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両性具有に生まれて性転換手術2度 完全な女性になったビデオ俳優 チェ・ヒャンギ

3回の自殺未遂と3回の離別、それでも足りずに、またこの世を逃げ出したいというチェ・ヒャンギ(本命 チェ・スジ 28) 江原道でなぜか父母に捨てられ、ある老婆の手で育てられた彼女は、19才でやっと住民登録証を手に入れてうれしくて泣いた. 自分は、どの女の子よりも女らしく生きる自信があるが、世の中の偏見と歪曲された視線が恐ろしくて、今日も胸が痛く、ため息が出る.

男性と女性が一身にある両性具有だと感じるのは難しいほどに チェ・ヒャンギは女性だ. ビキニの水着を着ることができて 大衆浴湯も他の女性と同じように思うまま出入りすることができる女性だ. また、男を愛することができて、男に十分に愛されることができる準備ができた女性だ. lady_kh98_11.jpg (4304 バイト)

だが、人々は彼女を女性とは呼ばない. かと言って、男性として見ているわけではより一層ない. ある人は、彼女を‘第 3の性’と呼び, また、ある人は彼を‘ゲイ’などと呼ぶ. しかし、チェ・ヒャンギは、このような呼称をきっぱりと拒否する. 彼女は生まれた時から女性であり, 女性として生きてきたし、今後も女性として生きる覚悟であるためだ.

彼女は江原道で生まれた. いや、江原道で捨てられたという表現がより合うだろう. 彼女は父母の顔を知らない. 血が一滴も混じっていない近所の老婆の手で育てられた.

“私を産むやいなや、父母は行ってしまいました. その町内に一人で暮らしていたおばあさんが、私を引き取って育てたのです. 私生児であったのか, 私を産んで、そのからだの構造を見て捨てたのか、わかりません. いままで、私を支配しているのは、性に関する暗鬱な罵詈雑言、私を困らせる最も大きいものが、私の正体と実体性ですよ. 時折り、今でも一人でいる時には、江原道でおばあさんとただ二人で暮らしたその時期のことを考えます. それは、本当に大きな苦痛でした. ひどい殴打, 理由のない虐待…. それは、私が男でもなく女でもない両性を持って生まれたという理由からだったのでしょうか? 私はおばあさんの唯一の鬱憤晴らしの対象でした.”

彼女はその頃のことを思い出した.

“家出を、ご飯を食べるみたいにしましたよ. ソウルにきて、お金を稼いで、おばあさんを世話しました. 不格好な指に金の指輪をはめて、2年を世話して暮らしました. 亡くなりました. 火葬しましたよ. いまは・・・、時々おばあさんの鞭が懐かしいですよ. それは、恐らく、幼い時期の懐かしさよりは、人の情に渇いていたからです. おばあさんが私にしてくれた唯一のことは、私の戸籍を作ってくれたことです. 9年前に、おばあさんの名前の下に私の名前を入れたのですよ. もちろん女性で. 私は発給された住民登録証を持って、どれくらい触って撫でたかわかりません. 他の人々にとっては何ということもない、そのようなことさえ、私には20余年というもの、待ち焦がれていたことでした.”

チェ・ヒャンギは、小学校にさえ通わされなかった. どこで暮らそうと、大韓民国人ならば誰でも、住民登録番号だけあれば学校に行くことができたのに、彼女は学校に行くことができなかった. 誰が父母なのかもわからない彼女を育てたおばあさんが、彼女を戸籍に入れなかったためだ. 近所の子供や友だちがみな学校に行くと、ヒャンギはがらんとした町内の遊び場を歩いた. 子供たちの冷やかしの対象で, 石を投げられることも幼い心につらかったが、孤独はより一層大きい苦痛であり刑罰だった.

チェ・ヒャンギは、自分が何故冷やかしの対象になっているのかわからなかった.

‘他の人々のように二本の腕, 二本の脚があって、耳も二つ、口はひとつ, 目も二つあるのに、私が何故子供たちに‘ばけもの’呼ばわりされるのか?’

チェ・ヒャンギがその冷やかしの正体を把握するのに、それほど長い時間はかからなかった. まだ10才になる前のある日、チェ・ヒャンギはトイレで自分のからだを見て泣き叫んだ. 彼女には男と女の性器, その二つともあったのだ.

