
《今年の記念行事は、敬謙な儀式の構成を整えたという肯定的意味にもかかわらず、光州の人々には悩みと課題を残した.
「共感の拡大」これこそ、それだ.》
?その日,虐殺者の銃声が止まってから17年.
「5・18」と「光州」が変わった様相を呈してきた.
「内乱暴動」が「民主化運動」に,「暴徒」は「民主闘士」に変わった.
私たちの現代史に、一つの大きい一線を引いた、こういう変化の発端は、外見上、さる4月22日、関係部署長官会議で記念日の指定をはじめとする、5・18関連政府方針を決定したところに見つけることができる.
姜雲太(カン・ウンテ)内務部長官は、この日、『5・18
民主化運動が民主化の歴史発展に寄与した意味を高く評価,その精神を賛えて継承する意味で法定記念日に制定することにした』と、短いコメントをだした.
しかし、この決定の後、裏面では、さる93年、金泳三大統領の5・13特別談話以後、これを成し遂げようという「光州」と、最終的には顔を背けようという「反光州」の間の、長くて鬱陶しい綱引きが厳存した.
全斗煥、盧泰愚の二前職大統領を含んだ12・12及び5・18事件関連者に対する4月17日の大法院確定判決の後に続いたこの措置は、現政府が前面に押し出した「歴史を正す」の象徴的仕上げ手順だ.
5・13特別談話で『文民民主化へ向かった苦難の歴程で、光州民主化運動はそびえたつ峰』であり『文民政府は、光州民主化運動の延長線にある民主政府』だと言及した歴史認識が具体化になったことでも見ることができる.
光州の人々は、この解釈にあっさりとは共感しないながらも、総じて『遅まきながらも、抗争の意味を国家的に認められるようになったという次元で歓迎する』という反応を
表した.
宋彦鍾(ソン・オンジュン)光州市長は、この日『今回のことは、5・18がついに法と制度により公式的に記念され、その崇高な精神が後世に長く継承される出発点を、国家的次元で提示したという点から大きな意味がある』と、歓迎した.
彼は続けて、『このような歴史性を獲得するようになったことは、なによりも光州市民と5月関連団体会員等の弛まぬ闘争の結果』だと、その言を向けた.
しかし、一部の人々は『記念日の制定だけで、5月問題が完全解決になったと見るのはむずかしい』と、犠牲者に対する国家有功者優遇,犠牲者墓地の国立墓地昇格等、後続措置が抜けたことに対する不満をまずあらわにした.
その間5月団体が要求してきた、光州問題の解決原則は、真相糾明,責任者の処罰,名誉回復,記念辞業,賠償等
5項目に集約される.
記念日制定で、「記念事業」全体の品格は決定されたが、細部的には精神継承事業,国立墓地への昇格,全南道庁の移転及び記念公園造成,尚武台記念公園造成等主要懸案は、まだ表面化にならない状態だ.
特に、国立墓地昇格は、法的に犠牲者に対する国家有功者指定問題が、まず和らいでこそ、解決が可能な状況なので、当初の予想より長期間漂流する可能性も高いと見られる.
とにかく、いくつかの細かなコメントだけでは進まなかった、この「小さな変化の兆し」は、5月18日第17周年記念式場で、はじめて実感できる、「大きな変化」に迫った.
光州市内には、「5・18は胸中に民主化をもたらす」「胸ごとに五月精神、心ごとに国愛」等、公式標語を使った大型アーチとプラカードが公式予算を使用して設置された.
まず、参拝客は光州市北区雲井洞の丘陵地に5万坪余が新しく造成された「5・18墓地」に入り、その規模と雰囲気に新鮮な衝撃を感じたと口を揃えた.
事実、僅か数年前までは、当局の監視と封鎖のもとで、粗末でしがない望月洞墓地を尋ねて頭を下げた光州の人々の立場では、まさに世の中の変化を実感することだけのことはある.
金大統領の選挙公約によって始まったこの事業には、国費2百43億ウォン等、計2百86億余ウォンが、かかる.
5月、英霊等の復活と新しい生命の誕生を象徴する意味を込めた、高さ40mの「5・18民衆抗争追慕塔」の後ろに位置した墓地には、
計7百81の墓地が造成される予定.
今回の記念行事は、政府主管下3権府要人、政党代表等、全国各界代表2千余名が公式招請人事で参加した.
参席者たちは、一様に『5・18こそが、韓国民主化運動の決定的転機を作った』と、賛辞と犠牲者に対する最高の追慕の例を表示するのに不満を口にしなかった.
この日の行事は、殉国先烈と護国英霊及び、5・18民主化運動犠牲者英霊に対する黙祷,献花,5・18民主化運動経過報告,奉安所追慕焼香等、順番に終始敬謙で厳粛な雰囲気の中で行われた.
