“ぼくたちがパンパンだって?”
‘パンパン’? さる80年代末、オリンピックと経済成長等に対する希望の象徴として、88学番(註:大学--年度入学のことで、より細かい世代を示す)が‘夢の学番’という愛称と呼ばれたように、千年が変わる時点に大学新入生になった00学番には‘パンパン’という愛称がついた.
‘パンパン’に私達が関心を持つ理由は?
名前から‘ピョンピョン’弾む彼らには、既成世代は言うまでもなく、まさに1年前の99学番ともかなり異なる、なにか‘特別なこと’があるという評価だ.00学番の先輩たちの言葉によれば、“ちょっと大げさに言えば、100m離れて見ても、パンパンなのかどうか、すぐ‘気配’がわかる”という評だ.‘したいことは誰が何と言おうとするが、いやなことは死んでもしない’というい硬いこだわりがあって,‘私は私,
君は君, 私の人生に干渉する人は誰もいない’と主張し,‘現実世界よりはインターネット世界がずっと良い’と話す人、その学番はとやかく言う必要がなく'パンパン’だということだ.
一方では堂々としていて、個性があって、論理的だけれど、時には個人的で社会忌避的で乱暴に見える00学番たち.幼い時からサイバー世界の中でインターネットと先端メディアの洗礼を受けて育った彼らの登場で、大学社会に変化の風が吹いている.
00学番は‘出現’前から関心の対象になってきた.いったい、彼らをどんな名前で呼ぶかから、彼らはどんな大学生活をするようになるかという気がかりなことまで、数年前から‘話題’の対象になってきた.延世大学校
オ・サンミン(26)さんは“2学年時に軍隊に行っておけば、00学番と一緒に学校に通うようになるという期待感まで持っていた”と回想した.
‘2000’という数字が含んでいる‘神秘さ’も一役かっている.多くの人々が“2000年になれば、人々は宇宙服のような服を着て、食べ物の代わりに錠剤の薬のようなもので食事の代わりをするのでは?”あるいは、“2000年になる前に地球が滅亡するのはでないか”等、2000年にはなにか‘画期的な変化’があるように考えていたためだ.‘画期的な変化’はなかったが、00学番の文化には、以前の世代とは異なる‘何か’がある.
00学番が‘彼ら’と違う点.一言で要約しようとするなら、00学番が‘デジタル世代’だということだ.00学番は、携帯電話とノートブックのない世の中を考えることができない.一日に何度もサイバー世界へ接続する彼らのために、大学側でも講義室,
休憩室
, 図書館のあちらこちらにコンピュータを設置しておいた.そのため、00学番たちは、休講時間やあるいは講義室から別の講義室に移動する時にも、少しの間ホームページなどを通じてサイバー世界の中の‘自身’を管理できる.ソウル大は、今年1月、彼らのために総学生会事務室を最先端ネットワーク施設が備わった‘Nカフェ’としてあつらえて、自由に利用できるように開放した.
TV広告でしばしば見られる、携帯電話をながめてチャットに熱中する‘N世代’の姿を、既成世代たちはどう理解していいのかわからない.だが、こういう姿は、00学番にはあまりにも当然だ.
93年度に大学に通っていて、今はもう完全に‘オヤジノ’になってしまったと嘆くチェ・ヨジン(26)さんは、00学番のいとこが携帯電話でキーを押してメッセージを電送する速度に“恐ろしいばかり”という.00学番は、そばにいる人にも携帯電話メッセージを通じて話を伝達するらしい.
サイバー世界を現実世界と同様に、あるいは現実世界よりよく見えるかのような00学番たちは、人々と交流する時間より、ネットカフェにいる時間がより多くなった.彼らは、‘インターネットは、より広い世の中に出会う方法’という持論を繰広げている.間違った話ではない.資料を探して学校の図書館を訪ねる旧学番たちとは違い、インターネットで何度かのクリックではるかにより多い量の情報を求める事もでき、インターネットチャットを通じて、はるかに多様な種類の人々に会うことができるためだ.
音楽もゲームもレポートも、全てのものがオンライン上で可能だ.範囲も物理的制限がなく、無制限だ.だが、あまりにも部屋に閉じこもってコンピュータの前にだけかじりついている00学番の‘社会性’を憂慮する声も聞こえる.
