写真:イ・ジョンヒョン
カン・チャンホ記者
総選挙市民連帯(過去の関連記事-[市民団体] 落薦・落選運動 街頭へ)が、4.13総選挙で正しい選挙文化を唱えて作った、あの2曲のロゴソングは、大衆音楽が政治に及ぼす大きな力を象徴的に見せてくれる.
"歌は、人の意識を変えられない.
しかし、選挙という一時的状況の中で、大衆の集団的一体感を起こすのに、歌ほどのものはない.
3分の歌が無限反復されて、無意識の基底に食い込む."
歌謡評論家 カン・ホン氏は、このようにその力を説明する.
大衆歌謡と政治の出逢いは、由緒が深い. 1956年、民主党大統領候補だったシン・イクヒ候補が遊説汽車で行った全羅北道
裡里で急逝すると、これを悲しんだ国民は、葬儀場で'雨降る湖南線’を歌ったし,
4年後、チョ・ビョンオク候補もやはり大統領選挙直前に持病で他界すると、'有情千里'が広く流行した.
"行ってしまわれた先生の後にしたがった…"
続く60, 70年代には、'セマウル(註:農村運動.新しい村)活動家' '頑張ってみよう'
等、官製歌謡が執権与党の広報歌として楽しみながら使われた.
しかし、野党などの在野反体制の人々は、大衆歌謡は享楽的な支配文化の尖兵だ、という考え方で
'We shall over come'や'キム・ミンギ'で代弁される、抵抗指向のフォーク音楽で政治的意志表示をしただけだった.
大衆音楽人もやはり、大衆歌謡が野党や反体制の人々によって使われる場合、即刻禁止曲の烙印を押されることを恐れて徹底的に忌避してきた.
結局80年代まで、政治と大衆歌謡の出逢いは、'あ!大韓民国'のような
'健全歌謡 'の他にはほとんどなかった.
しかし、90年代に入って民衆文化と大衆文化の対立構図が消滅して、レコード事前審議(註:検閲)が廃止になりながら、大衆歌謡に対する認識が自然になると、与野を問わず立候補者のイメージを大衆歌謡に込めて、積極的に広報する'ロゴソング’がアクティブになった.
81年から各種政党の党歌とロゴソング 数十曲を製作してきた専門家
イ・ボムヒ教授(49.ミョンジ専門大 実用音楽課.作曲家)は、ロゴソングブームのもうひとつの背景を語った.
"96年以前には、候補たちが自分たちの肉声をテープに納めて、有権者に'議定報告書'の名目で伝達できて、ロゴソングの重要性が大きくはなかったのです.”としながら、
"しかし、96年を基点に選挙法が厳格になり、候補が自身を直接知らせる方法は、遊説演説以外にない程になりました.
それで、突然に歌の重要性が浮上しました.”と、回顧する.
おりしも、カラオケブームで全国民の歌手化がなされて、大衆音楽の力も急激に大きくなった.
それで、既存ヒット曲を改詞して、ロゴソングとして流す候補が雨後の筍のように増えたとのことだ.
96年の総選挙では、DJ DOCの 'マーフィーの法則', パク・ミギョンの '理由ではないような理由',
ソルンドの'みな一緒にチャチャチャ' などが 'ビッグ3'
として人気を集めた. 独島(註:竹島)問題で韓日間の緊張が高まった時点だと、ジョン・グァンテの'独島は私たちの土地'も人気を享受した.
98年、大統領選挙では DJ DOCの 'DOCと共に踊ろう'が、DJ(註:金大中-キム・デジュン-を"DJ"と略して呼ぶ)の年をとったイメージを若くて活気に満ちているかのように入れ換えて、ロゴソングの威力を誇示した.
DJが大統領で当選した後、"金大中と共にならば良い…"と、換えられたこの歌で、浮動層だった若者達が振り返ったと、DJキャンプ関係者たちも認める程にこのロゴソングは大成功をおさめた
一ケ月後に迫った今回の総選挙では、イ・ジョンヒョンの'変えて'
'そして', オム・ジョンファの'フェスティバル', コンチュリココの'オー
ハッピー' などが、最も大人気を博している.
おもしろいことは、与野を問わず初当選以上の現役議員たちが最高人気曲'変えて'を忌避しているということ.
有権者たちに"今回は私たちの地域の議員を変えて"
という印象を与えるということだ.
それで、初めて出馬する政治新人たちが主にこの曲を使うようだ.
ロゴソングの基準は、何より軽快で、早くて、憶えやすくなければならない.
重い曲は遊説場で客を引き付けない.
しかし、あまりにも速かったり、ラップが多くてもだめだ. DJ DOCが
95年に発表した 'マーフィーの法則'は、歌詞がわかりやすい'メロディカルラップ'なので、ロゴソングに適格だったが、最近の歌に挿入されているラップは、歌詞がわかりにくい、リズム中心のラップだ.
それで、ラップ部分は抜いて、メロディだけを借りて作る.
複雑な前奏や間奏部分が間引かれることはもちろんだ.
ロゴソングは、選挙運動期間に集中して使われるため、製作依頼もその直前に急に降り注ぐ.
しかし、ロゴソング専門製作者は、拙速製作が不回避だ.
今回の総選挙で、与野各党の候補者たちから5-10曲ずつの製作依頼を受けたイ・ボムヒ氏は、"3,
4日で音盤を作って譲り渡さなければなりません.
一歩遅れて製作依頼をした候補は、音盤を遅れて受け取って、選挙運動期間の最終日のただ一日だけ使った場合もあります"
と話した.
ロゴソングの歌詞は、総じて候補者の参謀陣が作る.
候補者の業績を収めたり、歌の中間に"2番 金00!"
候補者番号を挿入する方式が多い. このように変わった歌詞を、7, 8人規模の男女混成合唱団が歌って、伴奏を合わせて音盤を作る.
原曲の雰囲気を生かしてこそ、有権者たちが歌をわかって関心を持つので、伴奏は元曲をそのまま印刷したように似ている.
大部分のロゴソングが、選挙当時に人気を集めている2, 3曲に集中するために、どの遊説場でも全く同じ音楽が聞こえることになっている.
結局、勝敗は歌詞の斬新さにあるという話だ.
イ・ボムヒ氏は "ロゴソングは結局候補者が有権者にたいして浮かべる'愛きょう'です.
そのような次元でロゴソングを作って聞けば、もう少し明るい選挙文化になりませんか."
と話す.
2000年 03月 17日
Copyright (c)1995-1999, 大韓毎日新報社 All rights reserved.
E-Mail: webmaster@seoul.co.kr
|