最近の社会状況は、個人に不安の影を投げかけるように迫っている.
IMF時代を漂流して、多くの人々を奈落に追い込んでいる'不安の姿’にスポットライトをあててみよう.
現代は複雑で、神経を使うことが多い.
例えば、個人にとっては大きな試験などのようなことが散在していて,政治的には南北の緊張状態が最高点に達している.
その上、社会的にはIMFの金融救済を受けながらも、大量失業という事態になった.
近頃、私たちが日常生活で頻繁にする話の中の一つが‘不安だ’ということだ。
いったい‘不安’という言葉はどんな意味だろうか.
漠然とした憂い + 身体的症状
不安という単語は、日常生活で頻繁に使われるように、その意味も使用する場合によって少しずつ違う.
それなら‘不安’の根本的な定義は何だろうか.
心理学用語では、不安は“広範囲に漠然とした憂いで,
個人は非常な不快を感じるようになり、色々な身体症状が現れる状態”と定義される.
不安(anxiety)は恐れ(fear)または 恐怖(phobia)と混同されるが、根本的な違いがある.
不安は、総じて恐れの対象が漠然としていて,あるいは危険が心理的葛藤から由来する状況をいう.
反面、恐れでも、恐怖とは恐れることが実存することであり目の前におかれる場合だ.
例を上げれば, 刀で威嚇されたり,高い
建物の屋上の端に立っている時に感じる感情は、恐れあるいは恐怖なのであるのに対し,
"理由もないまま胸がどきどきして、なんだかわからない"という感じや,明日群衆の前で演説することが心配になる等は不安だ.
不安を感じる状況では、漠然とした憂いなどの心理的の感情の他にも色々な身体的症状が共に現れる.
人が不安を感じる時、身体反応を観察すると、血圧が上昇して,胸がどきどきして苦しくなり,汗が出て,瞳が開いて,手足が震えるようになる.
また、そわそわとして、静かに座っていられなくて焦燥するのは、自律神経系が活性化するためだ.
このように不安の定義は、主観的な感じだけでなく、身体的にいろいろな症状が共に現れることをいう.
不安, 生存に必要?
不安はなぜ感じるのだろうか?不安がなければ世の中を生きていくことがどんなにやさしくて便利になることか.
試験の心配もせず、知らない人の前でこれ以上とりつくろう姿を見せなくてもすむということ。
だが、結論はこれと裏腹だ.
不安がなければ、人は一瞬も生きていけない.
不安は危険な状況に直面した時、私たちに脱出口を探してあたえる役割をする,非常に正常で必要な心理的・生理的反応なのだ.
山中で虎に会った場合を考えてみよう. 恐れの感情がなければ,わたしたちは
次の通りに考えるだろう.
"虎は人を捕らえて食べる.
私がここにいるということは虎に捕えられて食べられるということなので,
どうにか速く逃げることにしよう"こういう複雑な論理を展開した後でようやく自分が最大限走ることができる速度で山中を走ることになる.
この時の結果は明らかだ.
食べるという本能で猛烈な勢いで走り込む虎を避けられない. 
だが、恐れという‘防御策’これがある場合は違う.
人は山中で虎に会った時,虎であることを知ったと同時に途方もない恐れに包まれて、その場で凍りついてしまう.
逃げる動物を反射的に追いかける虎の本能に対して、この方法は最善だ.
そして彼は考える. "虎だ! 逃げるよう"
恐れそれ自体で彼は自分が走ることができる以上の速度で走り始める.
これは恐ろしい気持ちにより、自律神経系が大きく活性化し、普段より心拍数も増加して,反射神経も速くなり,筋肉に緊張が加わって普段の能力以上に身体活動が増加するためだ.
このようにして彼は危機から抜け出すことができる.
不安もこのような脈絡で似ている.
試験を控えている間、不安は人をより一層緊張させて試験準備に専念させる.
馴染めない状況に対する場合も、より熱心に準備するようにしてやる.
しかし、この場合は皆正常な水準の不安で,行き過ぎない場合だけを見なした時そうだという話だ。
すなわち、不安は実際に差しせまるかもしれないより恐ろしい状況,すなわち試験を完全に落第する状況,群衆の前で失敗をする状況に対する一種の警戒信号だ.
したがって、近来の経済危機状況で、多くの人々が感じる不安は,本当により恐ろしくて気にかかる状況をあらかじめ予防してくれるのだ.
罪責感を感じる超自我不安
かなり以前から人間が感じる色々な感情,特に不安に対しては多くの研究がなされてきた.
現在は "どのように人間が不安を感じるようになるのか"に対して色々な理論が提示されている.
1900年代序盤からフロイトにより議論になり始めた精神分析学的理論によれば、人間の心は大きく本能(id),自我(ego),
超自我(superego)で構成されている.
人間がより安らかで安定な生活を営むためには上の3つの構成要素が均衡を作られるべきだ.
仮に均衡が調和できなければ,不安を感じるようになる.
人間は幼児期間、体験する数種類の不安状況,例えばお母さんが横にいないのでおっぱいを飲みたいという本能がみたされなくて感じる分離不安,自身の誤ちに対して自ら罪責感を感じるようになる超自我不安などを経験する.
これと似た観点から発達した学習理論によれば,幼い時誤ちを行って罰を受けながら感じた様々の不快な感じは記憶の中に残って後に類似の状況が予想されれば不安だという感情を感じるようになる.
