'口'と'脚'だけで走る無店舗フリーランサー
陽光のない地下鉄構内で、今日も取り締まり班の目を避けて物を売っている人々. かげろうのような生活の空しさにため息をつきながらも、彼らが地下鉄構内を離れることができないのは、それでも食べていけるお金を稼ぐことができるからだ. IMF以後、ますます増えた、地下鉄行商の内情を注意深くみてみよう….
イ・ナリ フリーライター
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午後4時, 地下鉄1号線のある客車の中. 五十歳前後のおばさんが、最近おおいに人気を呼んでいる‘ピカチュー’(漫画映画‘ポケットモンスター’の主人公) キャラクター時計を売っている.
“可愛くて、おませで、ちゃっかりしているピカチュー時計です. 近所の文房具では4000ウォンで売っているものを、何と、1000ウォン札一枚で結構です….”
一日中叫んだせいか, 声は既にかすれている. 乗客たちは、物に関心を見せながらも、おばさんと敢えて目を合わそうとしはしない. ただ紙幣を差し出して、ビニールで包装された時計を受けとってあちらこちら注意深くみるだけ. おばさんもやはり意に介さない表情だ. その口は回り続け, 手は手で忙しく動き回る.
どこに隠れていたのか, 突然、公益勤務要員3人が現れる. 雑商人取り締まりだ. 一瞬、おばさんの顔がひどく歪んだ. 短い悶着の末、電車が停まって、公益要員たちは、彼女を取り囲むようにしたまま、電車を抜け出した.
少しの間、好奇心の無邪気なまなざしを送った乗客たちも、まもなく普段の落ち着きをとりもどす.
乗客たちにとって、地下鉄行商は、このように全く他の世界, 正直言って、決して関わり合いになりたくない‘一段階 下’の、全くのっぴきならない羽目に陥った異邦人であるだけだ.
しかし、地下鉄行商にも生はある. 妻や夫, 子供達があって、生計と暮らしが存在する. 首都圏 電鉄で活動する250余行商人の手で、一日3000万〜4000万ウォンの現金が動く. 彼らによって起死回生する中小企業があり、より多くの数の商人と小規模流通業社が命脈を継続する.
彼らは生活用品市場のヒット製造機でもある. 地下鉄で生き残った商品は、生命が長い. 庶民の鋭い目が、その品質と価格を‘検証’そして、‘認定’するのだ.
私達の社会の‘堂々とした’ 経済活動人口だ. しかし、常時当局の取り締まりと客たちの意図された無視に苦しめられる、地下世界の不法滞留者たち. 例外なく、陽光まぶしい‘地上での生’を夢見る彼らは、だれか.
“10名中 1・2 名は大学卒業者”
たった今公益要員たちの取り締まりにかかって3万ウォン‘紙切れ(註:違反チケットのことか)’をとらされたおばさんは、今年 四十九歳のAさんだ. この前の春まで、彼女は‘うまく行っていた’遊興業所の社長だった. 個人所有の家も二つあった. しかし、類例ない不況の寒波は、彼女がそれまで作り上げてきた全てのものを一瞬にして持って行ってしまった. すぐに、食べて生きるために布帳馬車(註:ポジャンマチャ.ビニールシートで囲われた屋台)を始めた. 思うようにならなくてね. 屋台もやってみたよ. やはり難しかった. さる7月, 偶然、生活情報誌で‘無資本, 月収150万ウォン保証’という広告を見た. 前後のことを考えもしなかった. すぐに電話をかけて訪ねた. 東大門のある小規模流通事務室. そのようにして、彼女は‘キアバイ’(地下鉄行商を称する隠語)になった.
Aさんは典型的な‘IMF型’キアバイだ. 97年末, 大不況が韓国を強打するまで、キアバイの世界は極めて閉鎖的な一種の‘組織’だった. 地下鉄一路線を、5人程の行商が独占した. 彼らの間では、年齢, 経歴にともなう上下の秩序が徹底的に守られた. わけもわからずに入り込んで来る流れ者はなにも頼ることができなかった. 時々力強い新参が登場すれば、例外なくげんこつの挨拶が行われた.
