
唯一格別な興奮と期待の中で迎えた、新しいミレニアムの初めての年の2000年も、それまでと同じで多事多難だった.分断以後、初めて南北首脳が会って, 国内史上初めてノーベル賞受賞者が出てくる慶事もあったが, 経済面では暗い影がより一層深まりを見せた.
‘言葉は時代の鏡だ.’それなら、多くの人々の口に随時登っては下ろされた流行語は、その中でも世の中を最もよく映し出す鏡であると言えるだろう.社会と文化を読みだすことができるコードが、まさに流行語.2000年一年を‘強打’した流行語を通じて照らした2000年, どんな姿だろうか.
今年最高の流行語は、何といっても‘猟奇’だ.新世代たちの口から‘猟奇的だ’という言葉が休みなしに溢れ出たし, 結局‘猟奇’は、新世代文化コードとして定着した.最近MBCで、6千余名のネチズンを相手にした‘今年の流行語’調査でも、‘猟奇’は断然1位だった.インターネットでも‘猟奇’という単語を打つと、2万余のウェブページが検索される.猟奇サイトもあふれ出ている.インターネット チャットルームでも、‘猟奇’という単語を上げるだけで、人々が駆け込んで来る.
映画界も‘スクリーム’‘シックスパック’‘怖い映画’等、怖くない猟奇映画が人気だった.猟奇漫画, 猟奇小説, 猟奇広告, 猟奇音楽, 猟奇ユーモア, 猟奇メール, 猟奇三行詩 等、大衆文化全般にわたって猟奇旋風は荒かった.そして、2000年の終わりになっても、猟奇旋風はたやすく収まる兆しがないように見える.
ところが、2000年の‘猟奇’は、既存の猟奇とはちょっと異なる所がある.‘奇怪なことに興味を惹かれて追い求めること’という‘元来の意味’からふらりと抜け出した.‘素敵だ, いかしてる’‘慌てる,奇抜だ’という, 全く異なった意味に変わった.常識をはみ出したことは皆、‘猟奇的だ’という言葉一言で充分だ.
‘猟奇’耽溺の底辺には、発想の転換,主流の転覆という発想がひそんでいる.それだけ多くの新世代たちが、今の秩序から抑圧を受けているという傍証もある.
猟奇アーティストの猟奇的な作品を見てみよう.‘ベク・ジヨン フル(プル)バージョン’をクリックすればポルノ(註:歌手ベク・ジヨンはセックスビデオ流出という悲劇にみまわれた)という予想は間違いなく破られてしまう.文房具店で売っている糊(註:"プル")に、ベク・ジヨンという名前をつけた、奇抜な‘ベク・ジヨン糊’の登場に、心底びっくりだ.
発想の転換は、春から始まった‘三行詩’の流行でも読み取れる.笑わせない‘わびしい三行詩’ユーモアで、人を笑わせるという考えからは、一言で言えば‘猟奇的だ.’
事実、‘三行詩’という言葉は、特別にあるトレンドを見せてくれる流行語だというには難しいものがある.三行の文字で詩を作るということ以外には、内容上のどんな共通点を探すのが難しいためだ.しかし、2000年の‘三行詩’は、社会の流れを読みだすことができる‘あるもの’をもっていた.
既存のユーモアは、適当に冷笑的で攻撃的で、かゆいところを掻いた.しかし、今年流行した三行詩ユーモアは、とてもわびしく、笑うことさえ難しい.“サバは, 振り返って訊ねた, あれ!
ここどこ?”というような‘サバ’三行詩一つだけをとっても、既成世代に立ち向かって笑うだけの要素はとても探すのが難しい.但し、情けなくて出てくる、むなしい笑い以外には.
それにも拘わらず、このようにわびしい三行詩ユーモアは、多様な素材のシリーズを量産して、足早に広がって行った.ドラマ‘許浚’登場人物シリーズ, チェ・ミンスシリーズ, ムクジパシリーズなどがそれだ.それどころか、二行詩, 四行詩, 五行詩等、三行詩の変形詩も、雨後の筍のように出現した.わびしい三行詩ユーモアひとつも詠めなければ、肩身が狭かった.それなら、この社会には‘わびしい笑いを薦めるなにか’があったということなのだろうか.
限りなく軽い三行詩の‘猟奇的’な流行の中で、突然‘のんびり’という言葉が飛び交い始めた.‘猟奇’と‘三行詩’が、放送とインターネットを通じて新世代たちの中へ騒然と入り込んだとするなら、‘のんびり’の流行は、‘活字’を通じて、静かに展開してきた様相が強い.それも、30歳代以後の中壮年層を中心に力を発揮した.流行語でも世代差が起きたということだ.
今年の出版界の流行語は、断然‘のんびり’だった.5月‘のんびりの知恵’(ヘネム)を初めとして、‘のんびり生きるということの意味’(東文選),‘単純にすこしのんびり’(ヘネム),‘のんびり暮らす楽しみ’(ムルプレ),‘のんびり暮らす人々’(文学トンネ),‘賢明な父母は子供をのんびり育てる’(中央M&B),‘のんびり愛することの喜び’(曙光文化社)等、1ケ月に一巻の格好で‘のんびりの美学’を称賛した文章が出刊された.これらの諸本は、基本部数がすぐに売り切れる特需現象を見せている.その中でも、6月に出た‘のんびり生きるということの意味’は、出刊するやいなや、ソウル市内大型書店の総合ベストセラー10位圏にランクにされて、今まで1回も脱落しない‘巡航’を見せてくれている.
“デジタル時代は、速度の時代になる”というビル・ゲイツの言葉が信奉される2000年に、突然突出した‘のんびり’の人気は、全く予想外だった.しかし、‘速く速く’に疲れた人々の心に深く食い込んで, これに伴って‘のんびり’は、出版だけではなく、料理,美術等、社会・文化全般に広がった.
ファーストフードに奪われた主権を回復しようという‘スローフード運動’が呼応を得ていて、‘禅的な生’を形状化したイ・チョルス版画展に多くの人々が集まり、ビートルズなどの復古風レコードがよく売れている.
事実、‘のんびり’の流行は、‘ゼン’と呼ばれた‘禅’の流行で、予告されていたことかも知れない.キム・ヨンオク教授の‘TV老子講義’をたくさん見たが、2000年春には‘東洋熱風’が、社会・文化界をしばらく強打した.
‘発想の転換’というところから出て、インターネットに乗って広がった‘猟奇’と ‘わびしい三行詩’の流行.そして、アナログ的媒体の活字を通じて復古的な感性に訴えた‘のんびり’.全く似通わないふたつの流れの共存は、どのように説明されるだろうか.
恐らく、もうひとつの流行語‘フュージョン’が、その解答を提示してくれるようだ.各領域間の境界が消えて、お互いに混ざるフュージョンやクロスオーバーは、昨年に続き、今年も相変らず愛された単語であった.料理から始まったフュージョン旋風は、文学, 美術, 建築 等、文化全般にその幅を拡張していった.純粋は行って、全てのものは入り乱れた.高級と低級芸術の境界も消えており、東西洋, そして、芸術ジャンル間の区分も曖昧になった.あらゆることが混ざる.仮想現実も、実は、仮想と実在のフュージョンに違いない.
それなら、デジタル文化が産んだ才気溌刺な双生児‘猟奇’・‘三行詩’と、アナログ的な重い‘のんびり’の‘共存’も、結局は‘フュージョン’という‘大海’の一適の水ではなかっただろうか.
ソ・ヒョンスク記者[rebirth@kdaily.com]
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