97年4月2日号
週刊Hankyoreh(ハンギョレ)21
性の 被害者 性の 復讐者
・ハン・ミンホ記/ 漫画評論家 |
1990年 夏の ある日 <スポーツ ソウル> 編集部には いくつかの 社会団体等の 名義 で書簡が 配達された. それは 連載中の ペ・クムテクの 成人漫画<ビョン・クムリョン> の 掲載中止を 要請する 強硬な 語調の 抗議公文だった. 仮に 掲載を 中断 しない 場合には 広告主らに <スポーツ ソウル>に 広告を 掲載しないよう要請し、広告を 掲載する製品に 対しては 不買運動も 辞さないという内容が 付け加えて あった. 漫画 一篇のせいで新聞に 広告が つくかどうかの危機を迎えたのだ. 漫画 一篇の 威力を 実感する 瞬間であった. いまや <ビョン・クムリョン>は 首都の 話題となっていた. 私達の社会が 事実上に タブー視してきた性問題を 正面から扱った この 漫画は大胆で刺激的な表現で, 男子読者等の 末梢神経を 刺激した. 読者の 関心と 歓呼 誠意 の数値が 高まるほど ペ・クムテクに向けて 浴びせられる飛び込む 淫らな低俗作家という追及は やはり 比例した. <ビョン・クムリョン>掲載中止を 要請する 社会団体等のピケまで あった. 自身の 作品に対する 作家 の 名分と 論理は もちろん あったが 漫画用紙 と ペンを 盾にしていた ペ・クムテクは 空を 真黒に 覆って 飛んでくる 非難の 矢に 耐えられなかった. 新聞社や 読者など はじめから 後援軍の 救援を期待できる 境遇ではなかった. ペンを 降ろす ことでペ・クムテクは 降参調印式と した. 9ケ月 で <ビョン・クムリョン>は そのように 突然 幕を下ろした。 漫画 一篇の 生命は 漫画家自身の 恣意的な 選択によって 決定し大きくするわけではないとの 事実を 確認させた事件だった. <ビョン・クムリョン>の 叙事構造は 後日箪を 容易に 察することができるという 点など、確実に 通俗的なところである. 私たちの周辺でいくらでも 発生しうる 事件を 設定することによって 読者の 接近が 容易に した ことだ. 九千洞 山奥の 18歳になった 生娘 ビョン・クムリョンは ソウルから ハンティングにきた 五名の 男たちによって 性暴行にあう. 村に この うわさが立って 侮辱を受けると ビョン・クムリョンは 農薬を 飲んで 自殺を 試みる. 自殺に 失敗して やけくそになった ビョン・クムリョンは復讐をするために 名前も, 顔も 知らない そいつらを 探すために 上京する. ソウルで会った 男たちによって 人身売買の 巣窟に 閉じ込められて あらゆる苦痛を経験する. ここまでの 事件 展開は 私達の社会で 性暴を受けた 女子が 置かれている普遍的な 環境に 依存している. 周囲の人々から 保護を受けて 同情を受けることは もちろん あたかも 被害 当事者の 誤ちであるかのような 偏見に 苦しめられる. こういう 状況を 耐えきれずに 自殺を 図るけれど 大抵は その 意図を成し遂げられない. それで 性 暴行の 被害者という頚木を 背負って そのまま 生きたり、 それを とうてい 耐ええることもできなくて 赦すこともできない 時 復讐を決意する. 性暴行は 男性 中心の 価値観が 支配する 私達の社会の 矛盾と 不条理が極大化して 現れた 最も 代表的な 現象だ. キム・ブナム 事件 が同じようなものとして良い 例だ. 私達の社会が、 被害者であり 追い出された 女性を どのように 放置してきたのかを 克明に 見せる 事件だ. 丁度 キム・ブナムの 場合ではなくても 私たちが 他人の生に すこしでも 愛情を 持って 足を 入れば そのような 場合に たまに 会うことができる. ビョン・クムリョンは 実際 そのような 場合を 陥り、 熾烈に 復讐を 夢見た ある 女性を モデルにしたものである. しかし 性暴行 加害者や 被害者は 皆 匿名で暮らすこの社会で 復讐は 容易なことでない. ビョン・クムリョンが 執拗に 復讐の 意志を 燃やすことができたのは それが 漫画であった ゆえに 可能だった. ビョン・クムリョンが上京した 理由は ひたすら自身を 性暴行した 男を 探して 復讐を遂げる 一念のためだった. しかし ソウルという 怪物は ビョン・クムリョンが人身売買犯に捕えられて 監禁されたまま 人間 以下の 苦痛を 体験するように 強要する. 迂余曲折のはてに セックス道士を 自任する 変態性欲者の老人 ビョン・スバルを知るようになる そして意外に それから 最高(?)の 女子になるための 特別授業を 受ける . 刺激的で 露骨的な 表現でつまった 冷たい 授業内容は この 漫画を 淫らの どん底に 押込んだ. 一方には 漫画家が 表現できる 限界の 枠組を 修正するようにする 直接的な 契機になることもした. しかし この 作品は 性に対して 社会的側面が 去勢されたまま 取りあえず 本能的な 行為にだけ 一貫するというほど性の 本質を 歪曲した 不純な 漫画では ない. この 作品は 突然に 与えられた 物質的 豊饒に 快楽と 欲望 に 没頭した 私達の社会(われらは シャンペンを あまりにも 早く さく烈させた)の 歪んだ 断面を 集約させた 社会性が 強い 作品だ. ビョン・クムリョンを 通じて 見るに忍びない世の中を 見せることによって ペ・クムテク自身の この 作品は 深刻な メッセージを 隠している. 性に 対する 男たちの 二重人格と 偽善に対する 反省を 事実上に 促したり お金で愛を 好きなように 買える 物質主義が 横行する この社会を 皮肉ることもした. 漫画の 主題としては 歓迎を受けられない この 辛い 話の種を 易しく 与えるために ペ・クムテクは セックスという糖衣錠を 使用した. しかし 憤怒した 社会団体らも くすくす楽しんだ 読者らも ひたすら 糖衣錠の 甘みにだけ 執着し、糖衣錠の 中の 効用は 全く 念頭に 置かなかった. なぜこうなったか、それは ペ・クムテクの 責任だ. Copyright ハンギョレ新聞社1997年・4月・2日 |