2000年5月NEWS PEOPLE 417号

[カバーストーリー] 学校の宿題も子供たちも'後まわし'

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小学校の父兄たちに共通の話題がある.“宿題があまりにもむずかしい. いったい、子供にしろというのか、父母にしろということなのか…”

小学校4年の娘の宿題のために“生まれて初めて編物を学んだ”という父もあれば, 週末は調査と踏査の宿題を‘隨行’するために約束を入れないという父もまれでない.母親達もそれは同じ.“宿題をしようとしたが、実力がばれた”“子供から、他のママより何故できないのかと責められた”という話も飛び交う. さらに、職場を持ったママならば、宿題は途方もない負担だ.ママの手助けなしでは出来ない宿題が大半で、小学校低学年ならば緊張がほぐれてのんびりしているなかで宿題をするしかないためだ. だから、子供の宿題ではなく、ママの宿題, 父母の宿題だという言葉も言い過ぎではない.

学校の宿題にも子供はいない.宿題ですら、この時代の子供たちは徹底して疎外されている.

“宿題とは、子供ができる範囲内で出すべきではありませんか? 父母と一緒にすることを前提とされた宿題をする度に、子供にとって、そのような宿題はしなくてもおなじようで心配です”小学校 3年と2年の子女を持つキム・ミンヨン(36・ソウル 永登浦区 堂山洞)さんは、最近、子供の読後感の宿題でひどい目にあった.

読後感を書くこと自体が問題なのではない.ジ・ソクヨン, ソン・ビョンヒ 等、毎週、指定される偉人伝を読みなさいというのだが、彼らの偉人伝を市中で探し出すのは、ほとんど不可能だ.大型書店を廻って、結局、何巻かの子供用偉人百科事典を組みあわせて読むことにした.会話体にやさしく直してなく、かたい歴史的事実の羅列が子供には難しくて、やむをえず‘手助けした’.また、毎週‘興味深くて、おもしろい宿題’を提出しなければならなく、気が気でない.‘家族の足を洗っている写真を撮って提出しなさい’‘童詩(註:子供向けの詩)を録音する声優になってみなさい’という宿題が出される.写真と共に, または録音テープも提出しなければならないという宿題が、週に一回ずつ与えられるので、なかなか面倒だ.それで、やむを得ず、ポラロイドカメラを購入した. 彼女は、暮らし向きが大変な子供たちはどのようにしているのか、心配だと話した.

こういう‘大げさな’宿題は‘自己主導的学習課題’の一端だ.宿題の問題がより一層ふくらむのは、長期の休みだ.夏休みと冬休みの宿題は、全家族がとりかからなければならない.

休みを現場見学体験の機会としなさいという忠告と共に、大部分の学校では、自然観察, 探査, 実験実習, 修練, 民俗遊び, 趣味, 奉仕等、各分野で学生自らが宿題を選択するようにする.もちろん、その前の世代たちがした算数の問題と国語単語などよりは、創意的でおもしろい.意味もある.‘私たちの村の遺跡地調査報告書’‘昆虫を育てた成長日記’‘家族新聞 製作記’‘私たちの故郷地図製作’‘完全に・詳細に・正確に一日の生活を書いてみる’‘砂利を踏んでみた、心地よい感じ’等、多様だ.

なんと、こういうことが宿題になるのか、という感嘆が出てくる程である.しかし、これは 、少なくとも小学生の父母ではない人ならば、気楽に出せる感歎詞だ.
父母でいることがどれほど難しいか、小学校の宿題は教えてくれる.父母が‘宿題をするのが大変だ’という理由で、その宿題が悪いという指摘は出来ない.‘楽しく、また、創意性と人格教育, 教科学習が統合的になされた教育であるだけでなく、子供たち自ら参加できる’ということが、最近の児童参加課題の長所だ.これをよく活用している家族もある.

