99年1月
Cine 21 183号
'98映画, フェミニズム 成績表 . |
第3回 女性観客 世論調査 総評 映画の中の女性, まだまだだ ![]() ユ・ジナ/ 女性観客映画賞 準備委員長,東国大映像学部教授 この一ケ月、韓国映画界の暦はスクリーンクォーター死守闘争日誌で覆われた. 恐らく、後日、韓国映画史上で1998年12月は、韓国映画存続のために最も情熱的な時期だったと記録されるに値する. 女性観客映画賞を準備している私は、少しの間この仕事を止めたまま、12月1日以前、国際劇場のある光化門と総合庁舎前の道に行った(みなさんご存知の通り、スクリーンクォーター死守 1次闘争のDデーであった). まさに、それこそ韓国映画画面では感じなかった感動的な戦慄を感じた. 死のイメージデモのために、自分の遺影を吊り下げたスター級の俳優たちが前面に位置して, 彼らはトラックの荷台に上がり、マイクを持って対政府抗議文を震えながらも堂々とした語調で読み上げていた. (写真/'ツーカップス3') ![]() 映画の中では見せたことがない女優たちの顔 もちろん、政策チームが書いた文章だったが、ところどころで自らの意志でやっているのだという所信が熱く感じられた. そこには、安聖基, ムン・ソングン, ハン・ソッキュ, チョン・ウソン などがいたが、彼らは映画の中でも非常に力強いイメージを見せるキャラクターなので、意外な感じはなかった. 私が感動を受けたのは、シム・ウンハ, カン・スヨン, キム・ヘス, チン・ヒギョン、という女優たちの姿だった. 彼女たちは、ひとつとして映画の画面の中ではみせたことのない(もちろん見せる機会さえ与えられていないことを理解している) 悲壮感と堂々とした表情と語調で韓国映画に対する話をしていた. 私は突然、内側から涙があふれ出るのを感じた. そして、まもなく、それは憂憤に似ていると思った. 瞬間的に、私は、スクリーンクォーター問題を忘れて、こういう想いにとらわれていた. 黒い服を首まで着飾った、まだ堂々として美しくて誇らしい私たちの女優たちが、何故、映画の画面の中では裸になって寝転がったり、男にちょこちょこと付いてまわる役ばかりだというのがひとつ, 何故このように自分の考えを持っているかのように見えるこの美しい女優たちが、スターとして生き残るために絶えず男性の視線を気にし、年齢を隠してスターの生命を延長するためにセクシーになろうと努力しなければならないのか, という疑問が強く沸いた. なぜなら、わたしたちは初めて, 韓国の女優たちが性的脚本の演出によらずに、集団的に大衆の前に出てきたことを初めて見て知ったから. それで、今回の闘争が韓国映画創作主導者に女優を生きている主体的存在として画面に登場する準備をするにも寄与することを心より願う. これから第3回目を迎える女性観客映画賞を追求することの意味のひとつがまさにこういう脈絡だ. そのような意味で、今回のスクリーンクォーター死守闘争は、韓国映画人が公人としての責任を感じて社会化する重要な訓練場であり転換点だという点で、より大きな価値を持つことができる. 韓国文化なので韓国映画を守るという名分があるならば、韓国人の半分の女性を抑圧して貶下してつくる映画では、今後もずっと大衆の支持を得ることは難しいことだという点を、果して映画創作主導者は考えているか? 当然のことで, これからでも遅くはない. それでも不安が残るということを見せるために女性観客映画賞が存在する. 映画中の女性の姿が不満だ- 68% 今年、世論調査に参加した女性観客は 1022人. 年令別では主観客層の16−25歳が 685人で過半数を占めた. 26−30歳は226人, 31歳以上は111人で構成された. 学生 663人, 会社員 316人, 専業主婦 73人で、主観客層の学生と会社員が中心になった. その内 55%は 月 1回以上映画を見て 平均以上の映画観覧率を見せている. これらのジャンル別選好度は、メロドラマ(39%), アクション(11%), SF(8%)の順であり, エロ映画を最も嫌うと現れた. 女性のメロドラマ選好度は、どの社会でも共通になったのである. それで、メロドラマを女性用ジャンルとして企画し, 特に最近の韓国映画占有率上昇がまた戻ってきたメロドラマブームと女性観客増加によるものだという関数関係を見せる大きな課題だ. 最も大きい項目の韓国映画中の女性の姿には68%が不満だという回答をした. こういう不満足数値は、昨年の95%に比べて、だいぶ緩和されたという点で励みになることだ. 