独占販売網に持続的な経済成長で現金がありあふれただけ、商売はだいぶよくなった. 取り締まりも、今のようには激しくなかった. 真っさかりに景気が良かった時は、1人当り一日の売上げが30万ウォンをはるかに越えることもあった. 人々が1万ウォン札一枚を1000ウォンのように使った時期だった.
当時、地下鉄行商たちには、独自の自尊心があった. 商売に行く時は、正装の姿にネクタイを結んだ. ‘タンカ チギ(註:韓国語の読み通り)’(製品に関する説明をすること)など、各々個性があった. 一般的に、今より説明時間が長く、内容も充実していた.
地下鉄行商たちの間で‘タンカの王’と呼ばれるT氏. 経歴8年の彼は‘勉強するキアバイ’として有名だ.
“例えば、竹の鍋敷きを売るつもりならば、まず、竹と関連した本を何冊か読むものです. 竹は何故容易に焦げないのか, 乗客たちに教えるだけのことはある話を注意深く探しますよ. 商売を始めた後で乗客たちが投げる質問をよくかみくだいておいて、また使います. ‘よく焦げるのではないか’という質問を受けたら、次回には‘この鍋敷きは絶対に焦げません’という言葉で先手を打って入っていくわけですよ.”
‘タンカをよく打つ’とうわさが立つので、その内容を書き留めたり録音して, はなはだしきは‘やりかたを教えてくれ’などと後を付けまわすような人々も出てきた. 力がある声に、すっきりとした外貌, 製品説明がとりわけ耳にすっと入るようであれば、十中八九、彼は‘全盛期’から厳しい自己訓練で仕事のノウハウを積み重ねてきた古参キアバイである.
‘地下世界’が絶頂の好況を享受していた97年末, いわゆるIMF事態がさく烈した. 途方もない数の失業者たちが道に溢れ出た. 彼らの中の一部は、資本も, 店舗も必要のない地下行商の世界へ目を向けた. ‘私に石を打って、私の子供たちを助けてください’という、涙ぐんだ呼び掛けの前では、最古参たちの殺伐とした態度も効果がなかった.
これから国鉄と地下鉄 1〜4号線, 都市鉄道 5〜8号線等には、路線ごとに10人, 多くは40余名のキアバイたちが活動している. 大多数は路線を定めておいて乗り降りするが、あちらこちらと渡り歩く者も少なくない. 服装も様々, 時々、スリッパに作業服という者も目につく. 2年前までは想像さえ出来なかった ‘無秩序’だ.
もう一つの大きな変化は、女性が多くなったという点. 彼女たちの中には、男に劣らない実績を上げる者もある. 総じて、息子のために苛酷に心に決めて走る. からだが痛くても、鎮痛制を何錠か飲んで、目標値達成までは現場を離れない彼女たちは、その世界で尊敬を受ける‘プロフェッショナル’だ.
高学歴者も小さくはない数が増えた. 経歴2年のある地下鉄行商は、“10人中 1・2 名は大学まで出た人だ”と話す. そのうちの相当数が、昨年量産された事務職失業者たちだ.
“大企業の課長をやっていたのが、株で退職金をすべて飛ばして、ここにきて一日儲けて一日食べて生きているおじさんもいます. 前職は、牧師, 中小企業の社長, 公務員や数学講師出身もある…. その人たちが, このようにして生きることになるなどとは、以前は想像もできなかったことではないですか?”
地下鉄行商の‘背後’流通事務室
地下鉄行商に物を供給する流通事務室は、総じて‘○○流通’という看板を掲げている. 東大門駅附近に密集していて、シンソル洞, チェギ洞, 清涼里, 教大駅 附近, 聖水駅等にも少しずつ散らばっている. 規模が大きい7社を含む,20社程度が盛況中だ.
ここですることは、言葉そのまま‘流通’だ. 以前は、東大門PR商店街(業者の販促用にたくさん使われる小型生活用品を取扱う商店街)や在庫を抱える中小企業, 電子商店街等から物を購入していたが、最近は大部分が中国産輸入品を取扱う. 原価を最大限低くすることができるためだ.
