首都圏 地下鉄4号線の終点の安山駅から地下道を通り抜ければ、エキゾチックな風景が私たちの耳目を新たにする.
町役場まで約300mの大きな通りに韓国語の看板の間に、‘中国食品’‘INDONESIA SHOP’‘PARADISE BEER&CHICKEN’などの看板が、他の通りとは異なる感じを与える.そこがまさに‘国境のない通り’.
しばらく暖かかった天気がまた寒くなり、コートの襟を立てたのは、さる7日夜10時 .一日の労働の疲れた翼をたたんで、家にとぼとぼと帰る、道行く人たちの中に,少なくはない外国人労働者を見ることができる.ロシア人、東南アジア人、中国人. コリアンドリームを成就するために、労働の骨として、この土地の一部門を支え上げる彼らの落ちた肩が痛ましい.
どこでなのか、酒一杯をひっかけたような、声が一オクターブくらい上がった彼らに身分を明らかにして取材を要請すれば、"わかりません" 不慣れな韓国語で断って足を速める.不法滞留者というくびきのためか.
事実、この通りに暮らす外国人労働者たちは、大部分が不法滞留者.産業研修生はほとんどいない.
通りの中間にかけられたプラカードの‘国境のない村を作る, 仲の良い外国人労働者’こういう文句が強い北風にはためいて、ここがどんな所であるかを言ってくれる.
この道にある外国人労働者の憩いの場 ‘安山 外国人労働者センター’に行ってみた.こじんまりした平屋.庭の片側に積み上げられた雪が溶けないまま深い影を落としている.
家の中は、外国人労働者たちでぎっしり埋まっていた.
仕事がなく、どこにも行く必要がない彼らが少しの間からだを預けているのだ.
一部はTVを見て、一部は睡眠をむさぼっている. 居間の一隅には公衆電話機が置いてある.
インド、パキスタン、バングラディッシュ 等の万国旗も目に入る.
"居間を飾っている物は、ここを通り過ぎた外国人労働者たちが寄贈したもの"と、ノ・ジョンナム事務局長(30)が話した.
その中には、インドネシア人権団体から送ってきた贈り物もある.
外国人たちはそれを見て、他郷で暮らす悲しみをなだめるのだろう.
ボランティアメンバーの助けを受けて、彼らに話を聞いてみた.
韓国語を最も上手に話す、インドのアクラムさん(24)は、"働き口を求めている最中"だと話した.
インドのヴィエンスロアカルさん(43),バングラディッシュのシッダロさん(40),インドネシアのヤンドさん(30)も同じ身分.
インドのジケファルマさん(24)は、韓国にきてから1年3ケ月.
彼は、"友人の紹介でこちらにきた”としながら、"働き口情報は、こちらに遊びにくる故郷の友人にもらう"と話した.
地下室にはインドネシア人が生活している. 10余名にもなるのに、皆、失職状態.不法滞留者の取り締まりが厳しい夜には自由に外出できない.
ここで生活する外国人労働者は、計30余名.彼らは異口同音に、ここが最高だという.彼らを人間らしく扱うためだ.
その翌日、午後2時.労働者センターは、昨夜とは違い、外国人労働者がそれほどいない.
大部分が働き口を求めにでかけたためだ. 労働者センター所長 パク・チョンウン牧師の夫人 キム・ヨンシムさん(35)は、"センターに留まることができる期限は15日ですが、その期限内に働き口を探すことができない人々が多くて、数ヶ月も留まる人もあります”と話した.
インドネシア食堂に入ってみた カラオケ施設に化粧品,カセットテープ なども一緒に売っている.
壁にはインドネシア有名歌手のパンフレットとギタリストの肖像画がかかっていて、自国の食堂をそのまま移してきた感じだ.
こちらで仕事をするキハトゥーンさん(女 27)は、韓国生活が7ケ月目だと、指を立てて見せる."ここの生活は楽しいです.
毎日友人に会えるのが良いし、休日には永登浦駅の近くで暮らす友人に会います."韓国語をどのように習ったのかを聞くと、彼女は、"韓国語辞典を見てハングルを解読しました”と笑って話した.