“天罰だと考えながら暮らすのはたいへんな苦痛でした. 考えてみて? 10才にもならない幼い子供が、そのことをどのように考えるのかを. 3、4才くらいのとても小さな男性器と女性器のあるからだで、どのように生きていけるのかと. 切り離してしまいたかったのです. できれば、包丁で切って捨ててもよかった. 良い環境で生まれて、心配してくれる父母がいたなら、今日のこういう苦痛と熱い人々の視線も受けなかったでしょう. 幼い時に手術をしてくれれば、一つの性で完壁に生きていけたのに. ひどいことに、子宮まで退化しかねなかったのです.”

2度にわたった性転換手術.それでも続く人々の後ろ指

チェ・ヒャンギはソウルに上ってきた. 彼女は本能的に自分と似た、重い荷物を背負ってソウルの片隅で生きている人々と会う. 両性具有者たち, ゲイたち, レズビアンたち. チェ・ヒャンギは、彼らの中に嫉妬を見る. また、純粋さを発見する. そして、他の生き方に触れる. そうして彼女が最後に会ったのは、絶望と自暴自棄だ. どうかといえば、誰よりも純粋な彼らが歪曲していく日常の中で、チェ・ヒャンギは出口のない偏見にぶつかる. その偏見は、一寸の隙もない目が細かい針のように全身を刺す.

その偏見にはからだで抵抗してみる. 夜が深まるほど彼女の化粧は濃くなり、夜の道をうろつき, 笑いかけ, ふらつきながら, 揺れる夜の道に自ら身を投げる.

“ソウルに上がってきて、私ができる仕事はなにもないのです. 酒場に行って, 踊ったりする仕事をしました. そうこうしたあと、三流映画やビデオに出演もしましたね. 実はルームサロンにもいたことがあります. なぜかというと、私が女だということを確認したくて、たぶん、そのようなことをしたんでしょうね. 男たちの節操の無い酒の席で、彼らの視線に, 言葉の端々に、胸に差し込まれる手の動きに、私が女だということを確認したということでしょうか? けれども、私はこういう難しい生活の中でも, 痛みの中でも、明日はもう少しよくなるという希望を失うことはありませんでした. 本当にそのようなことまでしなかったら、生きることができなかったのです. ”

夜の道をさまよいながら、チェ・ヒャンギはがむしゃらに金を貯めた. 本当に女性になるために手術を受けることを決心したのである. 89 年にチェ・ヒャンギは手術を受けた. 噂で聞いた手術処を訪ね、チェ・ヒャンギは小さな男の性器を切り取った. 当時は、国内では性転換手術が容認されていない状況だったため、‘もぐり’で手術を受けたが、後遺症に苦しめられた. からだが痩せて、鬱病になり、セックスする時に激しい痛みを感じた.

“1回目の手術をして回復室にいたときに決心しました. 終生この事実を秘密にして、胸の中にしまいこむと. 一緒に梨泰院(イテウォン:米軍基地の街で、夜の街としても知られる)生活をした同僚たちから完全に身を隠しました. 小さなアクセサリー店をしながら、良い男性に出会うことだけ考えました. そうでなければ、あまりにもくやしいかったのです. 手術は, 子供を産むものではなかったが、たぶんそれ位の苦痛でした. 1ケ月間、病院で血の臭いのなかで闘い、歯をくいしばりました.

この苦痛を越えれば、私は世間の前に堂々と立つことができると、自らを励ましました. 外貌も, 心的にも, セックスをする時も、私が女だと常に感じていたからこそ、心の片隅にあったしこりを、手術を受けることで完全にぬぐい去ることができると考えました. 手術を受ける日, 外では雨が降っていました. その雨の中で私のからだに残っていた男性の痕跡を消し去りました.”

チェ・ヒャンギは2度目の手術を受けた. 91年, 精神心理テストを2度も受けて、正常な手術を受けた. 今回の手術は、1回目の時の補完作業と共に、女性としての性機能に集中する. このような、普通なら一回でも受けるのが難しい手術を2度にわたって受けて、チェ・ヒャンギはついに本当の女性となった. 子供を産むことができず、月経がないということだけを除けば、精神的, 心理的, 肉体的なあらゆる条件で、女性と全く同じになったのである.

