“お客様、長らくお待たせしました.
ドンチュンサーカス団最高の妙技, 本日のハイライト空中飛行が始まります.”
遥かに高い天井に、二つのブランコが垂らされた. 片方のブランコにがっしりした青年が逆さにぶらさがり、‘金星’王女(本命 チャ・ジェウン 19)さんが反対の方のブランコに乗って爽やかに現れて宙返りを舞った後、青年の手首につかまった.観客たちは首の疲れも気にならないように、はらはらしながら、続けられる彼らの妙技を見上げていた.
“うわあ, 素晴らしい. これがまさにサーカスの醍醐味だ.
むかしもこうだった….”30年前、故郷の扶余でドンチュンサーカスを見て以来、初めて見るという ソ・ソンヨン氏(67)は、懸命に拍手を送った.
“サーカスが来た日には、子供, おとなの別なく浮かれたものです.猿を前面に出した広大(註:クァンデ.大道芸人)が市場をひとまわりすれば、扶余の町中がそわそわしました.”ソ氏は、口の中が乾くほど過去の思い出をほとばしらせた.
“うわー!,
あのお姉さんは羽もないのに、まるで鳥のように飛んでいるよ.ブランコのひもが切れたらどうなるの? 人があんな高いところから落ちたら死ぬんでしょう?”
黄色い幼稚園の制服を着たキム・ミンチョル君(6)が、妙技を見ていた先生を度々煩わせた.
76年間サーカスの命脈を弛まずに続けてきたドンチュンサーカス団は、行楽客でにぎわうソウル子供大公園の一角に巣を作り、長期(3月31日〜5月6日)公演を繰り広げている.
ほの暗いサーカス場に足を踏み入れた瞬間、わたしたちはおぼろげな追憶の世界に陥る.
風が吹く度にはためく天幕の中へ差し込む陽差し, 床に敷かれたゴザ, ピエロたちの野暮ったい衣装が、昔そのままだ.
それだけでなく, 相変らずサーカスを最も喜んでいる客は、広い客席を半分ずつ占めている老人と子供たちだ.口をあんぐりと広げて見入っている老人たち, そういう姿がどうしてそれほど全く同じなのか….
子供たちは、ごうごう燃え上がる円筒形の炎の中に飛込む子犬に、“走れ, 飛び越えろ”と叫び, 老人たちは狭いガラス箱のなかに手脚をたたんで入っていく少女を凝視して、“人のからだが、どうしたらあのようにできるのか?”と、感嘆の声を出す.天と地程に遠く離れた、この二世代間の世代差をサーカスほど立派に埋める公演芸術が他にあるだろうか.
観客と妙技がむかしと全く同じだからといって、ドンチュンの時計までもが過去に止められたというわけでは決してない.
古希をとっくに越えたようなドンチュンがこれから第2の全盛期に向かって疾走 している.
90年代中盤まで存廃の岐路に立ちながら全国を飛び廻っていたドンチュンサーカスの再跳躍は、皮肉なことにIMF救済金融時から始った.
“生が孤単になるほど、人は追憶を思い起こすようですよ.私たちを振り向こうともしなかった人々が、その時からテントの周囲に集まり始めて、言論もまた私たちに関心を持つようになりました.”一日中マイクをつかんで司会をして喉がかれたホン・スンホ副団長は、“ドンチュンはいつもお客さんたちが守ってくれる”と話した.
ドンチュンがまた息をふきかえすことになった決定的な契機は、98年9月‘果川 世界マダン(註:広場)劇大祭’であった.市民は全世界から来た数多くの無料公演を差し置いて、有料の ドンチュンサーカスのテントを探した.
この時から、ドンチュンは秋には果川で, 春にはソウル子供大公園で大規模公演を続けている.ホン副団長は“昨年、ここでの公演時には、僅か250m先の子供会館でロシアのボリショイサーカス団も公演をしていましたが、私たちの観客の方が10倍も多かった”と自慢した.最近でも、週末になれば4千〜5千名がドンチュンサーカスを訪れて、床に敷かれたゴザをぎっしりと埋め、平日にも1千名以上が着実に集まる.
ドンチュンの変化は、溌刺としている新世代団員たちからも伺える.インターネット ホームページ(www.circus.co.kr)には、コンジュ嬢とキム・コンニム嬢(18)のファンクラブまでできた.
“ むかしは、観客たちが先輩たちを哀れみにきたものです.わたしたちは、同情心は絶対に辞退します.
妙技をどれだけ素晴らしくやっているかだけを見てやってください.”何故サーカスをするのかという質問に、コンジュ嬢は、“職業だから”と当然のことのように答えた.
一番やさしい曲芸は何かという問いに、コンニム嬢は、“全くやさしいなんてことはありません.”と切りかえした. “ボーイフレンドをちょっと紹介してあげてください.”幼い二人の軽業師がアイスクリームを食べながら笑った.
ドンチュンサーカスは、TVが普及する前の50〜60年代、韓国の大衆芸術を率いて最高の全盛期を謳歌した.
ドンチュンで最高ならば、韓国で最高だと呼ばれたものだった.
ソ・ヨンチュン ジャン・ハンソン ナム・チョル ナム・ソンナム 等、団員が何と200余名も居て、象 虎 キリン チンパンジー ラクダ 等、多くの動物を保有したこともあった.
いまは、団員50余名に、猿と子犬が何頭かという、わずかなものだが、ドンチュンは決してその昔の栄華を忘れないのみならず、希望に満ちた未来まで準備している.
ドンチュンの新千年のスローガンは、‘世界のドンチュン’だ.
これ以上、観客たちの郷愁や同情心には留まらないという意味だ.
今年からは、中国 国立技芸団とロシア ボリショイサーカス団の団員40余名を呼んで、合同公演を繰広げている.また、来年3月には、史上初めて日本で海外公演を持つ予定で、中国, ロシア, ドイツ, ハンガリーのサーカス団を招請し、世界サーカスフェスティバルまで開くという、野心に充ちた計画を持っている.
“まだ、冬には月給をもらえない団員たちがコンテナボックスから出て行くこともあります.
しかし、見守ってください. 悲しいほど、もっと笑わせ、お客さんが少ないほど、もっと力が湧く、私たちのことを….”
7歳の時、ドンチュンにやって来て、今では最古参 特級軽業師になったキム・ヨンヒ氏(38)が服装を整えて舞台に走って上がった.
イ・チャング記者
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