97年6月29日SPORTS SEOUL

中日の守護神 宣銅烈 "お母さんの霊前に栄光を捧げます"


中日の守護神 宣銅烈が心で泣いた.
宣銅烈は、その間、胸に深々と仕舞い込まれていたお母さんを回想して、 "お母さんとの約束を守れて幸運"だと、そして一歩遅れて目がしらを赤らめた.

宣銅烈は、国内ファンの期待を裏切って、昨年は最悪の成績を残したまま帰国したが、母親の墓地に立ち寄り、酒杯を置いて激しく泣きながら、"来年には良い成績を取り戻してみせる”と硬い決心をしていた.

当初、予定した国内での新年休暇をあきらめて、急いで年末に 名古屋に帰ってきて`白衣従軍'の精神で新人のような訓練を消化していたことも、結局、お母さんの激励と叱咤のおかげだったということだ.

宣銅烈自らも、自身の完壁な復活に目を丸くして驚きながらも、"私が今年、このように良くできたのは、天にいらっしゃったお母さんが見守っていてくれたおかげだと考える"と、お母さんへの切ない懐かしさを隠さなかった.

4月4日、名古屋ドームでの開幕戦で救援に 出て暴投をしても、審判の`判定 ミス'で幸運のセーブを得たことでも、読売戦で初めて失点をしても、救援に成功し、自信をつけることができたのも、皆故人となったお母さんの魂によるものだ.

28日、名古屋ドームで開いた中日-読売戦を終えて、名古屋市内の韓国食堂で宣銅烈と共にしたヘッテのチェ・ユンボム理事は、宣銅烈に"今、君の父親(75ソン・パンギュ氏)が、君の家族が帰国しても気楽に過ごすことができるように家を新しく直していらっしゃる.

君の近況もちょっとは知っていなさって…"と、家族の消息を伝えて、"健康な宣銅烈の顔を見たから、これ以上、話は必要ない”と喜んでいた.崔理事は宣銅烈が日本にきながら、自身の家を市価より安く買い、"宣銅烈の幸運は続いている"と、有り難みを伝えた.

96年1月、中日スプリングキャンプに合流するために日本行の飛行機に乗り込む直前、最期の病床にあったお母さんの言葉は、いつも宣銅烈の胸に雷のようにこだまを打っている.

"あなたは、もう私だけの息子ではない. 大韓民国の息子であるから、行って熱心にやり遂げなさい."






名古屋=カン・シンムン特派員