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天の下に新しい歴史はある
日本漫画 ジャンル傑作選 30 - 武侠漫画 <蒼天航路>
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<蒼天航路>は、<三国志>を曹操中心に描いたものだ. <蒼天航路>では、劉備の人徳は無邪気さであり、曹操の狡猾さは知略家の容貌に変わる

<三国志>は、汲んでも汲んでも尽きない井戸のようだ.
われこそはと思う作家たちが、各々自分の名前を掲げながら新しい本を出しているのは小説の分野だけではなく,
漫画でもやはり三国志は昔から得意客だった. 20年前 <少年中央>に連載された子供用
<三国志>に, <日刊スポーツ>で空前のヒットを放った成人用
<コ・ウヨン 三国志>,
そして、青少年を対象にコミカルに構成したジョン・フンイの<トラブル
三国志>に至るまで、漫画の側だけを見ても<三国志>リストは豊かなものだ.
だが、<三国志>に関心を持っているのは私達だけではない.
日本と台湾も、東洋の漫画 3国らしく東洋の歴史と文化を豊富に抱いている、この話に大いなる関心を持っている.
そのうちでも、<蒼天航路>は、在日僑胞韓国人・李学仁がストーリーを描いて、台湾出身の漫画家・王欣太が絵を描き、日本の出版物(講談社の<モーニング>)に連載されているのだから,
三国が参加した創作スケール自体が<三国志>程に豪快な最新版漫画三国志だ.
知略家 曹操, 英雄にかわる
本来、羅貫中の<三国志演義>は、歴史書の陳寿の三国志を土台として、劉備を主人公にして、劉備側立場を擁護して書かれた小説だ.
元, 明間に書かれた<三国志演義>以来、数多くの版本が、中国とその隣国で,
そして、歴史書, 小説, 漫画等の多様な形態で今まで出てきたが,
大抵は<三国志演義>の見解に従ったり、でなければ、三国間の均衡をもう少し配分する程度であった.

ところが、<蒼天航路>は完全に違う. 主人公からひっくり返る.
<蒼天航路>では、話の主人公はまさに 曹操だ.
せいぜい乱世の奸雄程度として取扱われ,
計略は多くても、邪で、人を観る目はあっても信義はないし、目の前の利益と長期的な大義を混同して、何より天の意義を得るのに失敗した人物として描かれてきた曹操が時代の英雄として崇められている.
<蒼天航路>の曹操は、強靭で勇猛で飛び抜けた知略家だ.
武芸にも熟達し、人を見る目と、時を待つ忍耐心があり、何より天の意義を見渡すことができる.
では、これに比べて劉備はどうなのか? <蒼天航路>で、劉備は皇族の劉氏家門の出だという点の他には何も前面に押し出すものがない阿呆として出てくる.
家門を前面に押し出して人々を集めるのに成功して,
天子の家柄を信頼する愚直な人材たちの末兄として推戴されるが,
することが単純でなんの考えもなく、手下の人物たちに苦痛の日々ばかりを抱かせる.
このように、伝統的な人物配置を完全にひっくり返す設定は、それ自体が興味深いのみだけでなく,
<三国志演義>では曹操の悪賢い成功として記録された事件が、実は彼の慧眼でできた英雄的な行動であったという脈絡で再構成されていくストーリーは、読むほどに興味深い.
例えば、曹操が関羽を少しの間同行するようになる話を見よう. <三国志演義>などでは、やむを得ず捕虜としてで関羽が捕えられるのだが、<蒼天航路>では、むしろ曹操の人物を認めた関羽が、ある程度自発的に選択した結果だと描写される.
後に、関羽が曹操を一度助けるのも恩を返すという次元ではなく,
人物を惜しむという名分によるように見える.
豪快で素敵な悪役, 董卓と呂布
発想を変えた人物描写は曹操と劉備にとどまらない.
むしろ、より一層印象的な人物は董卓と呂布だ. <コ・ウヨン
三国志>が 非常に強烈な印象を残したためなのか,
董卓といえばすさまじく貪欲で狡猾,
呂布といえば、外貌が悪く頭も足りないのに力だけが強い豚程度のイメージだ.
嫌悪するばかりで、怖がることも警戒することもない、一握りの逆賊がまさに彼らだった.
ところが、<蒼天航路>に出てくる董卓・呂布はどうか?
このように豪快で素敵な悪役は似た例を探すに難しい程だ.
まず董卓. 北方蛮夷の騎馬民族の首長であり,
よく鍛えられた巨躯に豪放な弁髪がよく似合う将帥の容貌だ.
彼は極悪で無礼で残忍だが、卓越した人材をひと目で見抜いて抜てきする一方、
誰も信じないのに天と正面対決し、天の意味を探ろうとする人物だ.
呂布もこれに劣らない.
凄じい巨躯の武人の呂布は、言葉もどもり、洞察力も瞬発力も不足するが、全く恐れることを知らない、生まれながらの戦士だ.
つきあがる原始的な力と衝動を躊躇無く吐き出す呂布は、戦争も愛も獣と同じ本能で臨む、そのような純粋な野獣として描写される.
曹操を主人公としてみるので、劉備一派中心のエピソード(関羽の‘この酒が冷める前に’など)は省略される反面、曹操の背義的行動(孤独な天子を何度も迎えて脅す一方、自画自賛する等)は
美化になって再構成されるが, もっともらしい点もたくさんある.
すなわち,‘皇族という理由だけで、何もせずに人材を集めることができた劉備’という<三国志演義>の主人公キャラクターより,
‘別段大きく感服するわけではないけれど、いつもその時その時の状況のために多くの人材がその部下として入っていかざるをえなかった曹操’という、<蒼天航路>のキャラクター設定がかなり説得力あるためだ.
曹操が決して完壁な人物ではなかったものの、いつも有能な人材を得ることができたのは、彼がそれだけその時その時の情勢をよく読んで、時を選んだということになる.
すなわち、<蒼天航路>によれば、曹操こそは乱れていた混乱期に、自ら正確な脈を読んで未来を積極的に準備した人物である.
ストーリー作家, 在日僑胞 李学仁
天の下に新しいことはないということばは、創作の矛盾性と難しさを説明すると同時に、つまらない作品を弁解するいいわけにも使われるが,
結局‘新しい’ということでは、解釈の新しさということで言い表わせる賛辞ではないかもしれない.
とても新しい見解で全体の再構成をやり遂げるということは、どちらかといえば、全く痕跡も何もなかったことから作りだすことより、ずっと興味深い仕事である.
<蒼天航路>は、まさにそのような意味の新しさを作りだした.
これは、過不足のないスタイル像である中国伝統民間画の雰囲気で、軽薄に見える絵作家の絵よりは、首尾一貫してどんでん返しを試みたストーリー作家の役割がより大きく作用した結果であるが,
ストーリー作家の李学仁氏は在日僑胞 韓国人 2世だ. <鳳凰の聖骨>等、漫画ストーリーを書く一方、映画シナリオ作業もしてきたのだが、持病で昨年末世を去った.
突然の事故死ではなく、持病によることであるだけに、ストーリーをある程度備蓄してきたと消息が伝えられるが、それが今でもまだまだ開始段階に過ぎない<蒼天航路>をしめくくれる程の分量なのかどうかはわからないし、とにかくまだ<モーニング>に連載されている.
一労作家が準備した、終生の力作なのだろうか, <蒼天航路>の作品の重さは果して手強い.
オ・ウンハ/ 客員記者
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