さる9日、ソウル
オリンピック公園
フェンシング競技場でカムバックショーを繰広げたソ・テジ.
真っ赤なレゲエヘアで現れて、腰を深く曲げる独特のダンスで目を引いた.
いわゆる '隠密戦略'
で、徹底的にベールに包まれていたソ・テジの音楽が、8日から始まったレコード発売と、12日のカムバックショー放送で前面に表れた.
"やはり、たいしたものだ" "メディアが付和雷同して、オーバーなショーだった"
等、これに対する反応も天地の差だ.
ソ・テジは、彼に熱狂する若者達の情緒を代弁する一つの記号だ.
彼を通じて、わたしたちの英雄のいない時代.画一化された歌謡環境を見ることになった.
ソ・テジの音楽が呼び起こした反響を分析する.
ソ・テジが持って帰ってきた音楽は、ラップとメタルを結合した、ロックジャンルでハードコア的な指向をもっている.
普段、歌謡にだけ親しんでいた者たちには、'耳慣れない' '頭が痛くなる騷音としか聞こえない’という反応も出てきた.
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン.コーン等、ハードコア系列の音楽を普段から聴いてきた者の中からも意見が分れる.
"音楽的には、それほど新しいものがない" という方向と、"個性と大衆性を生かした完成度で、ハードコアをよく消化した"
という側だ.
大衆音楽評論家 ソン・キウォン氏は、"ソ・テジが〈ハヨガ〉〈教室イデア〉などを通じて、Limp
Bizkitスタイルの音楽を早く試みたという点で、彼の音楽的才能は認められなければならない”としながらも、"彼が今回のレコードで聞かせてくれた音楽は、既に国内ロック界でも試みてきたことで、それほど新しいことではない"
と話した.
反面、別の評論家 イム・ジンモ氏は、"ハードコアを私たちのやり方でよく加工した.
〈ウルトラメニヤ〉と〈インターネット戦争〉等で、その才気を発見できる”と評した.
ソ・テジ自身が、カムバックショーの映像インタビューで明らかにしたように、ハードコアは荒くて激烈だ.
狂気が伺えることもある. 彼はこれを指して、"若い音楽"
といった.
一部では、このジャンルを通じて、ソ・テジが宣言的に見せたものを注目しなければならないと指摘する.
ある音楽関係者は、"他のロックグループの自然なステージとは違うように、カムバックショーの舞台でソ・テジがセッションマンたちと共に見せた、同じ身振りで舞台が徹底しているなど、ソ・テジによって統制されるということが分かった”としながら、"メロディなどを通じて大衆性を思いきって排除しなかったが、既存の曲を通じて彼が見せた社会.音楽への発言を一層激烈に表出したものと見なされる”と分析した.
ソ・テジは、映像インタビューで、引退を翻意したことに関して、"ぼくの音楽に関心がなかったり、ぼくの音楽を好きではない人たちにまで謝罪したいことではない"
と話した. 彼が重視するのは、まさに、自身の音楽を好きな人々だ.
ハードコアがミュージシャンにとって魅力的なジャンルであるが、国内では疎外されたジャンルだという点を共に勘案する時、ソ・テジは自ら挑戦を敢行したものと見なされる.
"アルバムは、彼の目標が大衆スターや
人気歌手ではないという点を語っている. 彼の音楽は、彼が '道が違うミュージシャン'
であることを雄弁している." イム・ジンモ氏の分析だ.
現在、注文を受けて、小売り商に卸されていったCD物量だけでも120万枚.
実際の販売量はこれを超えるはずだという楽観論と、そうでないという立場がするどく対抗している.
音楽関係者は、彼のカムバックが多様性を受け入れることができなくて、ダンスとバラードにだけ二分されてきた歌謡界に波紋を起こしたという事実に注目している.
特に、ソ・テジが '作られた歌手'
ではなく、自ら統制して発言する '音楽人'
だという点を区別しなければならないという主張もある.
音楽コラムニスト キム・ギョンジン氏は、"今回を契機に、陰地で疎外を受けていた国内ロック音楽が活気を帯びれば良いが、ソ・テジの音楽で終わってしまわないかという憂慮を振切ることができない"
と話した.
多くの関係者は、"今回のレコードよりは、次のレコードがソ・テジの音楽的生命を左右する程の定規になる"
といった.
イ・ウンジュ 記者 (julee@joongang.co.kr)
写真=キム・ソンリョン 記者 (xdragon@joongang.co.kr)
2000年 09月 14日
Copyright (c)1995-1999, 大韓毎日新報社 All rights reserved.
E-Mail: webmaster@seoul.co.kr
|