最も憂慮される点は、まさに、人間関係.オンライン上の生活が生の重要な部分になっている00学番の人間関係は、‘自己中心的’で‘軽い’が多い.
彼らは“学校や科の集まりで出会った友人や先輩より、インターネットサイトで会った人の方がより親近に感じられる”,“20〜30分のチャットを通じて気が合えば、すぐに会っておもしろく遊ぶ”としながら、“特に用事も無いのに先輩たちとつるんでいるよりは、人に被害を与えずに、主体の自由を享受する方がより合理的ではありませんか?
”と、反問する.極端な場合には、“人間関係が広くなれば、疲れて、うるさくなる”と話すニューフェースもある程だ.師弟関係も、以前の学番たちとは異なり、授業中に携帯電話を鳴らしても別段罪の意識(?)を感じない.梨花女子大
パク・セヨン(18)さんは、“自分にかかってきた電話を、授業時間だからといってあきらめることができない
”としながら、“受講生数が少ない専攻授業の場合には少ないけれど、100名以上を超える教養授業の場合は、授業中にあちこちで着信音が鳴っている”と話す.だが、教授や他の友人に“すまない”という気がすることよりは“当然だ”と感じることが、講義室の新しい姿だ.
だが‘自分の生の中心は、まさに自分’という00学番たちらしく、未来に対する準備は徹底する.彼らの大学生活の大部分は、将来の職業のための準備と関連する.彼らは
‘大学1学年がなぜ勉強するの?’と、授業に出もしないで友人や先輩達と遊んだり、‘友人をつくりたくて’などとサークルに加入した先輩世代を、むしろ理解できない目で眺める.代わりに、1学年時から未来のための準備として学院に通ったり、サークルも関連サークルに加入する.‘ラジオPDが夢だという西江大ソン・インホ君は、“広告サークル活動をしている”としながら、“サークル活動後、先輩たちは酒を飲むけれど、00学番たちは大部分が自分の発展のための他の活動をするために席をはずす”と話す.00学番たちは、英語学院を‘基本'に、自身の目標によって、会計学院,
高試学院等、2〜3の学院で科目を受講しているという.
しかし、彼らの将来目標が千編一律であるわけではない.“ぼくたちはしたいことをするだけで、社会の視線は気にならない”という西江大
ファン・ゴンヒ(19)君とパク・スンリョン(19)君は、“サウンドをさく烈させるバンド演奏者になりたい”という.同じ科の友人だというイ・ジョンヒョン(19)君も、“なにかは決めていないけれど、終生おもしろく暮らせる仕事を
したい”と口をはさんだ.判事, 検事,
医師等、人々が通常‘良い’と考える職業も、彼らには‘仕事をする面白味がなければ、‘価値’がない
.‘自分がしたいこと,
特に、おもしろくできること’が、彼らには最高の職業になるのだ.
2000年 00学番を眺める彼らの大学の先輩たち(卒業をしようがしていまいが)の視線は、一言で‘愛憎’の交差だ.‘自己の自由とプライド’をもった彼らが頼もしい自身とはあまりにも異なる別の姿に眉をひそめる時がある.過度に自分中心的であったり実利だけ追求する時、‘なにか人間的な面’が欠けているようで気になるということだ.教授・先輩たちは、"長所を培ってやって、彼らが悟っていない幅広い人間関係と、深みある自己の必要性を呼び覚ましてあたえるのも、私たちの役割"だと皆が話す.梨花女子大
ジョン・オジン(23)さんは、“00学番たちに関して、‘異なる子供たち’‘乱暴な子供たち’だと速断するのではなく、むしろ、その堂々としていることと自由さを肯定的に評価してあげるべき”と話した.
最近、‘同感’という映画が封切りされた.1980年代の大学生と2000年代の大学生が、偶然に無線通信を通じて、20年を跳び越えて出会うことになる.好きな人の前で顔も上げられない80年代の大学生と、友情と愛の間を‘ハラハラ’するように行き来する2000年代の大学生.だが、二人は、お互いの大学生活を無線通信でやり取りして、とても親しい仲になる.二人の間には、大学生として‘同感’できる部分があるためだ.明らかに以前の大学生たちと異なる大学文化を作っている00学番たちが正しい方向に進むようにするためには、先輩たちの愛情深い視線が必要とされるという指摘だ.
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