かと言って、単純に‘そこにある物をここに持ってくる’方式の輸入は多くない. 総じてキアバイ出身の流通事務室社長たちは、市場に出ている国産生活用品をとく見て、そのうちの可能性のある製品を選択し、中国専門の商人を呼ぶ. 社長の注文は簡単だ. 最大限に安い価格で、全く同じ製品を作ってくれということだ.
商人は、その製品を持って中国に渡っていき、工場を物色して価格を合せた後、注文をする. 必要ならば、一部の部品は韓国や日本等から輸入して使うこともある. 一度に作るのは5000個, 多くて2万〜3万個単位で、生産された製品は商人によって釜山港や仁川港の税関をたどり、流通事務室に直送される. 注文から物の到着までにかかる時間は、概略15〜20日. 供給処では、不良品を選び出し, 包装などの事後作業を終えた後、製品を市場に出す.
製品の販路は、総じて3種類だ. 地下鉄, 露店, そして、他の流通事務室だ. ‘大ヒット’をさく烈させようとするなら、何よりもこの三番目の販路, すなわち流通事務室が関心を見せなければならない. ピカチュー時計を例にしてみよう. ある流通事務室でこの製品を作って、市場 解き放っていた. ところが、反応が あまりに良く、他の 製品の販売率を上回り始めた. すぐに作って売りたいけれど、どうにもならない. 方法はひとつ, 最初に作った流通事務室から物の供給を受けることだけだ. 製品販売の寿命が長くもっても 1か月を越えることができないことも、新しく注文が出来ない理由のひとつだ. 最近の2〜3年の間、流通事務室の数が多くなりながら、それだけ競争が熾烈になって、客の要求も日毎に難しくなっているためだ.
東大門で流通事務室を運営しているS氏は“自ら適正な品質の生活必需品を庶民に安い価格で供給しているという自負心を持っている”と話した.
“地下鉄では1000ウォンだが、デパートに行けば5000ウォンで売られている物が明確にあります. 私たちの製品には、中間マージンというものがありません. 原価が非常に安いうえに、工場, 流通事務室, キアバイに連結する線が、製造、総販売, 卸売, 小売りという方式で流通しているものとは次元が違いますよ. 品質に問題が多いという 指摘もあるのですが, 率直に言って、その値段なら買っても安い、適当な物ではないですか?”
もちろん、流通事務室によって製品の品質から管理状態, 物を選択する見識等に大きな差が出ることも事実だ. 季節によって, あるいはきめこまかく、一日の内にも時刻ごとによく売れる物を選ぶ、センスのある所があるかと思えば, 高くて質の悪い物で手抜きをする事務室もある. そのため、これらの事情に明るい古参たちは、流通事務室の選択にも慎重を期する.
彼らと流通事務室は、どのように連結して、どんな方法で利潤を分配するのだろうか. 流通事務室側からキアバイを募集する方法には、大きく2種類がある. 知人を通じたり、生活情報誌等に広告を出す. そのようにして訪れた人の中から選んで、物を任せる. 新参が入れば、社長が直接出たり他の古参を出して担当区域を決めて、他の流通事務室所属キアバイたちと摩擦が生じないように事前調整をする. まさに、このような役割をしなければならないために、キアバイ出身でない社長が流通事務室を運営するのは難しいという話も聞こえる.
彼らは主に、朝方、流通事務室に立ち寄り、その日売る商品を置いて行く. 商売がよくなったり、体積の大きい物ならば、一日2度ずつ立ち寄ることもある. 日課が全て終わると、売上額中の自分の持分のお金を取った後、残りを事務室口座に入金させる. 売れ残った物は、毎晩数字を合せて返却することを原則とする.
利潤分配は徹底して5対4対1でなされる. 原価が5, キアバイ持分が4, 事務室持分が1だ. と、いうことは、1000ウォンの製品ひとつを売る場合、その内の400ウォンはキアバイに, 100ウォンは事務室が得るということだ. ちょっと見ると、キアバイの持分がだいぶ大きいようだが、実際はそうでもない. 取り締まりにかかって罰金が賦課される場合、あらゆる責任を負うのは彼らだ.
