97年8月 Lady 京郷

ヌード モデル志願者が増加している. “私もイ・スンヒになれる!”

イ・スンヒ シンドローム以後、ヌード モデル志願者が増加している. ヌードモデルに対する認識が変わってきているのだ. 良ければ、有名になれ,お金も儲けることができるためだ. ヌードモデルスターが出てくる日も遠くないようだ.

イ・スンヒ シンドローム以後、ヌード モデル志望者が増えて、 協会に一日20余件の電話が殺到.

アトリエから静かに服を整えながら出てくるキム・ミソン( 21・仮名,大学生)さんに会った. 初めの約束とは違い、インタビューをしたくないという. 写真を撮らないということと仮名を使うという約束をした後に、やっとインタビューを開始した.

普通の身長に若干太り気味のスタイル,可愛い顔のキムさんは、ヌードモデル経歴10ケ月の新人モデルだ. 家の状態が難しくて学校を休学しなければならない状況で、偶然に知りあった美大の先輩の紹介でヌードモデルを始めたという. 両親がこの事実を知っていれば、恐らく家から追い出されただろうという言葉も付け加えた.

モデルとしては体つきがちょっと太り気味のようだと言ったところ,くすっと笑って“そうですね. ヌードモデルは体つきとはそれほど関係がないようですよ. 顔に関してもそうかもしれない(可愛いくなくてもいい). 理由はよくわからない.”と言う. ヌードモデルをしている人々の場合、キム・ミンスさんのように自分がしてしていることを周囲に知られることを希望しない人々が多い. いや、過去にはそうであったと、話を変える方がより正確な表現かもしれない. 何故かというと、近頃は堂々と(?)職業としてヌード モデルを選択しようという人々が増えているためだ.

以前、イタリアの衣類業者のベネトンは果敢に(?)服を脱いだ売春婦をモデルに登場させて話題になった. 全裸のからだで新聞やTVコマーシャルにまで出演したことである. もちろん、身体の一部を隠しはしたが. わが国でも、衣類業者の社長で、コメディアンのジュ・ビョンジンが身体の一部を隠したヌードで広告に出演し、話題になった.

そして、“期待に背く”“詐欺性がある”などの非難が起きたが、その当時ではだいぶショックな場面だった. 脱ぐということだけで世間の耳目が集中するのが私たちの現実だが、堂々とヌードモデルを職業に選択しようという人々が近頃増えているという. イ・スンヒ シンドロームが国内を強打したためなのか、でなければ、また他の理由なのかはわからないけれど、ヌードモデル協会(会長 ハ・ヨンウン)にヌードモデルをするにはどのようにすればいいかを尋ねる電話が一日二十件以上くるらしい.

しかし、まさにヌードモデル志願者が増えているけれど、ヌード モデルという職業を理解して徹底的にプロ意識でやっていこうという志願者は多くなく、残念だとハ・ヨンウン会長は言う。 女性の場合、自身の胸が大きいからヌードモデルをしたいとか、男性志願者の場合、自身のシンボルに対して誇らしく話す人々があるが、そのような人々はヌードモデルに対して誤った理解をしている.

ヌードモデルは単純に服を脱ぐということだけでなく、服を着ないで人体の美しさを表現しなければならない職業だ. 服で身体の 一部を隠すこともなく、みなあらわにするヌードモデル…. 現在、全国で500余名のヌードモデルが活動していると推算され、年齢は10代から40代までと多様で、学歴も留学派から高卒または高等学校中退まで多様だ.

女子は軟らかい体つき, 男子は筋肉質 まず単純に他の人々前で服を脱ぐという理由だけで賎待(?)を受けた職業, ヌードモデル.ヌードモデルがすることはどんなことなのか知らない人は恐らくないだろう. しかし、ヌードモデルがどんな分野で活動をするようになっているか、どんな難しさを体験するかに関しては、よく知らない人々がより多いだろう.

まず、ヌードモデルが活動できる分野はクロッキーモデルだ. 絵を描く人々のモデルになることなのであるが、最も多くのヌードモデルが活動する一般的な分野だ.

クロッキーモデルの場合、同じポーズで長時間いるという難しさがあるけれど、顔が露出される危険は絶対ない. また、体つきが抜きんでていたり、顔が成形美人のように美しい必要がない. 若干太目の体つきを持った人間的な体型がより人気がある分野だ. それで顔の露出を敬遠するヌードモデルが好む分野だ.

ヌードモデルが活動できるもう一つの分野は写真モデルだ. 作品写真は精密描写になるために、整った体つきに、美人型の顔を持ったモデルが活動をするようになるらしい. スタジオのなかで撮影をする場合もあるけれど、野外撮影をする場合も多く、格別な難しさがある. 写真モデルは瞬間的な表現力が飛び抜けるべきだ. 写真作家が特別なポーズを注文することもあるけれど、モデル自らポーズを行なったり、演出しなければならないために、経験が多いプロ級以上のヌードモデルが主に活動する分野だ.

