参考"NANTA"公式サイト-http://nanta.co.kr/
九歳でデビュー, 40年近い歳月の間、俳優, DJ, MC,
プロデューサーとして活躍してきたソン・スンファン. 80年代
オッパ部隊を率いて最高の人気を享受した彼が、米国留学後歩んできた道は挑戦の連続だった.
仕事を広げることが好きで、おもしろくない仕事は死んでもできない、自称
‘仕事中毒者’ソン・スンファン. 演劇‘NANTA’のおかげで7億ウォンの純利益を得たが、今でも相変らず借家に暮らす彼が、7月1日
ジョンドンに‘NANTA’専用劇場を開いて話題になっている.
●文・キム・ソンジュン<フリーライター>
●写真・チェ・ムンガプ記者
‘演劇俳優などではまともに食えないものだ’という通念が濃厚な私たちの演劇界で、ブロードウェーの
<キャッツ>や <ミス・サイゴン>のように、一演劇を専用に上演する劇場を開くということは、非常に無謀な行動だ.
‘蝶のように飛んで、蜂のように刺す’
猪突猛進性をもったソン・スンファン(45)は、今回も“やめろ”という知人たちの言葉も意に介さず、またもめ事を起こしてしまった.
まさに、ジョンドンに位置する京郷新聞1階に、国内最初に‘NANTA’の専用劇場を開館したこと.
“みんなはわたしのことを、冒険的で突発的だというけれど、実は、徹底的に何千回も考えた末に下した決定でした.
考えるだけで結局行動に移すことができない人々に比較すれば、勇気がある方ですが、まぐれを信じて仕事を推進したことは、ただの一回もないですよ.
私は俳優以外の道を歩いたとしても、与えられたことだけをすればいい月給取りのようなことは絶対することができなかったでしょう.
その代わり、仕事を展開することを好む私にも鉄則はあります.
おもしろい仕事だけをするということです.
お金や名誉が保障される仕事でも、いやなことは死んでもできませんよ.”
“家賃80万ウォンの家に住みながら、8千万ウォンのセットを壊すこともしました”
鍋, まないた, 包丁, 皿 など、台所で
しばしば見かけるる道具でサムルノリを再現する‘NANTA’は、97年10月ホアムアートホールで顔見せして以後、ずっとマスコミの注目を受けてきた.
しかし、‘NANTA’が3年近い長期公演になって、25万名以上の観覧客を誘致する程の成功を収めることになるとは、誰も知らなかった.
もちろん、英国と日本, 東南アジアなど、
海外での大反響も予想されなかったことだった.
今年1月1日0時、東崇洞 大学路と 日本
大阪で同時にパフォーマンスで新しい千年を開いた‘NANTA’は、2000年を世界公演に向かう元年とみなしている.
現在、ブルー, レッド, ホワイト, ブラック の4チームで運営される‘NANTA’
メンバーは、ソウルと地方, 海外で各々公演をしている.
元祖メンバーで構成されたブルーチームは、英国ロンドンを中心に、ヨーロッパ巡演にたって、レッドチームは釜山で公演をしている.
元来は、今秋、米国 ブロードウェーに
入城する計画だったが、完壁な準備なしでは世界市場進出失敗を意味するので,
来年に先送りすることにしたという.
“専用劇場は3百席です. 9月からは、午前10時は乳児・小学生, 午後3時は主婦及び大学生,
夜8時は外国観光客と一般人を対象に公演をする予定ですから、約1千席規模の効果を見るでしょう.
今後は外国観光客誘致のためのマーケティングに力を注ぐ計画です.
いまは、外国観光客たちに見せることができるのは、わずかに、一流ホテルのショーや東大門夜間ショッピング,
あかすりくらいが観光ではないですか?
幸い、韓国を知らせる文化観光の一部門として‘NANTA’観覧を旅行日程に入れる事に、むしろ旅行社側の方が積極的です.
また、夏休みの間、小中高生には午後3時の公演チケットを1万ウォンで販売して、代わりに一緒にいらっしゃるご両親のうちの一人はただで入場できるようにする計画です.”
その他に、ブランドセールという戦略を立てている彼は、既にある業者と共に‘NANTA’ゲーム機を開発した.