“時々、古参が物を持って逃げてしまう時があります. だいたいはいろいろな言い訳をして、入金を何日か先送りした後ですね. 私たちは人だけを信じて、現金と物をすべて任せたなのに…. 激しい背信感を感じる時もあるけれど、敢えて探そうとはしませんよ. それほど多量の金でもないし、それまで両者が培ってきた情けで、その人が稼いでくれたお金を考えて耐えるだけですよ.”
S氏の話だ。
美貌の相棒‘アンテナ’たち
キアバイの一日は、路線ごとに決められている‘搭乗起点’に到着することから始まる. 1号線はソウル駅と東大門駅, 2号線は建国大入口駅, 3号線は忠武路駅と教大駅, 4号線は東大門駅と會賢駅, 5号線は鍾路3街駅が集結点だ. 乗降場の中ほどで並んで待ったじゅんに電車に乗る.
同じ路線だからといって‘営業環境’がみな全く同じわけではない. 乗客があまりにも多くて騒々しければ、タンカチギ(註:口上)が難しく, 反対にあまりにも穏やかなら、静かな雰囲気を破ったという理由で毒々しい眼差しを受けることになる. 客車中に乗客がチラホラ立っている程度が最も良い. それで、その条件によく合う電車が入ってくれば、身の振り方の難しい新参は自分の番でも古参に順序を譲歩することもある.
数が少なかった時期には、順序の待機時間が必要ではなかったが、路線ごとに商売人があふれ出ている最近は、一度車に乗ろうとすると、一時間以上毎に待つ日もある. そのため、待機時間を減らすために電車一本に2人が乗り込む便利な方法も使用する. 列車の中間地点から一緒に乗った後、それぞれ反対の方向に進みながら物を売る. 始めの車両から最後の車両まで総なめにしていたむかしに比較すれば、どうしても売り上げが落ちる.
ソウル駅から搭乗した1号線キアバイたちは、たいてい清涼里駅までを行ったり来たりする. 東大門駅から搭乗するもう一つのチームは倉洞駅までを往復する. 2号線は建国大入口駅を起点にしたチームは弘大入口駅, またあるチームは驛三駅方向に動く. 3号線の黄金コースとして忠武路駅から教大駅, 4号線は會賢駅から南テリョン駅の間が選ばれる. 新しくできた5号線の場合、鍾路3街から空港方面にわたる広い地域を自由に流す. 路線が長い2号線で仕事をする人々が最も多い.
地下鉄行商の出勤時間は、たいてい午前10〜11時だ. もちろん、勤勉な人は午前9時頃から商売を始めることもある. 正午から午後1時までは見逃せない黄金時間帯. 取り締まり要員たちの昼食時間だと、どうしても監視がお粗末になるためだ. 1時を越えると、食事のあとのために寝る乗客が多く、また、夕方ならば退勤 ラッシュアワーが開始し、実際に商売できる時間はそんなに長くない. それで、普通は午後5時には荷物を返して退勤をするのだが、執ような行商たちは夜10時, 11時まで乗降場を離れずに自ら定めた売上額を満たそうと、あらゆる努力をする.
起点駅で注意深くみれば、キアバイ仲間の間に、すっきりと着飾った女性たちが何人かいるのを発見できる. キアバイたちの妻または親戚が大部分の彼女たちは、名付けて‘アンテナ’. 別名‘コース’ともいう彼女たちは、自身の相棒のキアバイが商売をする時、サクラの役割をしてくれたり、取り締まり員が接近しているか見張っている. アンテナを連れて通うキアバイは、単独で動く者に比べて商売の手腕が飛び抜けた古参であるとか, 生活力の強い妻を持った若者達だ.
アンテナのありかたにもノウハウがある. 乗客たちの間に適当に混ざっているキアバイが口上を言うと、自然に物を買う. 他の人たちに‘買いたい’という欲求を呼びおこすことが主な任務であるので, 物を買うところをできるだけ多くの人が見ることができる位置を選定する. キアバイが隣の車両に移れば、アンテナも動く. サクラをやる時々に、近くに取り締まり員がいるのかを綿密に注意深くみて, 危険だと判断したら、いちはやく信号を送って商売をやめさせる.
