2000年11月NEWS PEOPLE 444号

[カバーストーリー] 享楽の道と文化の道 '極と極'


経済・政治的・風水地理的に見る 江北と江南の差

newspeople00444_1.jpg (37362 バイト)狎鴎亭(アックジョン)現代アパート,オレンジ, ロデオ通り, テヘランバレー等、新興ファッション, 先端情報産業地として脚光を浴びる消費と享楽の江南.

仁寺洞通り,城北洞・平倉洞 ヴィラ団地,景福宮・徳寿宮, 大学路等、過去の栄光を思い起こさせる文化の江北.

江南と江北の差が逆転するのに、30年余りもかかっていない. 漢江の南を陰宅と呼んだ風水地理のせいであったのか、江南は60年代末までは田畑や梨の木畑, 桑園等の丘陵地として残っていた所だった.

第2次経済開発5ケ年計画に突入した67年度だけを見ても、江北の優勢は確実だった.
面積は、江北と江南がそれぞれ66.1% 対 33.9%で3倍程大きい.人口も、80.6% 対 19.4%で、圧倒的に多かった.しかし、いまはどうなのか? 面積は 49.3% 対 50.7%と、僅かだが江南の方がより広くなった.人口は、51.6% 対 48.4%と、ほとんど対等になった.

このような逆転現象はどのように起きたのだろうか? 現代経済研究所のキム・ソンドク博士は “ソウル都市基本計画が 発表された66年に、既にソウル市が北へ伸びていく余力がなかったため”と指摘する.

理由は2種類だ. 最初は、朝鮮戦争以後、北朝鮮との拮抗した緊張が持続したために、ソウル北側の現 イルサン 議政府などは緩衝地帯として残されたということだ. 二つ目は、既に1394年から朝鮮時代4大門を中心に発達した江北は、日帝の強力な占領期に入って、‘都市市街地計画令’に基づき、清涼里 敦岩洞 三成洞 新堂洞 ウァンシムニ 獎忠洞 等、旧市街地開発を既に終えた.四大門を中心に発達した漢江北側は、再開発する以外には, 開発する土地さえ残っていない状況だった.

結局、パク・チョンヒ(朴正煕)前大統領は、60年末から江南側の開発に突入することになる. 漢江の南 永東地域に広がる800万坪以上の土地区画整理事業を通じて‘江南時代’を開いたのである.現在の江南区と瑞草区は、京畿道クァンジュ郡とシフン郡の荒涼な荒地でしかなかった.

そして、江南時代は高層アパートと共に訪れた.99年末、ソウル市統計によれば、瑞草 江南 松坡 江東 等、江南のアパート普及率は、ソウル市の平均である35%をはるかに上回る60%に達している.鍾路 城北 道峰 恩坪 等、江北は反対に、一戸建て住宅率が65〜70%に達する.

大単位のアパート団地は、68年東部イチョン洞の公務員アパート, 漢江マンションアパート等の開発で始まった.同じ時期に現代建設は、68年から72年まで、胛鴎亭洞の原野を買い入れ, 75年から本格的なアパート建設に入っていった.特に、狎鴎亭 現代アパートは、坪当たり1千万ウォンの最高価アパートの誕生だった.70年に始まった蚕室開発事業は、大単位 工事であり, 88年まで蚕室高層アパート オリンピック選手村アパートなどが建設された.

このような開発過程で、富が新開地中心に押し進む余地が発生した.開発利益が私有化されたのである.財源が不足していた政府やソウル市では、財政負担なしに必要とされた敷地を確保する方法として、‘土地区画整理事業’を選んだためだった.江南に1万坪の農地があった人ならば、この中の20〜30%の減報率を除く開発の利益を独占できた.漢江の恵みで農作業をして桑園を育てていた閑静な田舎の農民が、土地成金, 新興金持ちとして登場した.不動産投機により、地価が数十倍 数百倍ごとに高騰を続けた.密室で都市計画がなされたために、開発計画樹立に参加した公務員 政治家 建設社等の関係者が、匿名で土地投機に飛び込んで, 金持ちになれる機会でもあった.

しかし、90年代中盤まで富の象徴である高級アパートの代表だった胛鴎亭洞 現代アパートで代表される江南文化が、建設と共に形成されたということではない. ある建設関係者はこのように回想する.

“現代産業開発の前身の韓国都市開発が、77年分譲した当時だけでも未分譲が出た.今は、アパートが普遍的な住居形態だが, 当時の情緒としては、‘マッチ箱のような所にどうやって住むのか’というものだった.それで、当時、イ・ミョンバク社長は、分譲を促進する手段として、無資格者と高位公職者たちに分譲をして、特典是非論議を起こしたこともあった.”