80年代には催涙弾を全面に出して行事を極力阻止したデモ鎮圧の戦闘警察は消えて、代わりに警察楽隊の奏楽が響きわたるなかで、交通警察は墓地周辺で円滑な車両通行を誘導した.
この日の記念式実況は、KBSをはじめ,放送3社の史上初めてのテレビ生中継を通じて全国に放映された.
行事企画及び準備作業を引き受けた光州市は、その間にどんなささいなミスもないように、10余回の会議を通じて点検を繰り返して、実務部署「5・18支援協官室」職員は連日夜勤を厭わなかった.
内務部が主催する、光州での政府記念行事の他に各市・道が主催する地方行事が全国で同時に開催された点も特記するべきだろう.
敢えて正そうとするなら、「史上最大」という修飾語を付けることができるが、光州の人々は、その規模を正すより先に、慣れない、こういう品格の行事に一抹の落着かなさと感激が交錯した表情を、あちこちであらわした.
特に、その年5月、軍人達の銃口に追われて、心の余裕もなく望月洞に息子と兄弟を埋めた遺族たちは、新しい墓地でこういう公式行事を行うという事実も、実に信じられないという表情だった.
大統領招請 霧散
今年、記念行事は、記念日制定以後初めて政府主導の敬謙な儀式の構成を整えたという肯定的意味にもかかわらず、光州の人々には相変らず重くて暗い悩みと課題を残した.
このような悩みは、大部分が5・18の全国化と世界化,すなわち「共感の拡散」という課題に集約される.
5月団体関係者たちは、その理由を正すに先立ち、金大統領が今回の記念行事に参加しないという事実に、佗びしさと未練を振切ることができずにいる.
遺族会等、5・18団体側からは、さる4月、行事企画団から、金大統領を今回の記念行事の主賓に招請するという内部方針を定めて、公論化過程をたどり、積極的に推進するという計画だったが、在野労働団体の反発に直面した.
金大統領は、さる93年など2度にわたり、望月洞墓地を参拝しようとしたが、一部5・18団体関係者等と「全羅総学連」所属大学生等の実力阻止にぶつかり、意図を成し遂げられなかったほろ苦い記憶を持っている.
5月団体関係者は、大統領の光州問題解決意志に対する評価が交錯する状況にもかかわらず、彼を招請し、過去の沈殿物を解消して、現地の事情を体験する機会を持つようにしようという意図であった.
今回の公式記念行事に参加すれば、大統領としては初めて5月英霊の前に頭を垂れることになるけれど、その場所は望月洞でなく、新しく造成された雲井洞聖域化墓地という点も考慮された.
5・18財団(理事長
李基洪・弁護士)は、さる4月24日『尊敬する大統領に仕え、17周年記念行事を行なうことを切実に願いながら丁重に記念式に招待します』という内容の招請状を大統領に送った.
この書簡には、「国家有功者優遇」「国立墓地昇格」等、この地域の世論を主に込めたが、「尊敬する」「敬意を表します」「よろしく対応します」等、極尊称を頻繁に使用し、過去とは全く異なる立場を表した.
しかし、このような動きに対して、「民主主義民族統一光州全南連合」と「光州全南地域総学生会連合」(全羅総学連)等の一部強硬グループが明白に「反対」をとなえたことは、もちろん招請行為自体を非難したのだ.
「光州全南連合」は『何らの討論も、合意もなく、一方的に大統領に招請状を発送したことは、5月に対する越権である、不当な行為』という内容の、強い非難声明を出した.
宋彦鍾(ソン・オンジュン)市長も、一時『多数の市民が大統領の参拝を願うのならば、民選市長として公式建議する用意がある』としたが、結局、建議することはなかった.
韓宝事態と息子・賢哲(ヒョンチョル)氏問題,大統領選挙資金等、多くの難題に包まれた大統領が、激震の光州にくる状況にあっただろうか、という疑問が残るだけで、このような論争は結果的に何らの実益もない、ハプニングに終わったわけだ.
懺悔があってこそ容赦も
また、ひとつ,やはり不発ハプニングをもたらす「光州宣言」の件を通じても、光州の人々が5月に寄せる心境の一旦を読むことができる.
結論から言えば、「光州宣言」または「平和宣言」などという名前の対外的意志表示は、その内容が何かも正確に知らされない状態で提案されたが、『なかったこととしよう』という姿を演出したという.
さる5月7日「5・18
汎市民行事準備委員会」朝食会の集いで、議題に上がった、この「光州宣言」に対して、反対側は『純粋な意味で、私たちの意向を表示するとしても、5月問題が法定記念日ではない、未完の状態で残っている状況で、無条件の和解と和合を標ぼうすることは時期尚早』だと明らかにした.
『特に、全斗換・盧泰愚の二前職大統領に対する赦免議論が提起された時点から、こういう宣言は本質と違い、政治的に悪用される素地が高い』という憂慮意見が大勢を占めた.
