98年8月28日NEWS PEAPLE

[文化] ミュージカル スター   チェ・ジョンウォン VS イ・ソジョン

 
今に見てろ.
今秋の文化界はちょっと騒々しいようだ.チェ・ジョンウォン(崔正源 29),この写真にはクレジットが無く、どちらの写真なのかわかりません。"ConcertInformation"のステージ写真を参考にしてください。クリックすればジャンプします。
イ・ソジョン(李素政 25).純然に二人の女のためだ.

ミュージカルスター.それも、どこをとってもずばりミュージカルスターだ.ありったけのきらびやかな修飾語が彼女たちの名前の前後にずらりと並ぶ,‘飛びぬけた’技量の持ち主ではないだろうか.創作ロックミュージカル ‘ハードロックカフェ’と チェコのミュージカル‘ドラキュラ’.この二人の女が“舞台が狭いよ”と不満をもらした作品だ.



さる22日から公演に入った‘ハードロックカフェ’は、無条件に‘成功予感’を喚起した作品だ.いち早く広報を始めたソウルミュージカルカンパニー側関係者の話は傑作だった.“チェ・ジョンウォンの出演は,興行への保証書だ”というものだった.

練習室で会った問題の‘保証書’も自信満々なのは同じ.汗まみれで化粧気がほとんど無い顔だが, 口元に深いえくぼができる微笑は相変らずだ.

“ヒットするでしょう.練習ももちろんたくさんやりました.別に演技をしなくても、主人公ジウォン役によく没入しているでしょう?”

公演が始まって何日か経ったところで, 人々はもうチェ・ジョンウォンの名を口にしだした.
それ以外にも.彼女の舞台にはいつも固定ファン達が追いすがる.一度つかんだ観客は簡単に情熱的ファンにしてしまうカリスマのようなものが彼女にはある.170pのすらりとしたスタイルに清々しい顔つき. だが、それで全部ではない.チェ・ジョンウォンを印象深くする背景は別にある.ミュージカルの舞台を踏むまで彼女が行なった‘KKANG’とは….

ミュージカルに入門したのは、高3の時(ヨンパ女子高)だった.87年9月、ロッテワールド芸術劇場ミュージカル芸術団 1期オーディションに願書を出した.何日か後に家族もなんとか受け入れた合格通知書.残った問題は学校の授業だった.校長先生を拝み倒して舞台に立つ機会を勝ち取った.

しかし、スターの夢は真っ暗な遠くにあった.初めてつかんだ配役といえば、わずかせりふがひとつかふたつのコーラス.そして、91年夏.某放送局TVのショータレントで出演したが、誰も認めなかった.いつもいつもコーラスの日々.そのように 2年半余りを意に添わないまま送った.

“その時はとてもたくさん泣きました.歌手たちの後ろに立って踊っていると、両親が気をもんで、オーディション会場をのぞきに通いたかったということです”

避けていくだけだったチャンスは、ある日彼女にも訪れた.端役でも良いという気持ちでオーディションに再挑戦した.93年のミュージカル‘ラストダンスはわたしと’.演出家ファン・インレ PD(MBC)に会ったのはその時だった.台本の修正までして3流ストリップダンサー役を助演に育てたファンPDは終生の恩人になった.

主演より光る助演.‘ラストダンス…’で、彼女はそれをやり遂げて, 韓国ミュージカル大賞女優新人賞を受賞した.その後、スポットライトは照らし続けた.‘ウェストサイドストーリー’‘ギリシャ’‘愛は雨を・・・’‘ブロードウェー 42番街’….

今回の作品は彼女の11番目のものだ.組織暴力団親分の情婦で、夜のステージダンサー役.
‘ウェストサイドストーリー’の肉感的なアニタ役がそうであったように、彼女の挑発的なイメージには丁度合う.

“何より、気持ちの通じるファン・インレ先生(演出)と呼吸を合せることができるのです.私たちの時代最高のロッカー ドヒョン(ユン・ドヒョン)が相手役というのも気分いいですね”

公演が終わったら、彼女は何もしないつもりだ.5月に結婚式を挙げた後、まもなく米国巡演を行ってきたために、新婚旅行も行くことができなかった.

10月6日までドンスンアートセンター ドンスンホール.02-765-3978.

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ブロードウェー出身の次世代 ミュージカルスター イ・ソジョン.彼女は‘ハードロック カフェ’の女主人公を知っている.何年か前、韓国に立ち寄った時、彼女の公演を見たことがあって, 夕食をして名乗り合いもした.だが、今度は観客を間に、想像もしなかった自尊心競争をすることになった.自身が主人公のミュージカル‘ドラキュラ’公演と9月の一ケ月が微妙に日程が重なったせいだ.

“誰とでも比較されるのはいやでしたよ.全く同じキャラクターでも、自分だけの色合いを明確に出すことができる俳優が本物ではないでしょうか?”

“‘韓国のリー・サロンガ’という新聞の見出しがずっと気に入らなかった”というきっぱりとしたコメントを付け加えた.89年 ロンドンで初演されたミュージカル‘ミスサイゴン’の主人公で世界ミュージカル界のヒロインとして浮上した、フィリピン出身女優リー・サロンガ. 彼女の名声に例えられるのも当然ではないだろうか? 豆腐を切るようにすっぱりとなんでも切る性格がひと目で読み取れる.

‘ドラキュラ’は、彼女の国内初めての舞台だ.ミュージカルの本土から何度もうわさを立ててきた、その間の力量が母国ファン達の検証を受ける番だ.

“プレッシャーが大きいことは事実だが、意識的に振切ろうと努めています.プレッシャーを抱えていては練習に没入するできません.一生懸命準備して、それをお見せするだけです”

事実 イ・ソジョンの舞台は多くはなかった.代わりに大きかった.リー・サロンガが初演して6年後の95年.ミュージカル 1番地のブロードウェーで主人公キム役を得て, 97年末まで長々と2年8ケ月のアメリカ国内ツアー公演に成功した.キムはベトナム駐屯米軍人と恋に陥ったが米軍撤収で捨てられて売春婦に転落する悲恋の女性.現地のメディアは“最も東洋的なキム役”と、称賛につばを飛ばした. 国内公演界が雷同してベタ褒めを繰り返したのはもちろんだ.無一物から始まったイ・ソジョンの冒険期をよく知っていたためだ.

‘そこにミュージカルがあるので’と、何も知らないうちに米国行を敢行した.91年、高等学校(安養女子高)を卒業して、単身ハワイブリコム大学でミュージカルの勉強をしようと出発した.学校へは長く通わなかった.百の理論より一度の舞台経験がはるかに効率的だと、自ら結論を下した.こまめにオーディション会場を訪ね歩いたのは、そのためだったからだ.

“その間、韓国から提案された作品は多かったです.送ってきたビデオで作品を見て、翌日にはソウル行きの飛行機のチケットを手配しました”

7月29日帰国し、翌日から練習に入っていった.大学路のある地下練習室で、彼女は最近、ドラキュラを運命的に愛するようになる女性ローリエの役に入り込んでいる.

9月12〜30日.芸術の殿堂 オペラ劇場.02-747-6093.



<ファン・スジョン記者 sjh@seoul.co.kr>