日本文化開放を控えて、無数の論争が あった.論争の焦点が‘開放をしなければならないか、するべきでないか’に収斂されたが,
実は日本文化は既にわたしたちの生活に深々と侵入していたのだ.
飲食店が集まっている所では、必ず日本料理屋が盛業中で,
街頭では、日本のファッション雑誌から抜け出たようなファッションを簡単に目撃できる.娯楽商品までもそうだ.
たまごっちとステッカー写真(註;プリクラのこと)が韓国でも大人気を享受した.
漫画とアニメーション, 電子ゲームは日本商品が 70%以上を占めたと言っても言い過ぎではない.
公式には輸入は禁止されていたが,
大衆音楽と映画も個人的に収集した物や不法複製品を通じて、いくらでも見聞きすることができた.
こういう場面で、日本大衆文化開放の前庭となる意味は何であるか.
文化それ自体ではなく、‘文化産業’に対する開放の意味が濃厚だということを注目しなければならない.
早い話が、これからは音楽と映画にもロイヤリティーを支払わなければならないのだ.
日本の歌手が韓国巡演を通じて、莫大な利益を獲得することができるというわけだ.万一,
わたしたちの対応が誤った場合、結果はぞっとする水準になる.
わたしたちの文化市場を根こそぎ日本に奪われてしまう危険性があるためだ.
さる10月20日、政府の開放宣言が‘選言的’意味に終わったことは、文化産業に対する全般的考慮が作用したようだ.
開放にともなう影響が微弱な日本語版出版漫画と国際映画祭受賞作の映画だけを‘直ちに開放’して,
残りの分野は‘直ちに開放以後’に分類した
.これは、韓国文化業界に開放への対応の準備運動期間を与えたものであったが,業界の行動は、むしろ裏切りに近かった.日本文化が開放されれば、“日本がなだれ込んでくる”と心配する人が多い.
だが、
まさにかんぬきを外す前に駆け出していったのは、韓国人の側だった.
開放前夜、韓国のレコード・映画社の経営者たちは、皆日本にいたといううわさが出回った程だ.
正式輸入契約を結ぶためであった.
韓国業者間で熾烈に競争したために、日本映画の輸入単価が、昨年に比べて150%以上引き上げられてしまった.
何年か前の、財閥会社の映像事業団が文化業界に足を入れた後に米国
映画の輸入単価が急騰した現象を連想させる.何故、こういう笑えない事が繰り返されるのか.
理由は外にはない.
韓国業界がとても狭い韓国市場だけを相手にするためだ.
海外市場も相手にできれば,‘金になる物’を輸入するために資金投入を繰り広げずに、良い作品を作って輸出することに必死で頑張るとは、既に書いたことだ.
本当にわたしたちの文化商品は競争力がないだろうか.特に、今回の開放の対象である日本市場を攻略できないだろうか.
可能性は充分だ.これまで、わたしたちは輸出ができなかったというわけではなく,しようという試み自体をしなかった.
日本の大衆文化市場は、わたしたちの10倍をはるかに超える.わたしたちの市場の10%を渡しても、日本市場を
1%だけ占めることができれば、結果は黒字だ.
韓国大衆文化の海外進出に対して、否定的な見解ももちろん多い.
水準が高くないために売れる可能性がないということだ.しかし、これは多分に‘自虐的’症状だ.
一例として音楽部門を見よう.
国内ではダンスミュージック一辺倒だと非難を受けているが,
そのためにダンス音楽は世界のどこに出しても遜色ない水準になった.
グループ
‘ターボ’がワールドスターの‘ウィリー・スミス’と共にレコードを出す程だ.
また、S.E.Sとクローンが本格的に日本市場を攻略している.
黄美那氏とウォン・スヨン氏が、漫画王国の高い壁を崩して、日本で漫画を連載した実績もある.
韓国映画‘西便制(註;邦題「風の丘を越えて」)’‘将軍の息子’などが、日本の韓国マニアたちの間で高い人気を享受したことがある.
わたしたちも、輸出できる水準の作品をかなり揃えているわけだ.
さらに大衆文化商品は、‘水準’よりは‘趣向’がより重要な選択基準という点も、海外での成功可能性を高める.外国人の目には、韓国大衆文化が目新しく新鮮に見えるため,
彼らの選択権を多様にする効果がある.