今年33歳のYさんは、2年前から夫のアンテナをしている. 二人の子供を保育所に任せて、午前10時から午後遅くまで熱心に動く. 処女のようにスマートな体つきに洗練された服装だが、内心はそんなに明るくはない.
“率直に言って、厳しいですよ. 肉体的にもそうですし, 家長である夫が毎日あちこちで捕まる姿を見るのも苦しいですよ. 1ケ月一生懸命に稼いでも、子供の保育所費45万ウォン, 家賃25万ウォンと払えば、ほとんど残りません. 貯蓄ですか? 夢にも見れませんよ. 子供たちは大きくなっていくのに, 将来が真暗ですよ.”
Y氏のしゅうとは、就労事業場で仕事をしている. 婚礼の式も、初めての子供を出産後、一歩遅れて行った. 皆が全てそのようなことではないが、この世界に飛込んだ彼らは、概してこのよう何も持たない人々だ. それも、独身者であったり新婚である時は、結構耐えられるものだが, 子供が一人二人とでき始めると、経済的難しさによる争いがどうしても頻繁になる.
中には、ストレスを耐えられずに、酒と賭博の世界へと陥る者もある. ストレスの原因は大きく2種類. 日常的な雑商人取り締まり, そして未来に対する不安感だ.
二日に一回ずつ罰金3万ウォン
地下鉄当局の目で見るならば、彼らは駅の秩序と快適な乗車環境を妨害する‘癌のような’存在だ. 彼らを取り締まる法的根拠は、鉄道法第89条. 駅舎及び電車内で物品を販売して摘発された場合には、3月以下の懲役か5万ウォン以下の罰金または拘留, 科料を賦課できるようになっている.
最もよくあるのが、いわゆる‘紙切れ’で通じる、3万ウォンの科料. 二日に一度程度は間違いなく取り締まりにひっかかるために、キアバイたちはこの3万ウォンをはじめから‘原価’として片付ける.
“とても一生懸命に走って1000ウォンの物を200個売ったとしましょう. 計算通りならば、とりあえず8万ウォンは儲けたことになります. ところが、ここで、紙切れの値段3万ウォンを引いてみてください. それさえも、商売にならない日は、一日中脚を使って仕事をして、顔を売って国庫だけを儲けさせていることになるでしょう.”
経歴3年のベテランB氏の説明だ. 取り締まり要員たちに‘悪質’だと決め付けられて、即決で連行されたり、拘留されたりすれば、事態はより一層深刻化する. 即決は二日, 拘留は厳しい場合は30日まで商売が出来なくなることを意味する. 一日稼いで一日食べて生きる彼らにとっては致命的なことになりかねない.
“大抵の人々は私達がいくらかの大金を儲けていると思っています. 現金のやり取りをしているところを見て、そんな感じがするのでしょう. でも、中身は空っぽなんです. とても一生懸命に働いて、紙切れの値段を差し引いて、一日6万〜7万ウォンずつ稼ぐといっても、毎日仕事ができるというわけではないんです. まず、首が痛んでできないです. 空気が悪いために、いろいろな病気にもよくかかります….”
もちろん、同じキアバイでも、誠実さ, 口上の能力, 取扱う物の種類によって収入の規模が大きく違う. 1ケ月70万ウォンの力の無い人があるかと思えば, 1万ウォンの小型カセットを売って月250万ウォン以上の純収益をあげる夫婦もある. 妻の老練なアンテナ効果が大きい役割をする場合だ. しかし、大多数は月平均100万ウォン程度を家に持っていくことで満足しなければならない. アンテナもなしで1ケ月150万ウォン稼ごうとするなら、午前9時から夜10時まで休みなしで動かなければならない.
“なによりも、取り締まりを避けるのが一番大きいことなんです. 一日3万ウォンが行ったり来たりするのですから. 逃げ惑う私たちも必死だけれど、追いかけるその人たちも頭を本当によく使いますよ.”