また、帽子, Tシャツ,
キーホルダーなど、キャラクター商品を作って、市販を控えていて,
洗濯機製造業者とも協議中だ. こういう趨勢ならば、何年か後、‘NANTA’の企画社であるPMCが、文化商品では初めてコスダックに登録される事が現実化するだろうと気炎を吐く.
最近、彼は、97年5月‘NANTA’初稽古を始めた後からいままでの損益計算書を作ってみたという.
それで、計30億ウォンの収入から所要費用23億ウォンを引くと、演劇一つで7億ウォンを儲けたという計算になった.
もちろん、専用劇場を用意しながら、2年間の賃貸料3億6千万ウォンなど、10億ウォンを投資,
再び赤字になったが、韓国の演劇界の現実を勘案すれば驚くべき成果だ.
なんであれ、彼は演劇にお金をみんな,
いや、それ以上を再投資してこそ気がすむ人物だ.
“金持ちになろうというのなら、既に演劇界を去っていましたよ.
96年、ミュージカル <コレサニャン>を公演したのですが、舞台セット費用だけで8千万ウォンでした.
当時、私は保証金1千万ウォンに月家賃80万ウォンのアパートに暮らしていたのに、公演が赤字で終わった後、わたしの家よりも高いそのセットを壊すとき、涙が出ましたよ.
演劇界を離れれば、金持ちになれたかもしれないけれど、私が望む仕事をすることで得る幸福を享受することができなかったでしょう.
私を見て、‘何故、自ら要望して屈曲した生活を送るのか’と尋ねる人々もあるのですが、それでもわたしは、自分の生き様に満足です.”
“私たち夫婦について飛び交ううわさを聞いて、笑ったこともあります”

彼は<若さの行進>のMCで人気絶頂だった85年,
父の事業失敗による虚無感に耐えることができなくて、同い年のフィアンセのパク・チャンシルさんと突然アメリカ留学に渡った.
そして、88年の帰国後から、お金や人気とは道が遠い演劇演出家の道を黙々と歩んできた.
“父の事業失敗で、それまで私が稼いでいたお金が一瞬にして吹き飛んで行って、‘お金が人生の全部ではない.
もっと遅くなる前に、広い世の中を見よう’という気がしました.
いざ留学の道に上がりながらも、‘私の行動は果して正しいのか’と心配しましたが、いまでは、とても賢明な決断だったと考えています.
万一、その時、わたしの目でニューヨークの文化とブロードウェーの劇場街を見なかったら、決して世界市場を狙った‘NANTA’のような作品を構想することができなかったでしょう.”
いままで、自分を信じて借家を厭わない妻に有り難みを伝えるソン・スンファン.
結婚14年経つ両者に子供がないからなのか、不和説,
別居説が飛び交ったりしているが、彼は“私たち夫婦の愛情には、少しも異常なところはありません”と、釘を刺した.
“むかし、分別がなかった時は、マスコミに頻繁に妻を公開することもしたが、いまは本人も願わず、わたしも嫌いですよ.
それで、そのようなうわさが出回るのかもしれないですね.
わたしたちは、とても平凡な夫婦です。 妻は専業主婦ですよ.
衣装の勉強をしたせいなのか、美的感覚が格別ですが、生活することの方がもっとおもしろいんですって.
一時はカン・スジとの艶聞説のために、私と妻,
そして、スジが腹を抱えて大笑いしたことがあります.
私がカン・スジのデビューアルバムを製作したのですが、実は、スジは妻が米国で直接ピックアップした友人なんですよ.
今でもスジとはたびたび安否を伝えて、兄と妹の仲で過ごします.”
現在、KBSラジオ<文化日記>を進行中の彼は、イ・スンジェ,
ユン・ヨジョン, ユン・ダフンたち、以前、ドラマ<沐浴湯(註:銭湯)の人々>に出演した演技者たちと時々交流し、早朝ゴルフを打つことが唯一の趣味だという.
俳優が天職だが、キャスティングされて初めて演技ができる受動性が嫌いで、製作者兼演出家になったという彼に、舞台はいつでも戻らなければならない故郷だ.
それで、彼は製作者としてどんなに忙しくても、良い役が与えられれば、いつでもTVや舞台に立つつもりだ.
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