不満足理由は、限定された女性キャラクターイメージ(45%, <美術館わきの動物園> このような映画が1年に10本出れば、こういう不満はなくなるはずだ), 男性に依存した女性(18%), 性的対象としてだけ浮び上がる女性(17%), 男性見解の女性の性的欲求表現(10%, 特に <娘たちの夕食>に言及している), 非現実的な女性の職業表現(7%, <ツーカップス3>の女刑事の服装と態度を見なさい, あるいは韓国映画に出てくる女性の職業の80%以上が外貌を売るか売春関連職種だ) などが女性観客にとって韓国映画を生の現実と連結できなくさせる要因だ. こういう現象は、家父長的社会雰囲気(35%), 映画の商業主義(35%), 男性中心的監督と製作者(19%)によることであり, 女性映画の不在と女性観客の意思が反映されていないこと(9%)もまた理由だ. こういう問題を解決するために、女性問題を浮び上がる素材開発と、男性創作主体の女性認識の転換が必要であり(38%), 女性問題に対する社会の真摯な関心(39%)が後押するべきだということに意見が集まっている. 韓国映画に願う女性イメージは、主体的な生活を送る女性(62%)が圧倒的に多いし, 意思表現が明らかな女性(25%), 男性と平等な女性, 社会的に能力のある女性, 性的欲求に率直な女性などが後をつないでいる. 反面、現在の韓国映画は、女性を過度に受動的で、消極的に表現したり(36%), 女性の外貌だけを中心に扱って(26%), 男女関係の葛藤より和解だけを強調して、女性に対する性暴行描写が激しいこと(20%)が指摘されている. 女性観客が見てみたい映画では、女性の成長映画(41%), 女性間の紐帯関係(29%), 対案的女性像が登場する映画(19%)だ. <娘たちの夕食>, 最高,最悪 どちらも 2位 今年最高, 最悪の映画 5編は、圧倒的な支持を受ける作品はない反面、様々に票が分散する結果を見せている. 1位は 19%が支持する<8月のクリスマス>, 2位 <娘たちの夕食>, 3位 <女子高怪談>, 4位 <約束>, 5位 <情事> などだ. 最悪の映画は <ツーカップス3>, <娘たちの夕食>, <手紙>, <男子の香り>, <セブンティーン>の順だ. 目につくような女性主体意識を見せた映画はないけれど、それさえも<8月のクリスマス>が性的イメージや類型化された女性の常套型を超えて生きている生活人としての女性を表現した点で全般的に好意的な評価を受けた. 一方、<娘たちの夕食>は最高, 最悪の両極端の2位に上がる奇異な結果を見せている. その奇異さを解明してみるために、設問紙を詳細に検討した結果, 大学や社会団体を通した調査では <娘たちの夕食>が最悪側に傾いた反面、ビデオショップと言論媒体等で行った調査では最高側に傾く傾向性を発見した. これまで抑圧されていた、女性の露骨な性的談論を試みた点で、この映画は選好度を見せるけれど, それが女性主体による性的談論認可までを考慮する立場では、むしろ男性主体の想像を代弁するという疑いが同時に指摘されている. また、アクションとメロドラマを混ぜた点で共通点をもった<男子の香り>と <手紙>で、前者は最悪側リストに, 後者は最高側リストに載ったことも興味深い. <男子の香り>は、男子の純愛にもかかわらず、女主人公の行き過ぎた受動性と消極的な態度が女性観客の好感を引き込んでいない反面, 同じスタイルでも、<手紙>はもう少し堂々と自身の意味を前面に押し出して、ナレーティブに介入する女主人公のイメージが好感を与えた. <ツーカップス3>が最悪の映画 1位になったことは、あえて女刑事を前面に押し出しながら、矛盾の強い性的対象に戯画化しながら、ナレーティブの冗談にも活用した点が不快感を誘発したためだ. やはりカン・ウソク監督の手による<生寡婦 慰謝料 請求訴訟>が最悪の映画 9位を占めたことも、一種の企画の失敗に見える. 女性観客が主観客層の映画が、むしろ女性観客の不快感を助長する方向に傾く結果は相変らず韓国映画産業の企画力がセクシュアリティー戦略で革新的思考を必要とするという点を示唆している. 作る意義・意図とターゲット観客の受け入れが接点を形成できない現象が韓国映画興行最前線に立っている集団で続けざまに発見されるのは憂鬱なことだ. スクリーンクォーターと共に女性の主体性も生かそう このようにして、今年の女性観客映画賞は、スクリーンクォーター死守闘争と共に熱い98年を締め切る. 韓国映画がハリウッド独占に対抗しながら生き残ろうとするなら、スクリーンクォーターも必要とするけれど、韓国映画が長期的に活気を得ようとするなら, すなわち観客の半分以上の女性の支持を得ようとするなら、女性が人間になる人権指数も高めなければならない. `スクリーンクォーターは韓国映画の生命です'という文句のように `女性も主体的人間です'という文句を映画広告に書き込む事が絶対起こらないことを願う. それで、わたしたちは、女性観客映画賞を女性観客満足度が過半数以上になる時まで持続していくつもりだ. シネ21 1999年 01月 05日第183号 -------------------------------------------------------------------------- Copyright 1995-1998 ハンギョレ新聞社 webmast@news.hani.co.kr .