おもしろいのは、キアバイとして無条件に追い出したり連行することはできないという点だ. 無賃乗車をしたのでもないのに、売る商品を持っているという理由だけで法律違反者の取扱いはできないのだ. 客車のなかで口上を打っていたり、お金をやり取りしている時にだけ取り締まりが可能だ. これを誰よりもよく知る彼らは、口上を打ちながらも、気配が異常に見えればいちはやく隈に物の箱を押し込んで、その上にどっかり座り込む. ‘私は今、商売はしなかった’という表示だ.
取り締まり班にしても、じっとしているわけではない. どうにか行商たちが感づくことができないように接近. 現場を捕捉するために、各種方法を動員する. 最もたくさん使われるのが、待ち伏せ. 走ってくる電車に一番最初に出会うことになる乗降場の柱や階段が主要な掩蔽物だ. 駅に到着した電車は徐々に速度を下げるのだが, この時、過ぎ行く電車の窓を通して、商売に熱中しているキアバイはいないのかを注意深くみる. 電車のドアが開くと、目を付けていた車両に走って行き、摘発する. 列車の一番前のドアと反対のドアから同時に入っていき、徐々に包囲網を狭めていく‘網 作戦’も頻繁に駆使する.
一旦摘発した彼らは、近くの派出所に引継ぐ. 罰則の種類や軽重を決定するのは、取り締まり班ではなく、警察だ. ところが、この派出所まで行く過程が話のように容易でない. 大部分は軽い抵抗の末に、静かに出るのが普通だが, 時々げんこつが 行き来する程頑強に粘ったり、‘助けてくれ’と哀願して一帯を涙の海にする者もあるためだ.
女性キアバイ Lさんは“その日その日の気分によって違う対応をする”と話す. “日によっては、本当に死んでも引きずられたくない時があります. ‘私が盗みをしたり殺人をしたの’と、もがいている時に、悲しみがこみあげて大声で泣いたこともありますよ. その上、最近は丁度わたしの末っ子のような公益要員たちが取り締まりをするので、むなしい気持ちになって、より憂うつになる時が多いです.”
いくらか前までには、取り締まり班の大部分は、年齢をとった司法警察だった. 追って追われる境遇だが、お互い食べて生きるのが難しいことを知っているので、長く付き合ううちに情までわいて, 乗降場で会えばお互いに目礼程度は交わす仲で過ごしてきた. ところが、今年8月から公益勤務要員たちが取り締まり班員として投入され始めると, 11月1日からはいっせいに彼らが地下鉄取り締まり業務を専担するようになった. まだ幼い年齢で、近所のおじさん, おばさんと同じ人々を取り締まるようになった公益要員たちも, 彼らにぺこぺこしながら善処を頼む彼らも, お互い刺々しくて心苦しいのは同じだ.
“人間的によくない人も多いです. ずっと病気にかかっていた子供があると哀しく涙を流した、あるおばさんの姿は長らく忘れられません. 事情があまりにも大変に見えたので‘そういうことは、こうなさりなさい’とお話しして、そのままお送りすもしたのに, 何日か後に同じ場所でまた相対した事が 一二度ではありませんよ.”
今年9月から地下鉄取り締まり班員として勤務中の公益勤務要員K氏の話だ。 乗客たちの二重的な態度も、彼らを困惑させる. “何故、捕まえないんだ”と怒る人がいるかと思えば、“この人たちがかわいそうじゃないか”と大声で叱る乗客もある.
“私たちに与えられた任務が地下鉄の秩序維持だけに、最善を尽くすしかないのです. 人間的な葛藤は、少しの間わきに押しやります. それでも、一日に2度摘発されるとか, あの人は本当にこれ以外にすることがないだろうという場合には、事情が許すかぎり見てやろうと努力しています.”
“この事業も、今はもう終盤”
取り締まりより、彼らにより苦痛を与えるのは、未来も, 発展も期待できないその日暮らし生活の空しさだ. 一生懸命にやっても何かの技術が習得できるわけでも, (暮らしが)正常になることもない. 周囲の視線は冷たいだけだ. 彼らも、自分たちを眺める社会の見解が、詐欺師と物乞いの間のどこかに固定されているということを理解している. ソウル駅で会った、ある行商夫婦は“いっそのこと、もの乞いしようかと考える時もある”という.