光州市
アン・ジェホ政務副市長は、この席で『光州平和宣言は、光州の歪曲された過激イメージを正す契機にすることができるのみだけでなく、嶺湖南及び国民和合の席を用意する契機となりうる』と語ったが、結局、議論自体を留保する方向で結論が出たとのこと.
それで、市民の立場では『いったい
「光州宣言」は、どんな内容を含んでいて二前職大統領の赦免に影響を与えて,誰がどんな理由で賛成して、誰が反対するのか』という心配がなくもない.
しかし、行事委員会関係者らは『「光州宣言」の草案を見て賛否意見を出したのか』という質問に、一様に『別に、文案を作成したわけではなくて、そのままの話で、こういう内容の宣言はどうかという水準の議論をしただけだ』と答弁した.
一関係者は『その間「5月問題解決に努力してくださった国民に感謝する」ということが最初の内容』とし、『光州側から一方的に、まず和解を求めるというような内容は、よく知らされなかった』と話した.
噂で、問題の「宣言」が「5・18光州民衆抗争遺族会」ジョン・スマン会長を通じて初めて提案されたという事実を聞いて、それからその内容と経緯を聞いた.
ジョン会長は、まず『その日、集いに行かなかったのに、議論自体が留保になったということを聞いて虚脱感を隠せなかった』と話した.
彼は『光州宣言が必要だった. 光州が、80年以後風波を体験しながら、本意と違って、騒々しい都市,虚構にみちたデモをする都市だと受け取られたことは事実であり、この間、そのようなイメージから抜け出す時も
なった』こう、強調した.
彼は、続けて『こういうことが民主聖地の姿ではないとの共感は、既に形成されていると見る.
今は、私たちがまず変わるべきだ』で『地域感情などを率先して払いのけて、お互いに和合する契機を作るべきではないだろうか』と反問した.
鄭会長は『赦免の話が出てきたから、ついでに一言だけ』と、被害当事者として心境を打ち明けた.
『最近、ある市民からこういう電話を
受けた.
「政治情勢を見ると、遠くない内に、二前職大統領が赦免になることが明らかだ.
何ということだ、いっそ光州から、まず人心を動かせばどうだろうか」という話だった.
私は、その方に「被害当事者としてはむずかしい.
自ら懺悔し、悔いて許しを乞うならば、和解して容赦もできるのに、全く誤ちを悔いず、許しを乞うたこともないのに、どうしてまず赦して赦免を、と話すだろうか.
市民としては、そのような話が可能かどうかは知らないが、遺族の立場では受け入れるに難しい話だ」と答えた.
ところが、電話を切ってすぐに考えてみると、その方は本当に光州を愛している人なのだという気がした.
私も、心から彼らを赦したいと思うが、昨年、全・盧
二大統領裁判を傍聴して、三日間眠れなくて泣いた記憶を消すことができない.
なぜなら、全く反省も悔悟もしていない彼らの姿をこの目ではっきり見たためだ.
心より懺悔した時、はじめて赦すことができるのではないか』
地域間 階層間 認識の差
今年、政府記念日制定で最も明確に変わった点は、記念行事企画と準備手順が、内務部と光州市という協調の枠組のなかで扱われたという点を上げることができる.
もちろん、光州市は既に昨年から、民官共同主導形式で望月洞墓地追悼式をはじめとする各種行事の企画段階から積極的姿勢を行なって、官選市長の時期だった94年から市長の行事参席が既に慣例化されていた.
今年は、法定記念日指定を契機に、その間、遺族→遺族
及び
在野社会団体→民官共同という手順を踏んで、変わってきた記念式行事主体が法的に政府に単一化されたという点は特記することだけのことはある.
光州市は、特に民選市長就任以後、「5月問題解決」を事実上の第1政策課題と宣布して、集中してきた努力が記念日制定と墓地聖域化事業完工等、実を結んだことで評価している.
このような光州市の努力は、5月行事を控えて、内務部に上げた指揮報告と、全国の新聞・放送社代表に送った書簡を通じて端的に表れている.
市は、この指揮報告と書信で『5・18の現場を直接目撃して経験した、この地域の人々と他地域の住民たちの間には、まだ見解と認識における顕著な差がある』『これは
5・18を弾圧しようとしてきた歴代政権が、意図的に真相糾明に顔を背けてきたのみだけでなく、これを隠蔽縮少歪曲してきたため』だと規定した.
市は、続いて、中央及び各地方単位の記念行事,
5・18関連特集報道,学術理論的体系化,教科書反映等、光州市民意と与望を政府が率先して解決することを促した.
光州市が公式文書を通じ提起したように、5・18に対して地域間・階層間の認識の差は、今後も相変らず第1の課題で残る展望だ.