三度の恋愛と離別、死をもっても守りたかった、女という名前

だが、こういう手術にも、チェ・ヒャンギは自分が完壁な女性なのかという疑問に答を求められない. 男から愛を感じて, その愛を確認する過程で、チェ・ヒャンギはまだ自身が悲しい性の所有者だという壁に直面する. 愛とは、チェ・ヒャンギにはいつも悩みの種で、越えるのが難しい障害物だ.

“いままで三度の恋愛をしました. 初めてのは、家でもめごとになって家出した時に出会った、父親のようなおじさんでした. 私の片思だったそれは、父母の情を一度も受けなかった影響のようです. そのまま終わりましたよ. 2度目は、家柄も良く、身長も高くて、本当に良い人でした.

1回目の手術をして、映画関係の仕事をしている途中で出会った人でしたが、愛を感じるほど怖くなりました. 7,8ヶ月つき合ったところで、私の生まれと過去を告白しました. ものすごい衝撃を受けて苦しみました. それでも、1年程は付き合ったのですが、結局別れました. その人が苦しむのを、私はこれ以上見ていられなかったのです.
しかも、その人の家にも知られて、大騒ぎしました…. その人にとって、私が初恋の相手でした. 米国へ旅立つときに、2千万ウォンをくれましたよ. 酒場へは行くな, 夜の舞台でも踊るなと, ああ! 本当に愛していました.

それが、たぶん93年くらいでした. 三回目は、95年でした. その人とは結婚まで行くところだった. だけど、別れました. 話さないといけないでしょうか? それが簡単なことではないのです. 私は愛する人に本当に良くしてあげたかったのです. 他の女性より、もっと女性らしく見られたく、もっと純粋に接近したかった. もちろん 私の痛みを愛してくれることができたならば、良かったのですが、私の過去を告白したことについて後悔していません.”

愛の苦痛は、チェ・ヒャンギには途方もない衝撃だった. 彼女は3回も自殺を図る. だが、人命は天が決めることで、強い生命は容易には途絶えなかった. 今でも、彼女は死の誘惑を一日に何度も受ける. 後指を差されて、悪口を囁かれ、そして軽蔑の視線が彼女に向けられる度に, この世で自分ができる仕事がひとつもないという、激しい精神的空虚に直面する度に、チェ・ヒャンギはこの世との永遠の離別を考える. そのような時、彼女の胸の奥深い所から湧き上ってくる負けん気が彼女の生命線を掴む. 私があまりにも哀れに, あまりにもくやしいまま, そして虚しく死ぬことはありえないとチェ・ヒャンギは言う.

今、チェ・ヒャンギは気楽に人に会いたいと話す. 結婚も, 恋愛も排除して、そんな人間と話をしたい. チェ・ヒャンギは、自分を理解しろとは言わない. しかも、同情を乞うこともない. ただ普通の人として存在を認められたいだけだ.

チェ・ヒャンギは、これから安易に生きる道を放棄した. どうかといえば、生まれたこと自体が原罪を背負っているかのように… 彼女は簡単に、そして即興的に一日を送るという方法を知ってはいるが、選択しなかった. 賭博, ホストバー出入, 麻薬, 夜の舞台のダンサー, カラオケ画面モデル, セミヌードモデル、そして、また再び夜の女になって道をさまよわない作戦だ.

彼女は正常な生の人のように, 女性らしく生け花を習い, 映画も観て, 芝居も観て、そして男にも認められる仕事をしながら、この世を生きていこうとする. 他の人々には何ということも無くできる仕事を、チェ・ヒャンギは普通以上の決心と苦痛を伴ってするのだ. 彼女は、この選択を‘習熟したいという欲より、少しずつ進んでいきたい欲望’なのだと言う.

ビデオムービー‘セックス リポート : 悲しい性’出演. ‘私を認めてくれる人に会いたい’

チェ・ヒャンギは少し前にビデオムービーを撮った. ‘セックス リポート : 悲しい性’という、この映画は、チェ・ヒャンギ自身の物語を盛り込んだ. 現在、市場発売を前にして、このビデオムービーは男性から女性に性転換手術を受けた俳優の履歴と、18歳の時に強姦にあったという事実まで、記事や広告文で人々の視線を集めている. あらゆるメディアからインタビューの要請が入り、話してもいない事実が記事にされて… チェ・ヒャンギはこういうことに幻滅を感じる.