“何より、子供達が傷つくかもと思い、恐いのです. もし、友人たちが知ったら、どうでしょう. 朝になる度に、屠殺場に引きずられる牛の心境です. それで、一日でも速く何とかしたいとも思い, また、これくらいでいいから稼ぐことができる仕事があるだろうかと考えてみると、溜息だけが出ます.”
3号線で乾電池の行商をするK氏の場合も同じだ. 五十二歳の壮年だが、遅くできた一人息子がまだ中学生なので、仕事をやめることはありえない. キアバイに出る前は、市場の屋台で製図用紙を切りながら売っていた. 名付けて‘タンカバイ’. 10年少しは余裕のあったタンカバイ生活で、なんとか家計をもたせてきたが、PCが大衆化しながら、切り売り用紙を求める人がなくなってしまった.
初めて屋台をたたむことになった時は、どこかに小さな店でも出してみるかと、妻といろいろな工夫もとても多くした. しかし、ほんのわずかな貯蓄で出来る事業などなかった. 結局、新しく探し出した職業がキアバイ. 大抵の人なら持って10mも歩くのが難しい程重い乾電池ボックスを下げて、午前9時から夜遅くまで空気の悪い乗降場を昇っては下る.
“このようにして、一月死ぬほど頑張って140万ウォンを家に持っていくのですが, 率直に言って別の仕事でそれだけ稼いで学費を払って、生活費を作り出す自信がありません. この年齢で, 技術もない私がどこで、いったいなにができますか.”
結局、数多くの地下鉄行商を地下世界に縛っておくのは‘多くはないけれど、それでも食べて生きさせてくれる’のに適正な金額のお金だ. そのようにきわどく儲けて、1ケ月, 2ケ月を過ごしてみると、いつのまにか、この生活に慣れきっていて、違うことをさがそうという意欲を失うことになる場合もある.
最近では、キアバイ生活の‘長所’を一度に楽しもうという、若い友人たちも登場している. 自分自身のみだけでなく、 弟も同じ生活をしているとJ氏. 二十五歳, すらりとしていた身長に弁舌さわやかな彼にとって、 これは言葉そのまま、すこし色違いの‘金儲け’であるだけだ.
“この職業とは、フリーランサーですね. 仕事をしたい時にして, 休みたい時は休みます. 資本が必要ないから亡びる心配がなくて, 一生懸命にしていればどうにかこうにか食べていけますから. それで、放棄しませんよ. どこかの小さな工場に入って、下っぱから苦労するよりも、なんでも思うままにできる、この仕事が良いのです.”
しかし、新世代キアバイたちが地下鉄の‘水’を変える機会が永遠に来ないかどうかはわからない. ある流通事務室社長は“この事業も今は終盤”とし、“2002年ワールドカップを契機に、ソウル地下鉄での行商は痕跡をなくすようになる”と見通した.
“あの、一時は多かったバスバイ(バス 行商)たちも、今はもうほとんど見られなくなったでしょう. その前に、早く生きる道を探さなくてはね. わたしはずっと流通業に身を置くつもりですが、心配なのは、老いてしまった私たちのお姉さん, お兄さん達なんです.”
本物なのか、にせ物なのか, キアバイたちの間では、伝説のように飛び交う話がある. 日本の地下鉄にも、途方もない数のキアバイたちが活動をした時があった. そういえば、ソウルの地下鉄行商というのも、日本から直輸入された職種だ. 日本政府はが思い付く方法をすべて動員し、取り締まりを繰り広げたが、キアバイたちは消えなかった. 追い込まれた政府が妙案を絞り出した.
“あなた方は食べていくのが難しくて、このようなことをするのですね? わかりました. それなら、一生無料で食べていくことができる道を開きましょう.”
いつからか, 日本ではただ一名のキアバイも見受けることがなくなった. 政府が、彼らはもちろん、その家族まで、みな無人島の収容所に送ってしまったためだ. これ以上食べていく心配も, 地下鉄も, 取り締まり班も, そして自由もない遠くの島に.
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