97年11月17日SPORTS SEOUL

現場メモ-日本ワールドカップ進出と共同開催


日本サッカーが千辛万苦の末にワールドカップ本戦チケットを握った. 2002年ワールドカップ共同開催国の韓国として祝うことだ.これまでにも日本サッカーが挫折しそうだった時には、共同開催不必要論まで台頭する等、今回の98フランスワールドカップ大会予選は日本で史上最大の注目を引きながら逆向きの影も大きい.

特に16日、イランとのマレーシア決戦を控えて日本社会全体が過度に過熱した雰囲気に没入したため、"こういうことでは、敗れたらその後遺症をどうやって耐えられることか"という憂慮の声も少なくなかった.幸い、勝利の非常に甘い果実をもぎ取ったおかげで、16日深夜まで日本列島は北海道から沖縄に達する、まさに興奮と熱狂で溶鉱炉のように盛り上がった.

日本が4年前 `ドーハの悲劇'当時たまたま東京で取材中に、号泣と悲痛に貫かれていた日本の様子を打電した記憶が生々しい記者としては、感慨がいっそう濃い. 93年、Jリーグ スタートと大成功,そして無残なドーハの惨劇でサッカー人気の急激な没落….

とにかく、日本は9月28日東京国立競技場で韓国に痛恨の一撃を受けてさまよっていたが、11月1日ソウルで韓国を補薬にして活気をとりもどしたおかげでイランとの血戦を終わりまで粘ることができた. 日本としては、44年間で初めてワールドカップ本戦進出の歴史的瞬間を迎えると同時に韓国との2002年ワールドカップ共同開催に向かって肩を並べて出ることができる名分を得たわけだ.

韓日両国は、来年のフランスワールドカップ大会で戦うことも重要だが、韓国と日本両国が2002年大会のために途方もない資金と人材を動員することになる山積した難題を着実に解決して、史上始めてワールドカップ共同開催を史上最大の成功的大会に昇華するための踏み石を作っていかなければならない.






名古屋=カン・シンムン

韓-日 パリでワールドカップ "2次大戦"


同伴者であり競争者-. 2002年ワールドカップ共同開催という一つの船にを乗った韓国と日本が98フランスワールドカップに並んで進出,2002年ワールドカップ広報競争がフランスワールドカップを舞台に熱く火がつく展望だ.

結局引分けに終わったが、既に熾烈なワールドカップ誘致戦で、一度サッカー自尊心競争を繰り広げた韓国と日本だ.アジア最終予選でいち早く本戦行を確定して、極東サッカーの盟主であることをもう一度世界万国に誇示した韓国と、これに遅れをとるまいと、16日中東の強豪イランを制圧して本戦進出に合流した日本は、現在の熱いサッカー旋風をそのまま2002年まで生かせるという考えだ.

こういう点で、98フランスワールドカップは、世界サッカー列強の熾烈な勝負になる程、韓日間の2002年ワールドカップの広報舞台としてより一層熱く盛り上がる展望だ.

ワールドカップは、既にオリンピックを凌駕する熱気と、それにしたがう経済的波及効果を誇る.ワールドカップが単純なサッカー祭典ではなく、政治・経済・文化等、色々な分野に影響を及ぼす超国家的な巨大行事になった以上、韓国と日本はワールドカップ共同開催国だが、ひとりでも多く観光客を誘致するという考えで地球村の隅々を攻略することが明らかだ.

ただ、国際サッカー連盟(FIFA)が、98フランスワールドカップまでは韓日両国が過熱広報競争を自制して、ワールドカップ広報展示館も共同で運営することを要請する等、すでに行き過ぎた広報競争を自制させる雰囲気だが、既に韓日間の本格広報競争は開始したと見なければならない.

さる8月に構成され、9,10月東京とソウルを行き来して開いた、広報実務者の集いの広報小委員会(委員長 朴キョンジン)は来る19日にも東京で第3次会議を開く等、広報も両国協力の時代が開いたが、これは広報物製作でも、広報行事等に
限定されるので、両国間の水面下での競争は日々熾烈になることが明らかだ.

2002年ワールドカップ組織委員会や大韓サッカー協会もFIFAの提案に大きく逆らわないで、日本に直接的に影響をおよぼさない範囲内で、譲歩せずに質で勝負するという基本計画を樹立して、本戦組合せ抽選日(12月4日)でも、代表チーム評価試合を開いて、98フランスワールドカップで積極的な韓国宣伝を行う方針だ.






イ・ウォンハン