真相公開と情報共有を至急
この課題解決の当為性は、次の通り、地域別に克明な視角の差をあらわす世論調査結果を通じて察することができる.
二大統領に対する確定判決以後、光州社会調査研究所と大邱リサーチフォーラム等、二民間機関が実施した世論調査で、光州地域は赦免反対意見が82.5%,大邱地域は、赦免賛成意見が59.5%で克明な
対照を見せた.
5・18墓地の国立墓地昇格に関する質問では、光州地域が85.5%という絶対多数が賛成意見を表示した反面、大邱地域は反対33.5%,知らない20.5%で、やはり明確な差を示した.
80年当時、光州市民に対してのイメージは、大邱地域応答者の場合、「幼かったため、全く知らなかった」に41.0%で最も多くなり「暴徒だと考えた」という意見も24.5%にもなった.
5・18を課題に数年にわたり調査研究中の光州社会調査研究所金淳興(キム・スンフン・光州大教授)所長は『この調査結果は、政府と言論,教育が5月問題の解決のために、果して何をしなければならないことなのかを端的に指摘している』『真相公開と情報共有がそれほど緊急だ』こう強調した.
(88年 以後)
88.2.3=民主和合推進委員会(民間画委)▲光州事態
性格 再規定 ▲政府謝罪 ▲死傷者
再申告及び補償などを骨子とした光州問題治癒対政府建議案用意
88.4.1=政府▲死亡者追加申告▲死傷者支援財源充当及び就職斡旋等、光州民主化運動治癒対策発表
88.4.15=光州市専担実務機構設置
88.5.11=総理を委員長とする中央支援対策協議会構成
88.5.18〜6.30=死傷者追加申告受付
88.11.26=盧泰愚大統領▲光州民主化運動と性格規定▲光州問題治癒のための特別法制定方針特別談話発表
90.7.14=光州民主化運動関連者補償等に関する法律制定
90.8.17〜9.15=5・18関連1次報償金支給申請受付
93.5.13=金泳三大統領▲精神継承及び名誉回復▲全南道庁移転▲墓地聖域化事業▲追加補償申告受付等、5・13特別談話発表
93.6.1〜7.31=5・18関連追加(2次)補償申請受付
94.11.1=墓地聖域化事業着工
95.4.14=補償業務完了
95.12.21=5・18民主化運動等に関する特別法制定
95.4.17=全斗換、盧泰愚、二前職大統領等、5・18事件関連者大法院確定判決
97.5.9=5・18法廷記念日公布
97.5.18=光州雲井洞「5・18墓地」初めて政府主導記念行事
5・18問題解決のために走っている宋彦鍾(ソン・オンジュン・前逓信部長官)光州市長は『真実はいつか明るみになって、正義は必ず勝利するという、歴史の教訓を新たに再確認するようになる』
と、最近の所感を明らかにした.
宋市長は、特に5・18記念日制定の意味を2種類の側面に交わして強調した.
『まず、不義と暴圧に対抗し、戦った5・18の崇高な精神を宣揚継承することによって、強固な民主主義の要めをつくることです.合わせて、民主主義を見下す勢力に対しては、強力な警告メッセージを放ち、その後、不法と否定の方法では権力を捉えられないという事実を広く周知させることです』
宋市長は『こういう歴史的快挙が電撃的になされたことは、なによりも5・18関連団体をはじめとする光州市民の、17年間にわたった涙ぐましい努力の結果』だと前置きして、『またひとつ
高建(コ・ゴン)総理と姜雲太(カン・ウンテ)内務長官等、5・18の実像と光州の世論をよく知っている人々が立脚しながら、政府内に肯定的雰囲気が広がったことが大きい力となった』と、付け加えた.
彼は、続けて、「国家有功者優遇」及び「国立墓地への昇格」等、他の後続措置の展望を尋ねる質問に対して、『多少時間がかかるだろうが、順次的に解決することを確信する』と話した.
特に、国家有功者優遇問題と関連しては、『光州犠牲者の場合、賠償金を一時に受けた反面、他の有功者らは報償金の性格の年金を毎月受けているうえに、金額も相当な差が出て、公平性論議沸騰を呼び起こしていることが事実』とし、『被害当事者等の幅広い理解と協調が肝要だ』と話した.
彼は、『いまだに地域と階層によって、5・18に対しての見解はもちろん、初歩的な真相認識さえ、天地の差を見せている点が、5月問題の解決をさえぎる最も大きい障害』とし、『これを解消するための国民的共感の拡大が最も緊急な課題』だと指摘した.
彼は、さる4月7日、エルサレム国際市長会議に参席、5・18を主題に講演しながら、『真の意味の記念事業は外形的事業推進にあるのではなく、その精神を生活の中で実践しながら、次元の高い民主市民意識に昇華させるところにある』と、強調し、拍手を受けた.
キム・クォン
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