認知理論では、不安を感じる人々が認知構造であり,不安を感じる過程を認知的過程だと説明できるという.
例えば幼い時に形成された、自動的であり,非現実的で,自己敗北的な考え方がそのまま固着し、自ら苦痛を受ける状態に慣れることができる.
不安中枢 大脳皮質
初期には、不安の発生メカニズムに対して,不安を誘発させる事件があった後、これが大脳皮質に認識され、末梢器官が刺激を受け,自律神経系が活性化されて、不安と関連した症状がおきると考えられていた.
しかし、近来、私たちが経験的に感じることができるように,どんな状況に対しても理性的に判断するのに先立ち、生理的反応がまず立ち上がるという事実に注目して、次のような理論を提示した.
どんな事件が発生すれば、まず心拍数増加や汗の分泌などの生理的反応が現れ,こういう状況を大脳皮質が認識して、不安な状態を感じるようになるということだ.
こういう即時的な身体変化状態が起きるような色々な事件を反復的に経験すれば不安の経路(route)が形成される.
すなわち、教育と社会化の過程をたどりながら、似た過程を反復して経験することによって、これと類似の状況では自動的に‘不安だ’と感じるようになる.
それなら学習された不安の経路を掌握する中枢はどこか.
これは、いろいろな神経系間の非常に複雑な連結にしたがう.
私たちが意識的に‘気にかかる状況’だと考える場所は大脳皮質であり,不安で生じる身体症状が関連する場所は自律神経系だ.
現在までこの二領域を連結するシステムは視床下部などであると推測される.
自律神経系は、交感神経系と副交感神経系に分かれて、瞳,心臓,血管,汗腺,胃腸,呼吸,膀胱などの身体機関に影響を与えて,内分泌系とも相互作用をして、いろいろなホルモンを分泌させる.
すなわち、交感神経系の活性化により、血液内のアドレナリン含有量が増加して,糖分流出が多くなり,血圧と脈博が増加して時には眼球突出症まで現れる.
そして、皮膚は青白くなり、汗をかいたりし、口がかわいて,呼吸は深く頻繁になって,筋肉は弛緩しながら震える.
最近は、いろいろな中枢神経系内の神経細胞等の相互作用に関与する物質,すなわち神経伝達物質水準で研究が進行している.
神経伝達物質とは、神経細胞がシナプスという連結部位を通じて生理的刺激を伝達する時に関与する物質だ.
ある神経細胞が刺激されれば,その刺激は電気的に転換されて,この電気的活性は神経細胞の細胞膜を打ち鳴らし、神経細胞の末端に伝播される.ここで電気的刺激はシナプスという何もない空間を通過し、刺激を次の神経細胞に伝達するために、神経伝達物質をシナプス側に分泌させる方法をとる.
どのように対処するか
不安は決して非正常的なことではなく,生存のために必須の情緒反応だ.
不安の感じは主観的なので、どこまでが正常な不安で,どの程度で病的であると見るかという客観的な数値がない.
ただし、これが日常生活に支障を与えると重要な問題になる.
現代人はいつも不安をたくさん感じて生きている.
たとえ、原始生活で感じるような不安を経験しなくても,日常生活で継続的に賦課される他の種類の不安誘発状況がある.
現代人が体験する不安は,主に過大な
ストレスや心理的葛藤の所産だ.
現代人ならば誰でも生活である程度の不安を体験して生きている.
したがって、この
不安に対処するためには色々な対応策を開発する必要がある.
まず、自身が感じている感情が本当に不安であるかを考えてみる.
この時果して私が感じる心もとなさが一般人に比べて特別なことか再確認してみよう.
他の人々と似た程度の不安ならば,これは私がその仕事をよりよく遂行するために丁度必要な'心がけ'である.
学生ならば試験勉強をより熱心にできて,社会人ならば今と同じ危機状況を克服するためにより熱心に仕事をする原動力になることができる.
しかし、不安の程度が行き過ぎた場合には逆効果が現れて、自身の仕事に熱中出来なくて,能率も落ちるようになる.
この場合には、自分が何をそんなに心配して不安に思うのかを具体的に思ってみる.
多くの場合は、予測されるかなり厳しい未来の結果に対して、自身の準備が不足していたということを悟るようになる.
大抵の不安は、自らの再確認と安心すること,自信回復などを通じ、ある程度解消できる.
だが、これで解決されない場合には、行動療法や認知療法が必要だ.
群衆の前に立つことが恐ろしい人は、自ら強く決心して人々の前で話してみることが良い.
不安を慢性的に感じる人ならば、自身の緊張状態をモニターしてみる.
万一、自身の首裏の筋肉が常に緊張していて、休息時間にも自ら緊張を解いていないと感じたら、筋肉弛緩法のような行動療法が有用だ.
万一、自身が過度に心配するタイプだと判断されたら,自身の考えと、判断のどんな点が誤っていて誇張されたのかを解き明かし、矯正してみる認知療法が必要だ.
不安感を感じる人のうちの一部は、その不安感が極度に至るか、あるいは何らの理由もなく継続的に不安が持続するが,この時は薬物療法が必要だ.
しばしば、薬物が処方されているが,こういう薬物は中枢神経系で作用する物質であるから、専門家の処方の下に過度に乱用しないようにしなければならない.
イ・ミンス(高麗大学校 医科大学 精神科教授)
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