“いつか私を公開したいです. 40歳になって、私が生きてきたことを話して、私のような人々が直面する苦痛を話してみたいのです. だが、映画会社から20代を越える前に姿を残しておくことも意義があると説得され、撮影に臨みました. ところが、あまりにも商業的に利用しているようです. 撮影もエロチック一方にだけ偏り、インタビューもしていなかったのに、あちこちから記事出されて…. あまりにも困りましたよ.

私が公開されてしまって、最も困ったことは、私を知っていた人たちが私から離れていったことなんです. 私は人々の好奇心が入り混じった話の種になり, あざけられ, 話友達まで背を向けました. 彼らが必要としたのはチェ・ヒャンギではない正常な過去を持った女性だったのでしょうか? 私はその場にいるのに、いつも皆離れていきます. これからは、私がまずこれらすべてのものから離れてみたいですよ.”

チェ・ヒャンギは、当分ソウルを離れる決心だ. 少しの間、一人だけの時間を持つつもりだ. その時間は、チェ・ヒャンギに過去を洗い流させ、とても微細によくなった未来を提供するはずだ. チェ・ヒャンギは、一度は映画の方向に出た以上、それで自身の位置づけを固めたい. 良い映画にも出演して, 私のことを話せば“うーん、君はそのように生きてきたのか!”と受け入れることができる人とも会って. そして、本も出したい.

彼女は時々日記を書いてきたが、これまで強いられた苦痛とつらさが含まれている. この日記を土台に本を書きたい.

次は日記の一部だ.

  (註;ここまでは)文 / 宋ヨンドク 記者 写真 / 全ホソン 記者



“私は私たちのことを理解するふりをする人がきらいだ. 私は同情がきらいだ. 偏見, 誤解の中で, 数えきれない程交錯する誤った考えかたが私はきらいだ. 私が女か男かは重要なことではない. 私は、ただ、世の中で他の人々と全く同じように空気を吸って同じ行動をしているだけだ.

努めて理解するふりをして、傷つける人もきらいだ. とにかく, 平然な心で懸命に生きていく私には、勇気と暖かい愛情だけが必要なのだ. 通り過ぎ行く人をつかまえて、‘さあ、理解してください’などと言うこと自体が、望みの無い、つらい傷をつけるだけだ.”

“私は何故こうなのか? 私はだれか? 私さえ私自身の迷路の中で、多くの葛藤をする. しかし、明らかなことは、他の誰かの誤ちなどでもなく、自分自身が選択することだ…. 私は、たくさん苦んだし、笑ってもいた時間があまりにも惜しい気がする. 私は誰だろうか、私は.

しかし、今、私はすでにもう一つの性から抜け出した. 今、とても私にとって重要なのは勇気だ. 悲しい性, 誰も見ていない、その年月の中から抜け出したい. 私は女性になりたくて女性になったのではない. 既に女性であったことを選択しただけだ. ”

“このあいだ、仲間のひとりが自殺をした. 自ら懸命に生きていた子だったのに、その子は死という安らぎで終わりを結んだ. お金も、手術をしても完全な結果を得られないことと同じだ、というその言葉を残したまま、その子は自分の部屋で首をくくって死んでいった.

その子は死ぬ前に何を考え, 決心をしたか? 私は理解する. その凄絶な選択を…. 凍えるように過ごしてきたその時間を, 私たちもその子がどれくらい孤独で、苦しんでいたかを誰も知らない. 冷たい屍体, 死んで腐っている屍体を、自身のふとんでぐるぐる巻きにして… それが、その子の最後の姿だった. 何故? その子は、そんなに若い年齢で自殺という選択をしたのか. 一生懸命にお金を貯めて、まだ使うこともないまま, 自身のオフィステルでそのように死んでいった. ”

“ジャンニ・ベルサーチも自分の同性愛の正体と実体性に対して率直に話す. そして、自分をあざ笑う人に、‘ええ、私は同性愛者です. ところで、あなたは私をそのようにあざ笑うのに、何故高いお金を払って私の服を着るのです?’と反問するそうだ. そのような社会まではいけなくても、この私のような人の存在を認めてくれる風土があったならばいい. こんな難しい事、欲張りだろうか?”




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