子供たちのために、夏休みの宿題でクワガタを育てたというホン・エスク(40)さんは、“宿題に子供を正しく参加させることさえできれば、家族が共に学び, 感じる場にすることができる”と話した.

ところが、‘自ら参加する’は、まさに、その重要な条件を学校から抜き去るかのように誘導することが多いという問題がある.評価の客観性が欠如するかと思えば、父母の参加をそそのかす格好になるということだ.

ある田舎の子供が、ソウルに行ってきた報告書をだしたところ、銀賞を受けた.ところが、金賞は、米国に行ってきた報告書をだした子供だったら….実際に、こういう例はまれではない.自分でしたのか, 両親が助けたかは評価の対象ではない.見かけの良い宿題が良い点数を受けるという事実を、既に子供たちは理解している.それで、ママの参加を子供たちはせがむしかない.

“子供の力で宿題をしなければならないのに、‘ママが宿題をした子が金賞を取ったんだ’と言います.そして、ママも手伝ってくれれば、自身の評価がより良くなるはずだというのですよ”キム・ジョンソン(38・高陽市)さんは、子供に‘自分で’する大切さを強調することは、むしろ、子供には父母の弁解だと感じられているようだと心配する.

学生達自らが参加して, 体験する学習に対して、誰が反対するか.問題は、運用する人の側にある.さらに、学校授業に遂行されるべき製作記と観察まで、皆、家庭に明渡す無責任な学校教育には、明らかに、子供に対する配慮がほとんど無いことが明らかだ. いや、むしろ、子供と父母に嘘をつく機会をあたえるのでは、という極端な心配もある.

“とても時間を作ることができなくて、子供に博物館も科学舘も連れていけない時には、‘見たことにしよう’と、嘘の報告書を書かざるをえないですよ.子供は宿題をしなければならないと心配するから、父母が嘘をついて,子供にも 嘘をつかせるようですよ”ハ・テソン(48・ソウル 蘆原区)さんは、‘商売をしているため、私は宿題を出来なかった’と言いながら、息子の宿題をしてあげたが、どんなことになるかわからないと手を振った.

さる27日, 青少年保護委員会では、家庭教育実践主題として‘責任感を育てよう’を、選定・発表した.ここで、キム・ジェウン(梨花女子大 教育心理学科)教授は‘私達の社会の慢性的な弊害の無原則, 無秩序, 無責任意識’を指摘しながら、“自ら宿題をせずに、お母さんに頼ったり遊んで過ごした後、おもちゃを整理しない等、自分でしなければならない事に責任を負わない子供たちと父母達の現実を改善しなければならない”と強調した.

それなら、宿題を手助けしながら教育的な効果を心配しなければならない父母の悩みは‘公然たる心配’ではない.子供が自分でやり遂げられない宿題は、単に宿題に留まらず、解決出来ない問題を育てるわけだ.宿題を父母に頼りながら、独立心もなく, 責任感もない子供に育っていくわけだ.そして、こんにちの私達の社会の弊害を次代にそのまま受け継いでいくわけだ.
もちろん、これを全て学校と教師にだけ責任を求めることはできないだろう.

詩人であり忠南禮山教育庁学務課 奨学官のシム・ジャングン氏は、明らかな答えを提示する.“子供達が宿題をやり遂げる能力がないのではないかと心配する両親が問題だ.子供たちの手並み, 実力には、それにふさわしい程度がある.だから、ご両親の水準で教師の指示に揺れるよりは、‘自らできる程度だけ’するのが良い、という明らかな価値観を持って, 宿題や評価の結果に戦々恐々としなければ、問題解決はむしろ簡単だ”
そして、父兄に“物理的な道と心理的な道という次元で、腕を伸ばしてなんとか届く程度に子供が落ちつく”と、忠告した.

学校の宿題は、単に教室の問題だけではない.宿題でさえ、子供たちの持分ではない現在, 宿題を子供たちの手に戻す運動を繰り広げなければならない時だ.


ホ・ナムジュ[yukyung@kdaily.com]


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