99年11月NEWS PEOPLE 397号

[集中点検] 仁寺洞に仁寺洞が ない? 



ソウル 鍾路区安國洞ロータリーから鍾路方向に長く作られている別天地.仁寺洞がゴタゴタしている.展示案内横断幕がぎっしりとはためく中空に格別に目に大きく写る文句がひとつある.‘仁寺洞 十二店を助けてください’ちょっと見ると、なんだか児童劇のタイトルのようだ.だが、まさに、この十二店の生存問題が、今、仁寺洞を騒々しくさせている背景だ.

十二店問題のあらまし転末はこうだ.十二店がある仁寺洞キル(註:"キル"は「通り」)の中ほど(寛勳洞 50番地 一帯)には、日本人観光客たちに名所として知られた飲食店 迎賓ガーデンが入っている建物がある.迎賓ガーデンをはじめとして、東西表具社,インエラン, 慶尚南道画廊, ドハン社,芸城書刻院, 阿園工房, 青島画廊, 四方堂, 宝原窯, セロバン, 喫茶店が ‘助けてくれ’と哀願中の十二店である.店の賃借人たちが、路頭にプラカードを掲げて署名活動を行う等の自己救済運動に入っていったのは、さる11月初めのことであった.

この土地の元来の所有主は、大学教材を専門に編集して出すことで有名な出版社パクヨン社のアン・ジュンマン社長.さる9月、賃貸再契約をしようとした賃借人たちは、パクヨン社側から‘再契約期間は1年とし, 以後、店はなるべく早く、来年3月末日までに店を空けるべきだ’という要求を受けた.理由も知らされずに、その要求を聞き入れろと言われた賃借人たちが慌てたのは、最近のこと.パクヨン社がY建設業体に110億ウォンで建物を売ったという事実に接したのだ.建設業体が所有権を持っているということは、仁寺洞 再建築計画によって建物が取り壊されることは明らかで, 結局、数十年にわたる長い間、仁寺洞で生きてきた賃借人たちは、来年3月以後には店を明け渡し、保障がなくなるわけだ.

そのようにふくらんだ十二店問題は、いつのまにか、仁寺洞の垣根を跳び越えて、社会全般に広がっている雰囲気だ.あげくの果てに、さる1日、都市連帯は、コ・ゴン ソウル市長の前に、‘歴史文化環境 維持保存のために、店が取り壊されることを防止しなければならない’という要旨の市民請願書を出すまでに至った.

資本主義社会で、個人所有の財産について是非を問うのは不合理かもしれない.だが、十二店問題の理由が社会的力を増しているのには、繰り返されてはならない大きな課題が多いというのが文化家の大半の意見だ.伝統文化の道・仁寺洞で、これらの店が占めている象徴的意味が少なくないと、直説話法で指摘する声も多い.十二店の死活が、今後の仁寺洞の運命を決定づけるバロメーターになりうるという意味だ.

これらの店舗が入っている土地は、仁寺洞でもだいたい中央.その上、単一地としては、一帯で最大の450坪あまりにもなる.仁寺洞の人々の心配は身近なものでないわけがない.その心配は、ちょっと頭の中に絵を描いてみればすぐにわかる話だ.建設業体がどんな用途の建物を新しく作るのだろうか?というのも問題だが, 新築の建物が仁寺洞固有の雰囲気と輪郭を致命的に曖昧にしてしまうはずだ.インエランのファン・ボグン(50)社長は、“手の平ほどの店をやってきた道に、だしぬけに聳え立つ異様な建物が, それも、仁寺洞のまん中にまたできると想像してみよう.110億ウォンという途方もないお金を投入して引き受けた用地を、今のような小店舗に分譲するはずがないだろう.となりの小さな店舗なんかの将来がどうなろうが、関係ないとでもいうのだろうか?”
こう、興奮する.

だが、問題はそんなに簡単ではない.外側にうわさが流れる前まで、10年,20年と仁寺洞を根拠地として生きてきた賃借人たちは、自己救済努力もしてきた.13年前、店を開いた迎賓ガーデンが主軸になって、問題の土地を共同購入する計画を試みた.契約金10%をまず払って、二度にわたって中途金を払いながらも,来年9月までは賃借料を納める条件を土地持ち主に差し出したが無駄であった.迎賓ガーデン側は、建物を引き受けて周囲景観を害しない線で、入口に芝を新しく敷く等、十二店周辺の美観を向上させる、いろいろな計画を立てていた.

