98年8月 Lady 京郷 Lady京郷HPへのリンクです

第3集 アルバム 発表・ミュージカル ‘ハードロック カフェ’に出演する 歌手 ユン・ドヒョン.

健康な声で人気を集めてきたロッカー ユン・ドヒョンが自身のバンドと共に第3集 アルバム ‘疎外’を発表した. また、極暑にもかかわらず、ミュージカル‘ハードロック カフェ’に出演することにした. 新鮮で開かれた可能性を持ったロッカー ユン・ドヒョンに梅雨中に会った.

梅雨中でも洗濯をする時間は天から与えられるという話がある. ユン・ドヒョンに汝矣島で会ったのがそのような時であった. 午前は終始雨が降り続いていたが、途中で日差しが差し込んできた時であった. 彼は長い髪をたてがみのように伸ばしてたらし、歩いてきた. その姿は、あたかも、平原を走る‘シンバ’を連想させた.

とりあえず、梅雨なので, ‘雨は好き?’と聞いてみた. ところが、彼の顔が不明瞭に変わった. lady_kh98_8.jpg (8805 バイト)

“はあ…、それなんですが…元来は雨が好きだったんです. ところが, 昨年、水害を被りました. 私の父がやっている坡州のクリーニング屋が浸水する事態になってしまったのです. 周囲からいただいた水害義援金が9 百万ウォンにもなる程に深刻でした. そして、今年はIMFのため(註:もちろん、IMFが悪いわけではなく、IMFが介入せざるをえなかったほどの不景気のことをいう)に商売も良くないのです. この頃では、私が 青年家長の役割を する程ですよ”

昨年には水騒動を体験して, 今年は IMFの影響を受けている・・・.

思いもよらない答えを聞いてしまった. それで‘水害は二年連続起きたことがない’と慰めた. それから、雰囲気を変えて、‘何故、疎外という単語をアルバムのタイトルにしたのかと聞いた. すると、このライオンキングは、非常に真剣な顔になって、自身の音楽に関する問いに答えた.

“私はロックをするロッカーです. 音楽に時代性を込めるべきだと思うのですよ. ところが、最近見ていると、IMFのためか疎外を感じる人たちが多くなったと感じるようになったのです. それを音楽に込めただけです.”

最初のトラックに収録されたになったインストゥルメント‘頭を下げた人々’は、典型的なロックバラードで、バンドのギタリスト ユ・ビョンヨル氏がソウル駅前の野宿者たちを見ながら感じた感情を表現した曲だという. 野宿者たちの姿が、80年代初めの軍事独裁を思い起こさせる程に暗鬱だということを強調している.

2番目のトラック ‘王冠を被ったバカ’は、優秀なふりをして高慢な一部の上流層を揶揄するパンクロックだ. 攻撃的なリズムと粗削りなコーラスが印象的だ. だが、注目を引く歌は、六番目の収録曲の‘7年の懐かしさ’.

7年間獄中生活をしている詩人 朴ノヘを思って作った歌なのであるが, 闘士 朴ノヘではない、人間 朴ノヘの心情を考えて作ったという.

“偶然バンドメンバーが集まって、TVで放映されたドキュメンタリーを見たことがありました. 特別に考えなくとも、結局、‘死刑囚も人間なのです. 死んで当然でも, 死を前にして人間を思う’という製作意図に私も同感でした. 実は、私たちの第2集で朴詩人の‘この土に生きるために’に曲を付けたことがあります. その時、あまりにも苦労をしたので、今回は歌詞(?)まで私たちのものを使いましたけど.”

事実、今回のアルバムは、ユン・ドヒョンには3番目のアルバムだが、‘ユン・ドヒョン バンド’にとっては2番目のアルバムであるわけだ. ‘カン・サネの亜流だ’という極端な酷評まで聞いた青二才ボーカルリスト ユン・ドヒョンが苦心の末に選択したのがバンド結成であったのに、第2集アルバムでは、バンドの音楽ということでは‘呼吸’が不足しているという評価を受けた.

しかし‘疎外’はそのような評価を辞退する程に充実した内容を含んでいる. メンバー 全体がプロデュースを担当して、演奏 編曲 コーラス ミックスまで、バンド内部で仕上げたという.

“実は、第 1集は故郷坡州の話です. 第2集は故郷を離れて都市生活を始めた、馴染めない暮らしの話だとするなら, 第3集は慣れた都市を眺めながら感じた経験と感じを歌いました. 矛盾, 疎外, 嘲笑というようなものでしょう.”

それでか、今回のアルバムで‘場違いな’曲は‘遠い後日’だ. 離別の痛みを歌った、ブルースロックスタイルのラブソングなのであるが, アルバム販売の助けになると、企画社の意見も受け入れたという.

“私たちがあまりにも固執して、事務所に申し訳なく思っていました. それで妥協をしたのです. ‘どんな曲をタイトルに加えてもかまわない, しかしアルバムは私たちが作る’と.”