あとは広告モデルだ. 広告モデルの場合、顔が飛び抜けるような必要はないけれど、体つきは飛び抜けるべきだ. 広告モデルの場合、化粧品会社の製品,ストッキング,下着等、多様な分野で活動する. この他に、ヌードモデルは有名芸能人など俳優等の代役で出演することもある. 脱ぐことを拒否する一部女子芸能人等の代役で出演すること増えたのである.

この場合にも、ヌードモデルと同じで、美しい体つきのモデルが主に活動する. しかし、活動分野がどこでも、どんなモデルにも共通なのは、女子モデルの場合は女体の軟らかい曲線を,男性モデルの場合は人体の強い力を表現しなければならない. 活動分野も多様だが報酬も多様だ.

概略的な統計さえ出すことができないほど多様な金額の報酬が策定される. クロッキーモデル,写真モデル,広告モデルが受ける報酬が違い、また経歴に比例してまた他の金額が策定される. 同じ広告でも、1カットに1千万ウォン以上をもらうモデルがある反面, 広告作品ひとつに出演しても、十万ウォンしか受けとれない場合もある.

ヌードモデルの場合は、広告モデルでもその他ファッションモデルのように特別な制限もなく、現在活動する男子モデルの場合、最年少ヌードモデルは満17才,最年長者は45才という.

年齢に制限はないけれど、人体の美しさを表現するために、自身のからだを育てることに努めなければならない. 筋肉を育てる肉体美運動,水泳などの運動をしなければならないことはもちろんだ.

ヌードモデルも職業であるゆえに確実な職業観があるべきだ. また、他の人々と他の状況で仕事をしなければならないために徹底したプロ意識がなければならない. 恐らくヌードモデルをしながら体験することになる格別な苦渋があるためだ. ヌードモデルが体験する困難は概してこうだ.

伝統的な儒教意識が広まっている私達の社会で、誰でも知っているだろうが、ヌードモデルは賎待を受ける職業でしかない. 周囲の人々に積極的に自身がすることを堂々と話せない. そんなために孤独にならざるをえない. 仕事をしながら感じる疎外感もある. 同じ分野の仕事をする人々から敬遠されて除け者にあう境遇が多く、このような時が最も苦痛だというのがヌードモデルたちの言葉だ。

芸術ではなく猥褻だという理由で、芸術ジャンルに加えようともしない時、本当に気に障るということだ. 同じモデル業をする人々どうしの場合はより厳しい. 同じ分野で仕事をしても- 広告や映画, 芝居- ヌードモデルを同じモデルとは認めない. ベテランヌードモデルまでも骨身にしみる疎外感だ.

SBSドラマ‘モデル’の台詞中“はなはだしくはヌードモデル協会などができたこと….”という台詞があって、告訴をするか,抗議をするかと悩んだとヌードモデル協会長は言う。

ヌード モデルらが体験するもう一つの 困難は性的虐待だ. モデルを一つの人格体として対せずに、公然と“性器はどんなだ.”または“一度見せてもいいんじゃない”等の 卑猥な言葉を容易に吐きだすという.

それでクロッキーモデルの場合、画家が男子なのか女子なのかを確認して仕事を始める場合もあるという. 初めてヌードモデルをする人々の場合、体験することになる最も大きい困難である. このように多くの困難があるが、それでも一度やってみたいという意志を持ったヌードモデルが、自分の職業としてのヌードモデルがどんなことをするのか、どんな困難がある職業なのかを知らせるために芝居を作って公演している.

ソウル大学路で関心を呼んでいる芝居 ‘島 - ヌード’がそれだ. あらすじはこうだ. 銀,姫,英,慶,閔 - 五名のヌードモデル,彼女らが野遊会へ出発する日、切符売りの話だけを聞いて、オムスク島行チケットを買ってくる. オムスク島に到着すると,ある女が彼女ら一行を迎える. その女は有無を言わさず、そのような衣装をしていては島に入ることができないと足止めをする.

露出が大きいが,誰でも着る平凡な夏の衣装であるのだが. 困った一行は, 直ちに島を離れようとしたが船がない. 結局、翌日発つことにして,村の大きい おとなという長老が指示した島の裏面の廃家に行かされる. その日の夜、暴風雨が押し寄せた. 翌日も船が出せず、梅雨にも入り、彼女らは不意に望まない島に閉じ込められた身分となる. 彼女らの前に再び現れた女は、島にとどまる間には、厳粛な綱領に沿うべきだと、いくつもの注意事項をこと細かく与える.

あたかも、朝鮮時代の両班の処世規律と同じ 綱領に一行は唖然失色するしかない.そのような退屈と孤立の日々で一週間を送った. そのかた苦しかった女が、日が過ぎるに従って,ヌードモデルに関心を表するようになる. ヌードモデルたちは、女に自分たちの職業に対する哀歓を見せる…. 芝居が進行される間、小劇場から猥褻であるから公演を終らせるように圧力が入ったこともあって,ある日刊紙記者は‘あまりにも見せない’という酷評を書いたりもしたという.

しかし、芝居をする当事者たちはそれほど意に介さない. お金を稼ぐために芝居をするというわけではなくて、評価を受けるためにする演劇であるためだ.ヌードモデルという職業を一般人らに認識させたくて、芝居を公演するようになったという出演者の言葉にあるように、いまだヌードモデルは決して平凡な職業ではない.