今回の事件がおきた十二店のまさに向かい側に、新式建物がそびえ立ち、その複合文化空間を熱くにらみつける人々もどんどん多くなった.カナアートギャラリーのイ・ホジェ社長が関与しているとうわさされている複合建築は、1階がインターネットカフェ, 2
階がワインハウス, 3階が展示空間.新築建物の1階は十中八九が飲食店やカフェになって, まさに巣を作っていて、りて、風格のある画廊や表具社は最上階に押し出されている様子が仁寺洞の小さな店の人々には感じがよいはずが無い.

そちらからもう少し鍾路側へ行く道にも、聳え立っている大型建築がひとつ目障りだ.これまた、複合文化空間性格の建物で,既に分譲が終わったことが知られている.

十二店の行方に仁寺洞内外の視線が注がれているのは、どちらかといえば当然だ.
仁寺洞の人々の中には“くるべきことがきた”という声をあげている者が意外に多い.彼らは“外部資本の力と開発論理を克服できなければ、仁寺洞は今のように様々な風雅ある姿で残るのは難しい”と皆が話す.

実際に、十二店の件も、建物買収者が背景(?)強固な外部資本だという事実を人々は疑わない.建物を買ったことで表面化した建設業体は不渡りで、建設請負業者名簿に入っていない状態.名前を貸しただけで、実は、金脈は別にあるといううわさが仁寺洞では定説として通じている.彼と共に Sグループが深く関連しているという噂が既に広がっている.

仁寺洞に‘カネの臭い’が広まったのは、97年4月 ‘クルマの無い道’制度(註:歩行者天国)が施行されたときからだった.週末には数万名を越える人波が集まりながら、地価が沸き上がり始めた.権利金や家賃が高騰したために、小さな店を運営する賃借人が続々と仁寺洞を離れる事例が続くしかなかった.賃料を出せない場合に、最上階に移らされるくらいは日常茶飯事.仁寺洞の代名詞格の骨董品店は、昨年以後、いままで少なく見積もっても、10余店は門を閉めた.

600年伝統の仁寺洞は、元来、古書籍・骨董品・伝統工芸品 専門店が並んでいた所.70年代以後、新式画廊がひとつふたつと生まれて, また、90年代に道端にアクセサリー ファンシー商品などが置かれるようになりながら、今の姿を揃えてきた.路地路地で‘文化の薫り’が濃厚に感じられるのは偶然ではない.ソウル全体の骨董品店の41.5%, 画廊38.8%, 筆房91.8%, 経師屋32.6%が密集している所だ.

仁寺洞の小さな店は、現在800余り.ソウル市は、来年7月までソウルを代表する文化観光院による仁寺洞を本格開発する計画の下、既に設計まで終えた.
まず, 仁寺洞キル固有の路地文化をひと目で見渡せられるように、安國洞ロータリーから鍾路3街進入路(パゴダ公園)までの道路を全面再舗装する.また、仁寺洞一帯の歴史と文化資源を案内するシステムを開発して、象徴物と野外公演場, 市民便宜施設, 照明施設なども、大幅拡充・改善する.施工されて30年を越えた老朽下水管を改良して、上・下水道等の地下施設物も共に整備する計画だ.

都市連帯 チェ・ジョンハン事務総長は “現代式ビルディングが入れば、伝統文化の道としての情趣は消えることが明らかです.90年代初めには160を超えた画廊は、今や100余りですよ.仁寺洞を生かす道とは、まさしく小さな店を生かすことです”と、繰り返し強調する.開発論理に押されて‘トト(註:「土土」か?)の行き着いた天国’‘仁寺堂’などの名物等も、来年くらいには続々門を閉めなければならないようだ.十二店の話が仁寺洞の垣根を越えて、日ごとに大きく響いているのはそのような理由からだ.

[ファン・スジョン 記者]



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