この食堂のメニュー中の一つのBAKSOは、私たちのモチと似た、インドネシアの伝統料理.
見知らぬ人間を警戒せずに、親しみ深く迎えてくれて、写真を撮るために、歌を歌って欲しいという頼みも快く受諾する彼らの姿で、私の中の偏見は春の日差しに雪が溶けるように崩れ去る.
この通りに居住する外国人労働者は、概略6千余名程度.彼らを相手する専門商店は、50余が盛業中.その中に、中国対象が30, 東南アジア対象が20.彼らの国の人々も店を運営して、自国人を対象に営業をしている. これらの店は、故郷の消息とお互いの安否を聞く出会いの場としても利用されている .
この通りは、平日よりも週末により混雑することが特徴.
韓国人をさがすのが難しい程、外国人労働者があふれ出ている.
それで、韓国人食堂とゲームセンター, 不動産業者, ネットカフェでも、彼らは主要顧客としての位置を占めている.カラオケごとに各国の歌が用意してある.
カラオケルームで仕事をするパク・サンヒョンさん(25)は、"近隣のパンウォル・シファ工団で働く中国・東南アジア人たちがたくさん来ます”としながら、"彼らのために、その国の歌をレパートリーに含めました" と話した.
この通りのもうひとつの特徴は、‘コシアン(KOSIAN)家庭’が少なくないということ.コシアンは、韓国人とアジア人の合成語で、彼らの結婚で生まれた子供を指す用語.現在、16世帯ある.
コシアン家庭のひとつに立ち寄った.連立住宅の地下貸間でやっとのことで暮らしているインドネシア人 ダニー(29)韓国人 チ・ヘミ(22)夫婦が、まさにその主人公.
彼らが出会ったのは、5年前のグンポ. 友人の紹介で出会い、愛を育てて同居し、1月に梨泰院で結婚式を挙げた.
婚姻届を出すことができなかったのは、夫が不法滞留者の身分であるためだ.
それで、茶の間の壁に、梨泰院で公証を受けた結婚誓約証を掛けた.こういう事実を知っているはずがない息子のティアンは、見慣れないお客さんの前でも天真燗漫なかわいいしぐさをする.
ダニーさんは韓国生活6年目で、韓国語が流暢だ.これまで区別せず、一生懸命に仕事をしてきたのに、韓国人と同業していた店がつぶれて失職した.
チ・ヘミさんは、"月の家賃だけでも20万ウォンなのに、私が公共勤労で稼ぐお金では、月20万ウォンを払うのは大変です”と、窮状をさらけ出す.
この夫婦の夢は、お金を貯めて、夫の国で暮らすこと.
夢が現実の壁にぶち当たって漂流していて、やるせない.
こういう切ない状況の外国人労働者も多いけれど、彼らはもうこれ以上異邦人ではない.
地域の一主体としての位置を占めるための努力を活発に繰り広げているのだ.
昨年5月から、地域住民たちと共に、この一帯の道路清掃をしていて, 昨年9月には安山市祝祭にも参加し、料理バザー会・伝統衣装写真展等で、自国文化を紹介することもした.
今後、一部は、この地域の名誉自治委員として活動するようになる.
これに伴い、彼らに対する地域住民の反応もかなり改善されている.
10年目 紙類店を運営するジョン・インソンさん(40 女)は、"お金を稼ごうと異国から万里の他郷まできたのだけど、わたしたちとうまくやれれば良いですね"と話した
.野菜などを売る‘高麗商会 ’主人 キム・ミソンさん(50 女)も、"外国人労働者は、韓国人よりも柔順です.
私達が80年代中頃から苦労した記憶を考えても、馴れない土地で苦労する彼らは、暖かく迎え入れてあげたい”と、希望を表明した.
既に、この通りは新しい文化の通りに変革している.外国人労働者と地域住民が親しく一緒に生きていく、共存の暖かい文化が芽生えているのだ.
チェ・ジョンチャン記者[siinjc@kdaily.com]
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