくなりかけ,150個のコインが炸裂した時,惜しいけれど席をけって立った. そうして,比較的安く授業料を払ったわけだ. その程度ならば,カジノで適当にちょっとだけ利益を得たわけだ. ゲーム場内で‘お金を使おうと苦労する’客のために,ただで提供される清涼飲料水を飲んで,未練をパラパラとはたき落としていて,ついに席を離れた. 

ゲーム場内の熱い熱気とは違い,高い標高ほどに冷えた外の空気が顔を冷やしてくれる味も,今考えてみれば忘れられない.

地方から来る人々で,カジノにきたが,単純に‘賭博’だけをしてもなんだか味気ないように思える時…,カジノの近隣にたとえあまり知られてはいないけれど,江原道の味を感じることができる所があちらこちらにある. そのうち,子供を同伴するなら,太白 石炭博物館(033-552-7730)を薦めたい. それと合わせて,龍淵洞窟を見てきても良い. 洞窟は,おとなでも子供でも,何より,自然の神秘と驚異を同時に感じることができる. サムチョクのファンソン窟をはじめとして,こちらの洞窟はコス洞窟のように絢爛だというよりは,雄壮な姿がよりすばらしい.



太白 石炭博物館&ヨンヒョン洞窟の新しい姿 


国内最大の石炭生産地だった太白は,過去,私たちの生活への燃料供給と国家基幹産業の中枢的な役割をしてきたが,今は声もなく消えていく侘しさを残している所. 石炭博物館は,その痕跡を残すために作った所で,石炭の歴史的資料を置いた,意味のある現場でもある.

特に,地下の採炭現場に降りていくような効果を出したエレベーターに乗って行けば,60〜70年代炭鉱の現場をそのまま体験できる点が独特だ. 真っ暗な坑道の中で鳴り響く,石炭を掘る声もいきいきと聞くことができて, 採炭場の差し迫った雰囲気も体験できる.

太白市サムス洞にあるヨニョン洞窟(033-550-2648)は,約3億年前から生成された石灰洞窟で,内部には洞窟珊瑚, 鐘乳石, 席順, 石柱などが多い. 特に,洞窟の中間に,幅50m, 奥行150mの大型広場があって,神秘な景観を演出している. ただひとつ,無粋なのが,より格好いいつもりでお金を投入して設置した人工噴水の粗雑な姿. いっそ自然そのままにして置けばよいのに,と残念だ.

ヨニョン洞窟が一般人に公開された年度は確実にわからないけれど,洞窟の深い所に壬辰倭乱時に避難所として使用したという来歴の筆文字があるという. 義兵の本部としても,また,国家の変乱時に避難所として利用されたとのことだ.

洞窟を見て回るのに1時間程度かかる. 夏には涼しくて,冬には温みを伝えてくれる洞窟の特性が催す‘穏やかさ’を感じて,窮屈な都市生活中に1時間程度,心の余裕を持つのは,いかが…. 








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