
ビートルズ'サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド'(67年)は、収録曲中
'ア ディ イン ザ ライフ'が麻薬を描写したという理由で永らく国内で発表されることができなかった.
上は、禁止曲の代名詞として選ばれる 'アチミスル(朝つゆ)'のコンビ
キム・ミンギ, ヤン・ヒウン. デビュー40周年記念レコードとして'解禁歌謡集’を出す李美子(イ・ミジャ).
9月中に歌手人生40周年を迎える李美子は、これを記念するレコード全集の一環として、過去、政府から禁止措置を受けた越北作家等の歌16曲を総合した'解禁歌謡集’を出す.
'禁じられた未熟な愛' '喫茶店の青い夢' '断髪令'
等で、解放以後ずっと禁止されていたが、最近解禁になった曲だ.
私たちの歌謡半世紀を代表する人物である彼女が、自身の音楽人生を整理するレコードとして'解禁歌謡集’を作る程、禁止曲は韓国歌謡史に商魂をつないできた.
96年、歌謡レコード事前審議が撤廃になったのに続き、最近、ポップレコード事前審議も等級審議に転換になり、国内大衆音楽から'禁止曲’が完全に消えた.
しかし、数十年間続いた'禁止曲'で内面化してきた韓国歌謡界の被害意識は容易に消えずにいる.
この被害意識からは相対的に自由な若い歌謡人,
特にヒップホップ系列やアンダーグラウンド軍団で自由に歌詞を書く場合が増えているが、放送社の社内審議にひっかかることが多く、いまだに'禁止曲マインド'が支配的な私たちの歌謡環境をあらわしている.
最近、レコード収録曲 9曲中7曲を放送禁止させられたYGファミリーの場合が代表的だ.
このグループのファンクラブは、創作の自由と聞く権利の侵害だとして、会員及び一般人
1千余名の署名を集めて、KBS 等の放送3社に禁止措置撤回を要求したところから禁止曲をめぐった世代間文化論争を巻き起こした.
禁止曲はこの土地に大衆歌謡が出現した1920年代から存在した.
'鳳仙花' 'アリラン' 等、民族感情を鼓吹する歌が禁止曲第1号だった.
禁止曲とはまさしく日帝の民族文化統制政策産物だったのだ.
解放後、民族政権になったが、歌謡に対する統制政策は続いた.
越北作家の曲は無条件禁止された.社会世相をすこしでも批判的に風刺した曲も禁止曲として撤退をさせられたジョ・ミョンアムの'故郷節’'無情千里'
'荒ぶる帆柱' 朴ヨンホの '水車アリラン' '魔の太子' などが前者, '水車小屋の来歴'
'雨の湖南線' '有情千里' '島の先生' などが後者の場合であった.
飛躍的経済成長で文化意識が高まった維新時代には、特に禁止曲亡霊が暴れた.
'敗北, 自虐的. 退廃的な歌詞, 国家安保.国民総和に悪影響を与える曲'
222曲を禁止させた75年の'歌謡大虐殺'は、朝鮮戦争以後初めて芽生えた青年文化の芽を摘み取った暴挙として記録される.
80年代にも外交的な理由で、'独島(註:竹島の韓国名)は、私たちの土地’が禁止される等、政府の統制政策は続いたが、87年の市民抗争と96年チョン・テジュン等の歌手の闘争で、ついに、官による歌謡事前審議と禁止措置が消えることになった.
-------------------------------------------------------------
抵抗・退廃等 各種理由
歌謡・ポップ 発売・放送 封鎖
75年 222曲 '大虐殺' 記録
-------------------------------------------------------------
大衆音楽評論家 カン・ホン氏は、"禁止曲はそれ自体よりは、多くの作家たちがあらかじめ意識的に自分自身の作品を純化させる内的検閲体系を一般化させたのに問題がある.
このため、私たちの歌謡発展が大きく遅滞した"という.
ポップレコードもやはり国内で多くの禁止措置に苦しめられた.
政府の方針に合わなければ無条件に禁止させられた.
'ホワイト ラビット' (ヒッピーズム) 'ハウス オブ ライジング サン'
(悲嘆) 'ブロイング イン ザ ウインド' (反戦)などが代表的事例だ.
ビートルズの'サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ
バンド'や ピンク フロイドの 'ダークサイド オブ ザ ムーン'等、ポップ史に残る名盤等も収録曲1曲ずつが問題になり、レコードを出すことができなかった.
特に 'サージェント
ペパーズ…’のレコードジャケットにつめの大きさぐらいに載っていたマルクスの写真さえ問題になった.
他にも、ローリング ストーンズ. ブラインド
ペイス等、ロックバンドのレコードもやはり猥褻的なジャケットが問題になって禁止された.
共産主義国家関連は無条件禁止だった. スティングの
ソロデビューレコード 'タートル ブラック' では、'ロシアンズ(ロシアたち)'という曲名のために禁止された.
ロシア人に対する批判的視線が含まれた曲であったにもかかわらず、曲名だけを見て禁止させた.
たぶん、国内で最も人気がある禁止曲ポップは、クイーンの'ボヘミアン
ラプソディー'だっただろう.
'ママ たった今 人を 殺しました / その 人の頭に向けて 引き金を
引きました'という歌詞のためなのであるが、これとはあまりにも違う美しいメロディとオペラ並みの合唱のおかげで、'白盤(不法複製レコード)’が数千枚売れるほど愛された.
これは、国内ポップファンが聴きとるのが難しい歌詞に神経を使わずに、サウンド自体を楽しむスタイルであることを見せている.
歌詞がどんなにまともでも、'セックス' 'ドラッグ' 'コック (麻薬)'
'ファック' 'シッ(糞!)'
のような単語が一度でも入っていれば、禁止処分を覚悟しなければならなかった.
レコード社は便利な方法を動員した.
'ファック'(Fuck)を 'TOK' (Talk)と直し、審議を受けたりすることはご愛きょうの水準だった.
挙げ句の果てに、歌詞を変造して通過させたが、監獄行きになることもあった.
97年 '悪魔主義'を標ぼうしたグループ カンニバル
コップスのレコードを歌詞変造して通過させた嫌疑でレコード社
職員2人が拘束された事件はその絶頂だった.
ポップ審議はソウルオリンピックの前後にルネサンスを迎えた.
89年と91年、二度の解禁で少なくとも反戦.
抵抗歌謡は自由に聞くことができるようになった.
ただし、猥褻と麻薬,
悪魔主義等は相変らず禁忌され続け、今回、成人層に限定して解禁になった.
ポップ評論家 イム・ジン氏は"罵詈雑言が乱舞するギャングスターラップ,
猥褻的表現が幅をきかすハードコアを全国民的次元で見れば問題だらけです.
しかし、これらの歌はマニアたちが楽しむ下位文化として存在します.
成熟した文化国家は、これらの下位文化を包容しながら個性と多様性を促進する触媒として使うのです.
これから私たちもそのような段階に進入したのです."と、ポップ解禁の意義を評価した.
カン・チャンホ記者 1999年 8月 27日
--------------------------------------------------------------------------
Copyright 1999 中央日報,中央日報ニューメディア All rights reserved.
Contact music@joongang.co.kr for more
information
|