メタリカのように偉大なロックを作ってドルを稼ぎたい

ユン・ドヒョンはアルバムの広報のためにより積極的に出た. トークショーに出演して、どもりの話もする予定で、コメデイ番組には‘キャメオ’ として出演する予定だ. それがバンドとアルバムの助けになるという考えのためだが, 内心では気後れしている.

“実は、私はメタリカのように公演だけをしたいのですよ. 底辺から上がってくる情緒を代弁して、ファン達から認められて格好良く舞台に上がりたいですよ. ところが、韓国的状況ではロックというのは位置が不明瞭でしょう? 時々、気持ちがふさぐ時には、似た境遇の人たちと酒も飲みますよ. ‘私はこういう状況になってしまったんだ…’ ‘私もそうだ’ ‘そんな時はどうしたらいい?’などとね.”

主に交流する相手は、カン・サネ キム・ギョンホ ジャウリム という同じロッカーたちだ. 非常に無愛想で気が利かないせいで女友達もいない. それで酒を飲むのだが, とてもよく飲むほうだ. 今年で二十七歳になり, 三枚目のアルバムと一編の映画, 3番目のミュージカルに出演した経歴を持った彼は、IMF 時代に対してどう思うのだろう?

“皆大変でしょう? こちらも同じですよ. 以前とは違いますよ. 実は、私は音楽でドルを稼ぎたいんです. パク・セリや朴チャンホが韓国が持たせた才能で大金を稼いだでしょう? 金ドクスのサムルノリも世界的に認められています. 韓国のロックも可能性がある分野だと考えています. 頑張って努力するのは, 私もメタリカのようになりたいためです”

それで、最近彼は英会話を勉強しようと、アメリカ人の友人デリックを紹介してもらった. あらかじめ準備しておこうという考えだ.

ミュージカル‘ハードロックカフェ’は彼にとって3回目のミュージカルだ. ‘犬糞’ ‘ジーザスクライスト スーパー スター’このようなミュージカル以外にも、彼は‘ジャングル ストーリー’という映画で主演もした. すっきりした顔, 専門の俳優には感じられない初々しい演技の味を知っているロッカーである点が演出者たちには魅力に見えるはずだ.

“今年初めにあった‘自由’というリレーコンサート(註:Freedom'98コンサート.音盤の事前検閲制度廃止を記念して'96年から行われて、今年で終了した)に黄インレ監督がいらっしゃいました. 誰が書いたのかは知らないけれど, 最初の純粋創作ロックミュージカルだということに心が惹かれました. また、バンド全員が出演するという ものも心に届きました. それで、暑い日でしたが, 汗まみれになって苦労をしようというつもりで決定しました. 実は、いまだにミュージカルがどんなものか、よくは知らないのです.

‘犬糞’は私の崇拝する金ミンギ氏がなさるだから、無条件に出演し, ‘ジーザスクライスト スーパースター’のイエスの役が, あらゆる歌手がしたいと思う役だったからです. 事実 ‘ジーザスクライスト スーパースター’公演の終わりの方では、演技の味がわかるようになったので, よくなったと思います.”

ミュージカル ‘ハードロック カフェ’は、黄インレ監督の2番目のミュージカル. 俳優 崔ジョンウォンと林ソンエが出演して、原作はスポーツ紙の現職文化部記者が書いて、音楽は金ジュンウォン, 振りつけはジュ・ウォンソン 呉ジェイク 氏が参加する.

8月22日から10月 6日まで公演されるのだが、ミュージカルの名家 ソウルミュージカルカンパニーが製作するということで多くのファン達が関心を持っている.

東豆川の洋公主(註:外国人相手の娼婦)から生まれた孤児 ドヒョン(ユン・ドヒョン)は、バンドを組織して、米8軍まで進出して、夜の舞台ダンサーと恋に陥る. まもなく最高のロッカーになってトップの座に上がるが、ダンスミュージックの流行で、また奈落に落ちる

バンドも解散して、大衆の関心から遠ざかったドヒョンは、彷徨を繰り返している途中で東豆川にまた戻る. しかし、幼い時期に音楽を学んだ所が‘ハードロック カフェ’に変わっていて、そこには、愛とバンドが待っていたという内容だ. 黄インレ監督特有の繊細な演出が期待される.

“ところが練習する時間がなくて、困っています. 観客に失望をさせるようなことになってはだめなのに….”

最近、彼は4輪駆動自動車を売った. ですから、気持ちもからだも楽です. バンドの名前でもっと大きいクルマを買って乗り、普通は地下鉄などの大衆交通手段を利用する. 時々、地下鉄5号線で帽子をぐっと目深に被った彼に会うことができる.

また、最近、彼を楽しくさせていることは、フェンダー ツイン アンプを 260万ウォンで導入したということだ. それで、少しでも時間あれば、アンプを撫でてニヤリと笑ったりもする. 1ケ月に必ず一回は、新村のローリングストーンズというライブ カフェにも出演する. アンダーグラウンドのバンドたちとずっと交流をしたいからだ.

“私たちのバンドはアンダーグラウンドではありません. でも、アンダーグラウンドとオープンを反復するバンドだと言いたいですね. それでこそ発展も可能です.”

文 / 朴フンギュ 記者 写真 / 全ホソン 記者