否定的情緒を抑えるために、建設社側では、社交と教育, ショッピングなどが円滑な生活共同体を作る戦略を選んだということだ.すなわち、無理をしてでも有力人を戦略的にアパートに入居させたり、現代デパートとガレリアデパート等のショッピング便宜施設を建設することだ.現代建設のある関係者は、“いわゆる建築企業の‘作戦’というわけだ.現在、三星が麻浦ガーデンホテルの後方に‘三星タウン’を成功的に作った.高級生活住居を形成することによって、アパート分譲価格の格を高めて、ブランド力を育てる方法だということができる”と話す.

このように、江南に富が集中する理由を、風水地理では胛鴎亭洞 瑞草洞 新沙洞
清潭洞の位置から探してみよう.清渓川 ジョンルン川 ジュンラン川が漢江と合流する地点が胛鴎亭洞だ.すなわち、人体で言えば、汚物を処理する肛門に該当するのだが,‘糞=お金’のような等式も成立するということだ.

80年‘第5共和国’政府が入ると、開発のパターンが変った. 2日刊紙に都市計画を広告し, 意見を14日間聴取する等、公開的に実施した.すなわち、80年代になってから、現在のように土地所有者に地価補償をして、土地を買収した後、アパートや学校などを建設する公営開発を開始した.しかし、相変らず、富が開発地域に付いてまわることは相変わらずだった.情報が常に入れ替わっていたのだが、それは, 既に60〜70年後半までに開発利益を得ていた人々が不動産投機に出たためだった.

84年から90年代まで続いたモクトン新市街地は、胛鴎亭洞 現代アパートに匹敵すべきアパートを建てて, その一方で不動産投機を行う意図であった.コドク地区, サンゲ・チュンゲ・ハギェ地区等、自然緑地に大単位高層アパートが建設された.

しかし、ソウル市の宅地開発は、80年中盤以後中断した状態だ. これ以上ソウルに編入させる土地も残っていない状態だった. 結局、88年 盧泰愚大統領の住宅200万戸開発計画公約は、ソウルを抜け出して京畿道城南市のブンダンと, 高揚市のイルサン新都市建設につながった.ブンダンは江南の属性を, イルサンは江北的な属性を持っていると評価されている.

圧縮的経済開発で富を蓄積してきた江南と, 漢陽政道600年以後、絶えず影響力を失っていく江北は、その差だけではなく、差別につながっている.

最近、ソウル市 国政監査で国会建設交通委 李允洙議員は、おもしろい資料ひとつを提出した. この議員は、最近開通したソウル地下鉄7号線の代表的な4駅を選定, 調べてみた. その結果、駅舎規模及び内部施設工事費が、1日の利用客数や駅舎規模と関係なく、富裕な地域に偏向的に過剰投資になったということを明るみにしたのである.江南区庁とノンヒョン駅の坪当たり内装工事費は57万ウォンと65万ウォンだった.反面、1日の利用客がこの2駅よりも8千名〜1万名多いチョルサン駅とグァンミョン駅の場合、坪当たり費用が各々27万ウォンと24万ウォンだった.また、江南駅とノンヒョン駅には、各々1億ウォンと1千400万ウォン相当の美術品が設置されたが、チョルサン駅とグァンミョン駅には美術品設置などはない.

理由を訊ねると、ソウル市は、90年2期地下鉄を設計する時、過度な施設高級化
を自制するために、地下鉄駅舎を3分類した.しかし、この中で、現在利用乗客数が上位10駅には、ソクハン ハギェ チョルサン グァンミョン サガジン ミョンモク 等の7駅舎が一般駅舎として区分されてあるという.この議員は、“施設が江南等の特定地域に偏ったことは遺憾”と指摘している.

今年初めにあった総合土地税とタバコ税の対等交換論争も注意深くみるべきだ. 当時、与党では、各区の財政自立度を高めるために、区税である総合土地税を税のタバコ税と換えてみようと提案した.ソウル市25区中の22区が賛成したこの案は、江南区 瑞草区 中区が反対することによって霧散した. ソウル市 都市計画課のソン・グォンス チーム長の主張が目新しい.

“60年代末から始まった江南開発計画に、政府とソウル市が全的にすがっていた.その時の財源はどこから出てきたのか? 当時、ソウル市人口の80%を占めていた 江北の人々のポケットから出てきたのだ.その結果、江南が繁栄を享受している.今はもう、江南の人々が江北のためにポケットを空けなければならない
.”

ムン・ソヨン記者 symun@kdaily.com

All rights reserved
Contact Webmaster & Tel : 82-2-2000-9586


Copyright (c)1995-2000, 大韓毎日新報社 All rights reserved.
E-Mail: webmaster@seoul.co.kr