98年12月
Lady 京郷
ポンチャック ラップで 98 大学歌謡祭大賞を掴んだデュオ‘ロイヤルゼリー’ |
‘ポンチャック’にラップが合うか? 正答は、合う、だ. ‘愛の罪’がまさしく‘ポンチャック+ラップ’, これを歌ったロイヤルゼリーは観衆の歓呼を背に負って、大賞だけでなく人気賞まで占めた. 友人同士である、ロイヤルゼリーのミン・ジョンボム(ソウル大 数学 4年), イ・サンジュン(ソウル市立大 国史学科 3年)は、今回が各種歌謡祭への八回目の参加だ. ‘行ってしまう 行ってしまう 行ってしまう 私が握りしめる前に ああ 行ってしまう〜’ 大学歌謡祭出身のシム・スボンは知っていたか? ヒップホップでも, ロックでも, かと言ってバラードでもない‘ポンチャック’が、大学歌謡祭大賞曲に選ばれた, それも70年代でもない、21世紀を僅か15ケ月先にひかえた時点での話だ. ![]() 正統トロットメロディにラップを加味した歌‘愛の罪’は‘98 MBC 大学歌謡祭’で完全にヒットした. ロイヤルゼリーのミン・ジョンボム, イ・サンジュン君が舞台上で不明瞭な(?) 踊りと共に‘愛の罪’を叫んだ時、静かに拍手していた観衆がいっせいに立ち上がって,‘ファイティング!’と書かれた垂幕と共に歓呼した. あたかも場内すべてが‘ロイヤルゼリー’の応援団のように見えた. 結局、大賞受賞はもちろん、パソコン通信のネティズンたちが選ぶ人気賞まで受賞した. “実は、私たちは予選を通過しただけで、もう舞い上がっていました. 大賞は夢にも考えられず, 良くても人気賞だと考えていましたから. それで、大賞受賞者として私たちの名前が発表された時、本当かと、驚きました. それで、トロフィーをおっことしそうになりました. ちゃんとトロフィーを受けとるには、受賞するんだ、と、舞台に上がって気を引き締めないといけないですね.” 大賞を受賞した後, ソウル市立大にこれを知らせる垂幕が六枚も垂らされた. また、道を歩くと、声をかけてくる人も現れるようになった. ところで、歌はトロット(註:韓国演歌)なのだろうか? 大学歌謡祭であるが、きっとわかる人はみなアジュマ(註:おばさん)だろう. “チョンガー(註:若い男のこと)たちを見れるかと思うと、昨夜は眠れなかったのがわかる?” とにかく、一瞬にして有名人になったような感じだった. それで、誰かが見ているのではないかと、行動が非常に用心深くなった. しかし、それもほんの少しの間. 最近、普段はゲームセンターでゲームをして、以前と全く同様に過ごす. 前と違う点は、スケジュールがすこし窮屈になったことだけ. ‘歌謡コンサート’‘音楽キャンプ’等、あちこち駆け回って放送するのがおもしろい. ドリンク剤の瓶の表面に書かれていた‘ロイヤルゼリー含有ドリンク’という文句を見て、栄養があるチームに なろうという 意味で名づけたという‘ロイヤルゼリー’. ちょっと考えてみたが、彼らが大学歌謡祭が用意した大賞ではないようにしたくなった. 大学歌謡祭願書締切の一日前、行事の事実を知って, すぐさま参加することに決定、申込書にはプリクラ写真を貼り付けて出した程‘稲妻のように’進行したからだ. その上、コーラスも放送社側が提供してくれるものと思って準備しなかったのだが、本戦の数日前、至急募集, ミン・ジョンボムの友人たちを連れてきたのだ. しかし、事実、彼らは大賞, それこそ七転び八起きの勇士たちだ. 地域歌謡祭や特定大学歌謡祭等、大小の歌謡祭参加が、今回ので八回目, 大学歌謡祭だけでも3回目の参加だ. 