しかし、脱ぐことなしでは芸術にならないアイロニーが成立する現実がある. ヌードモデルに対する認識を私達の社会に蔓延している‘様非現象’に比喩する古参ヌードモデルのハ・ソヨン. “可哀相な人のために一定金額を慈善金で出すことができるけれど、いざ自身が住む町内に障害者学校ができるとか、孤児院が建つことには決死の反対をする現象を様非現象というよ. ヌードモデルを眺める私達の社会の見解も同じではないか.”

脱ぐことなしでは芸術を出来ないと考えて、自身の作品に出演する俳優は脱ぎながらまさにヌードモデルをつまらない存在と認識する現実を指摘する. 韓国はポルノ映画とエロ映画さえ、そのジャンルの区分が曖昧なことが事実だ. そのように脱ぐ映画ならば、みなポルノになってしまうことが私たちの文化の現実である. まして、ヌードモデルがポルノモデルとは全く他の職業だということを理解している人はどれだけいるか.

ヌード モデルで活動している当事者でも、その差を確実に認識できない人々が多い. 参考に話すならば、ヌードモデルは絶対に性器露出をしない. 国内で活動するヌードモデルの話を借りれば、イ・スンヒはポルノモデルであって、ヌードモデルではないということだ. そのように海外博士が国内博士より権威があるかの様に見られる学界の一般的風土のように、イ・スンヒも海外派だという理由で人気を得たという分析だ.

ヌードモデルを志願する人々が増えていることは、MBCミニシリーズ‘愛をあなたの胸に’でトランペットを吹く姿が画面に出てくると、サキソフォンを学ぼうとする若者達が増えたことと同じ一時的な流行なのか、でなければ本当にヌードモデルに魅力を感じて、終生の職業に選ぼうという人々が増えていているのかはまだ分かるすべがない. しかし、明らかなのはヌードモデルを支援する人々が増えている点だ.

ヌードモデルを志願する人々が最もはっきりとデビューをすることができる方法は、韓国ヌードモデル協会を利用することだ. 昨年に発足したこの協会の書類選考と面接を経て会員を選抜する. 一定の教育期間を過ぎて正式にデビューをするのだが、教育期間中にもヌードモデルで活動できるという利点がある. 確実な職業意識と価値観を最も重要な選抜基準としていることが協会関係者の話だ。

ヌードモデルインタビュー

“無視する態度を見る時つらい”ミン・ジヒ(女・22 歳・経歴 1年)

ヌードモデルに対する関心が強く、昨年、直接ヌードモデル協会を訪ねた. 主に広告写真分野で活動している. 仕事をしながら常に楽しくて元気が出る. 広告写真ではエバース製品のものに出演し、映画‘マリアと旅人宿’でシム・ヘジンの代役でドラマにも出演した.

また、KBS‘生老病死の秘密’にも出演した. ご両親も知っています. はじめには反対なさったのに、私があまりにもしたいから、ご両親も何も言わなくなった. 仕事をすることがあまりにも楽しくて興味が沸くけれど、同じ分野で仕事をする人々と会った時、彼らの態度が無視しているような時最もつらい.

しかし、職業に選択したことに対して後悔したことは一回もない. 前向きにこの仕事をずっとすることだ.

“見事なわたしのからだを一人で見ることが惜しかった”

チェ・ミン(男・18才・経歴 6ケ月)アルバイトで6ケ月前からしている. 運動で鍛えたからだを一人で見るのが惜しくて(?)仕事を始めた. 経歴は短いけれど、広告と映画に出演した. 経歴が短いためか、特別な仕事をしている. ご両親も知っていらっしゃって、許諾を受けて仕事をしている. 職業で続けるつもりはなくて、単にアルバイトとしてしているだけだ.

“かなりよい収入ゆえにする”

キム・ソンジュ(女・22歳・経歴 2年)

職業ではなく、アルバイトで2年前からヌードモデルをしている. クロッキーモデルなのだが、時々これ(ヌードモデル)を職業としようかと悩むこともある. ご両親は知らずにいらっしゃる. ヌードモデルをしながら、最も難しいのは、やはり脱ぐということだ. 私を眺めるあらゆる人々が服を着ているのに、私だけなん時間も脱いでいるということに耐えることが出来なくて、そのまま飛び出したい衝動を感じたこともあった. しかし、特別な技術なしでお金を儲ける手段として、かなり多くの収入が生じるという点ゆえにずっとこの仕事をしている.

“すればするほど職業意識を感じる”

オ・ジョンヒ(26才・経歴 7年)

ヌードモデルを始めて7年目になる. 初めはクロッキーモデルを4年程度して、2年程休んだ. そうこうしたあとで写真モデルをまた開始した. 初めてした時には特別な職業意識がなかったのに、また開始したら、むしろプロになったようだ.

いまは楽しく仕事をしている. しかしご両親はまだご存知ではない. 身近の人々にさえ、話をすることができないために、初めて仕事をしたときは難しかった.いまは、その点に対してはほとんど放棄した. 職業で続けたい.