また、最近の日本内の状況を見ると、韓国の大衆文化が十分に立つ場所があるという、大きな要素も注目してみる価値がある.
日本は、今年二つの通信衛星放送がサービスを開始し、300軒チャンネル時代に突入した.各チャンネルは、現在、皆、深刻なソフトウェア不足状況.高いハリウッド映画や、米国の放送番組を放映するにも資金力がない.かと言って、低予算の‘飛ばす’トークショーばかりはできないので
、他人の目をはばかりながら海外に目を向けている.韓国の映画,ドラマ,ミュージックビデオが日本の衛星放送に売れる可能性が高まっている.
すると、わたしたちの文化商品を本格的に日本に輸出するために必要なことは何だろう.
何より重要なことは、日本市場に対する研究だ.どんな製品でも、市場侵入に成功するためには、その地域のマーケティング調査が先行されることは常識だ.
文化商品も例外であるわけがない.
日本で大ヒットした映画‘失楽園’が韓国では特別な反響を呼ばなかったごとく,
韓国でヒットしたから、と、日本でヒットする保証はもちろんない.
韓国で大ヒットを炸裂させた‘ナンバー 3’.日本市場では成功するのが難しいことが明らかだ.
この映画の面白味である、在米人のソン・ガンホ氏の台詞を、字幕や日本語吹き替えで処理すれば、特に面白くもなくなるためだ.
これから結論が出てくる.日本市場を攻略するためには、企画段階から日本市場を念頭に置くべきだ.
そのような脈絡で S.E.Sは、多くの示唆を投げ掛けるグループだ.
日本で成功的な位置を占めたアイドルスターたちの場合,
歌の実力は基本.娯楽プログラムやトークショーに出演し、自分だけのイメージを確実に刻み込む程になるべきだ.S.E.Sは、既に国内のステージを通じて、そのような訓練を経て,
メンバー中の一名の日本語実力が完壁に近いため、その条件をあまねく揃えているわけだ.
加えて、日本の青少年たちの選好度を注視する必要がある.
彼らが好む趣向は、カリスマ的な外貌や眩しいほどに華麗な美貌ではない.
既に豊饒を満喫している彼らは、これ以上、TVを憧憬の目では見ないからだ.
むしろ、家の近くや街頭でも見かけられるような自然な美貌をより好む.
この他にも、日本市場攻略のために知っておくべきことは多い.
漫画とアニメーションは、おとなを引き込むことができるストーリーでなければならない.
もう少し単純に言えば、結末が容易に察せられたり、善と悪,
敵と味方の区分が明確では、おもしろくないということ.
男の主人公は、ハリウッドスタイルの生まれついての英雄や八方美人のスポーツ天才よりは、自閉症や精神分裂症患者のように精神的苦悩が多いスタイルが、むしろ人気が高いという話だ.
女の主人公は、男性と同等な能力をもったたくましさと攻撃的なスタイルがより価値がある.
映画なら、岩井俊二スタイルの世紀末的憂鬱を表現したり,‘HANABI’や
‘うなぎ’のように、経済的成長と政治的進歩が止まった社会の中を生きていく小市民的日常を描けば、はるかに‘食い込める’.
日本のトレンドを正しく読みだすことができるならば,
そのまま答は出てくる.
日本人の嗜好に合う作品を選りすぐったり、企画することができれば,
成功の可能性はそれだけ大きくなるからだ.
日本文化開放が韓国・日本間の文化交流を拡大することだと信じる人も多い.
しかし、文化を‘産業’とみるならば,今から展開する話は‘交流’ではなく‘戦争’だ.
戦争に勝つ唯一の方法は攻撃だ.
攻撃のためには、正確な情報を収集しなければならない.
相手方を知り、自分を知ってこそ、百戦百勝できるではないか.
文化戦争も同じだ. いまこそ日本市場をよく知る専門家,
市場性向に合うアイディアを出せる企画者が切実に要求される時だ.
こういう人々が大挙登場すれば、わたしたちは、万年文化輸入国の汚名を簡単に投げ捨てることもできる.
‘文化大国’もいつまでも他の国の話ではないだろう.
[金ジリョン 日本文化評論家]
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