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現実を投影する直接法-最高の映画 <娘たちの夕食> |
. 推薦の弁 98年 最高の映画でなく `女性の目'という点に焦点をおいて選んだ映画の中で、私はイム・サンス監督の<娘たちの夕食>を`論議沸騰の余地がある映画であるが、その中には非常に悲観的な真実が含まれている'というラベルをつけて選定をした. ここでは `論議沸騰¨は閉じて、`真実¨に対するだけで個人的な見解を明らかにしよう. ![]() 結局、ヨンジャクとのセックスでヨンイがオルガスムに到達する最後場面は、そのファンタジーが達成されながらも同時に破られる瞬間だ. ヨンジャクとスンイの関係を知ることになったヨンイは、感情的な連累から抜け出して彼を一種の自慰器具のように完全に`対象化¨させることによって、ついに目的を達成する. 彼女は悟りを得て肉体的な快楽は実現したが, からだと心が一致してお互いにやりとりする真の人間関係は、本当に不可能なファンタジーになって消えてしまう. それは、高尚な愛を前面に押し出して、女性自身も知らず知らず男性快楽の対象になるようにそそのかし, 敗北の代価として他の可能性をすべて消す男性中心の韓国社会の底辺に敷かれたその絶望的な人間関係をながめる、非常に悲観的な瞬間だ. キム・ギョンオク/ 映画評論家 インタビュー/イム・サンス 監督 ![]() -女性評論家と記者が選定した今年最高の映画に選ばれた感想は. =星二つ半(<シネ21> 20者評)を与えて侮辱を与えておきながら, 突然に最高の映画だなんておもしろいね. -侮辱を感じたというのですか. =星二つ半というのは、観客に見るな、ということだ. 果して、ぼくの映画がそんな映画なのだろうかという気がした. -女性観客たちからは、最高の映画, 最悪の映画で全く同じく2位でした. 何故だと考えますか. =<娘たちの夕食>が論争になりうる映画であるためだと思う. 大衆は正確に観た. 監督が映画を作って送り出したら、評論家たちは論争をしなければならない. だが、誰も論争をしなかった. 職務遺棄だ. 女性観客の反応は、大衆もそれを願っているということを見せている. -女性の性を話しながら、かえって女性の性を覗いて喜んでいるようにみえるという批判もありました. =映画が話そうということを見せないと言うのだから話にならないよ. あまりにも明確でお決まりの話だ. 女性主義者たちが非難する韓国映画も、そんなにお決まりの映画ではない. こういうイベントも滑稽だね. 年末だから派手に繰り広げることはできるけれど, なぜか政治的なショーをすることと同じだ. -男性として、女性映画というカテゴリーに対してはどのように考えますか. =ぼくの映画に表れている女性主義的見解は常識的なものですよ. 女性主義的映画を撮ろうとしたわけではなかった. その程度の女性主義の見解は、私としては特別ではないのですよ. -男性監督として、こういうシナリオをよく使ってはいませんか. どこからアイディアを得て, どんな方法で取材したのですか. =私は男より女が好きで、関心もより高い. 映画を撮りながら、徹底して女性の見解でなければならないと考えて、作家として努力した. -女性映画を、しばしば女性による, 女性のための映画といいます. これによれば、男性監督は女性映画を作ることができないのですが, どのように考えますか. =うるさいなあ、という見解だ. 女性主人公が悩んで現実を解決していくのを見てくれることが重要であり、男性が作ったのか, 女性が作ったのかは意味がない. バカや実力のない女性監督が作っても女性映画だといえるのか. シネ21 1999年 01月 05日第183号 -------------------------------------------------------------------------- Copyright 1995-1998 ハンギョレ新聞社 webmast@news.hani.co.kr . . |