93年にイ・サンジュン君が‘にきび’(ミン・ジョンボム作詞,作曲)という曲で, 96年にはミン・ジョンボムが同じ学課の友人(イ・サンジュン君が軍隊服務中であった関係で、他の友人)と共に‘ぼくの姿そのまま’(ミン・ジョンボム 作詞, 作曲)という曲で参加した. もちろん、二度とも予選で脱落したが. それで、彼らには特に参加するかどうかを深刻に悩む必要がなかった. ミン・ジョンボムが作った曲がいくつかあって, そのまま埋もれさせるには惜しい曲‘愛の罪’で、もう一度歌謡祭に出ると決心した. そのようにして、参加申込書を提出した後、カラオケルーム, 教会, 山 などを転々として、声を出して歌い、イ・サンジュン君が作った振りつけを毎日練習また練習. 期待しなかった大賞まで獲得した. “副賞に賞金3百万ウォンとコンピュータをもらいました. それで、ジョンボムが賞金を, 私がコンピュータを、と分けました. ところで、友人たちに‘おごる’ために、私は借金まで作った可哀相な身分になったことを知っていますか? ジョンボムは、その上に、税金を払えばいくらも残らない賞金がすでにすっからかんですよ” グレムリン, というあだ名のミン・ジョンボム, 髪が長くてバルサン(註:"発想"?)というあだ名のイ・サンジュンは、小学校・中学校の同窓でいつも一緒に行動する相棒だ. 中学校の時、ある二人一組で参加する科学競技試験大会にもデュエットで参加し、銀賞を受賞し, スポーツ好きな彼らはスカッシュ, 卓球などもシングルではなくダブルスで試合に参加する. 現在使用中の携帯電話もファミリーとして一緒に加入した. これ位になるので、いいかげん、同性愛者ではないかと疑いの目でみつめる人々の視線も感じられるというのだが, ガールフレンドでもいれば状況は変わるのに、二人ともみずぼらしいソロだ. ミン・ジョンボム, イ・サンジュン君は幼い頃から歌が好きだった. 思春期に楽しんだ遊びとは、相手の歌を採点すること. 不格好に歌うお互いを、音程, リズム, ステージマナー などを基準に採点して喜んだ. 音楽はそのようにして、自然に近づいた. ミン・ジョンボムは高等学校の時は合唱部で, イ・サンジュンは大学で歌のサークル活動したりもした. そして、ミン・ジョンボムはKBS音楽担当プロデューサーの洪スンマンを訪ねて、個人指導を受けて作曲も習った. 今でも作り貯めた一定の水準級の(?)曲がいくつかある. 大学歌謡祭で大賞を受けた後、たくさん受けるようになった質問がある. 本格的な歌手活動を開始するつもりかということだ. 歌手として活動するために大学歌謡祭に参加する人々が大部分の最近ではあるが、彼らはこの質問に明快に答えられない. “音楽は良いと思うのだが、職業として歌を歌うかはわかりません. 幼い時からいままで、音楽は単に趣味でしたから. 死ぬ時まで 音楽は継続するけれど、歌手活動はどうかなあ〜” ただ良いからやっているだけで、それによって他のことを願いはしないのと、まさにアマチュアである彼らが真のアマチュアではなくなることだ. ミン・ジョンボムは数学教師, そして、イ・サンジュンはアナウンサーという夢を持っている. その夢を成し遂げた後、機会があれば、もう一度アマチュアらしく会社員歌謡祭などに参加する計画だ. その時も一緒に参加するのは明らかなことだ. だが、インタビュー終盤に行った対話を見ると、彼らは止むを得ない幻想のコンビではないかという気がした. “幼い時、サンジュンは完全にわたしの仲間でした. ところが軍隊を出てから今は、ことごとにブレーキをかけるのです. サンジュンが私たちの間の不和の種になっているんです.(ミン・ジョンボム)” “仲間だったって・・・. 拠り所ですね. ジョンボムが固執している点ですよ. 男らしく見えていたんですね.(笑い)” 文 / 郭ギョンソン 記者 写真 / イ・ソンドン 記者 |