99年1月 Cine 21 185号cine21_178cover.jpg (3321 バイト)

シネインタビュー . 林權澤 監督 .
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"チョ・サンヒョン氏の声が耳に響き渡る"
実験的なパンソリ映画 <春香傳> を準備する 林權澤 監督


また <春香伝>だ. その異本は数万にもおよび、多くのTVとスクリーンにも登場してきた <春香伝>が林權澤 監督の新作 <春香傳>で、もう一度蘇る. 韓国の代表的古典に、韓国を代表する監督の注目がとまったということは、一見きわめて自然で、それだけ無難な選択のように見える. しかし、事情は全く違う状況だ. <春香傳>は、林 監督の作品中で最も革新的な映画, 恐らく‘林權澤 映画’として特徴づけられるものから最も遠く離れた映画になるようだ.

事実上のシナリオは、驚くべきことに、名唱 チョ・サンヒョン氏のパンソリ <春香伝>だ. 映画はソリ屋(註:"ソリ"とは歌のこと)のパンソリと名人の‘アニリ’が終始導いて、画面は歌声に沿って流れる. ここでは‘アニリ’が一種のナレーションの役割をして、観客を画面に引きつける. もう一つのパンソリ映画になるが、第2の<西便制(註:邦題「風の丘を越えて」)>程度に考えてはいけない. <西便制>が、正統ドラマにパンソリを部分的に挿入したものならば, 今度は、2時間余の映像全体がパンソリ <春香伝>の構成・リズム・情緒と一体になって進行する.

林 監督は、最も伝統的な素材に、最も革新的な形式で応えようとする. この実験的試みは、既存映画形式との対決意志ででてきたわけではなく、私たちの文化と新しく出会うためのものだという点で、韓国的映画美学の一頂点になることができる. 南原のハンティングは終えて, 金明坤氏(註:キム・ミョンゴン「風の丘を越えて」では、厳しいお父さん・師匠役)と共にシナリオ作業もほとんどしめくくった状態. いまは、春香と李道令役を担う新人俳優を公募中だ. 自身の映画生涯で最も挑戦的な作業に没頭している 林 監督に新年初頭に会った.





=<春香伝>に着眼するようになった契機が気になります.


-<西便制> を作りながらチョ・サンヒョン氏の <春香伝>を全て聴きました. 良いシナリオを読めば感動があります. ところが、この <春香伝>を聞いた時の感動ほどのことは以前にはありません. 鳥肌が立ちましたよ. 一言で、衝撃でした. ああ, この感じを映画に作ることができれば本当に良いと、その時から考えてきましたよ. ところが、そのどこが容易なことでしょうか. 声の感じを映画で見せる… <西便制>ですこし試みることはしたが, 声の比重がそんなに大きくなかったのが不満だというのがちょっとありまして. 10年以内に、いつかは一度、作りたいものだと考えていました. それから昨年1年を休みながら、いろいろな素材を探しました. 伝統的ななにかを得ようと、陶器を焼く窯にも行き、伝統茶を裁培しているところにも行って, あちらこちらとたくさん回りましたよ. ところが、この<春香伝>は、その中で何度ももれ聞こえてきたのですよ. 度々、チョ・サンヒョン氏の声が耳のなかで響いて…、これはやらなければならないという考えに達したのです. それで心に決めました.

=形式が類例なしで、破格的なんですが.
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-そうですね. 今回の映画には、シナリオが特にないですよ. チョ・サンヒョン氏の声自体がシナリオだということができます. 事実、パンソリ自体に人物設定もみななされていて、台詞もあって、シナリオの要素がみな入っていますから. これを映画に作ろうとするなら、声が持つ味とリズムを極大化する方向へ行かわなければならないのに、普通の映画のように作っては何にもならない. これは単純に編集で解決できる問題ではないでしょう. たとえば、御使登場の場面などは速いけれど、これを表面的に速く見えるようにするのと違い、映画全体の呼吸がそこに合うように、濃密に調整されるべきですよ. とにかく、この映画は、声と画がはじめから終わりまで一緒に行く映画です. 他の映画では知らないが、少なくともぼくの映画の中には、こういう形式がありません. 全体的な枠組はあるけれど, 率直にどんな格好の映画になるかは、私も今はよくわからないのですよ.

=新しいけれど、非常に難しい試みだという感じがします.

-これは、本当に私にも問題です。 そのまま <西便制>に似ているように作れば、興行もうまくいき、私も気楽でしょうが, 歳を重ねて、また新しいことをするというのですからねえ…. 私がいつまでもこのようにやっていけるのかとも考えました. とにかく、私が自ら願って、より難しい道に立ち入ったのです. こういうこともあります. 近頃の若い監督たちは、主に20代という、薄い観客層だけを狙って作りますよ. 私はそれではいけないのです. 年齢に関係なく、万遍なく共感できる素材探してみたら<春香伝>になったのです. 私がヨーロッパ映画や米国映画と差別化された、韓国的な映画を作ってきて、それでも生き残ったのですから、このように韓国人の普遍的情緒に触れる映画を作る他には方法がないのですよ. <春香伝>は、文学としても韓国最高, パンソリでも最高, そして、学術的研究もたくさんなされてきた、最も重要な作品であるから、これは本当にやりたいですねえ. その上、韓国的風俗が<春香伝>ほど豊富に含まれた作品も多くないです.

=それでも、人々にあまりにも親しまれ、内容も知られているということが負担にならないでしょうか.

-もちろん、私もよく知っていて、春香が出てくる映画もたくさん見ました. それでも、春香歌 全曲をみな聞きながら相当な衝撃を受けました. 私たち・・・, 私たちが忘れながら生きてきて、しらずしらずのうちに生きる感じがそこにありました. そのような感じを、今日の観客に対して伝えてみたかったし、映画監督の私ができることは、それを映画で見せることですよ.

=<春香伝>が、他の古典より特に伝統的要素が多いと見る理由は何ですか.

-まず、官僚社会が具体的に描かれています. 上層部だけでなく、下級官僚等の生活が詳細に描写されていますよ. 捕卒や官属たちがこれくらい詳細に描かれた作品はそれほどありません. 捕卒たちが春香を捕える時、李道令と追われてきた春香を掴んで“お前、よく捕まってくれたな”と、私達の間で好まれる演目には、上流社会に対する感情がよく表れますよ. 妓女たちや農民の生活描写も豊富です. ビョン府使(註:春香に迫る好色な官僚.言うことをきかない春香を処刑しようとする)の誕生日の祭り場面も同じく、朝鮮の食べ物文化や各種楽器も登場して, 文士等の酒の席の風流も格好良いですよ. いちいち列挙するのが難しい程に、朝鮮社会の上にから下までの幅広い階層の人々の暮らす姿がいきいきと描かれています. 何より光るのは、当時の人々が最高の徳性だとみなした、烈女の貞節でしょう. 私はこういうことを全部徹底して考証して、よみがえらせるつもりなんです. だから、製作費も多くなって, 私たち演出部の苦労も激しいものです.

=本来の <春香伝>とは変わる内容がありますか.

-古典<春香伝>は、今日の観客が見れば、納得できない側面があります. 何より、春香の烈女的姿勢に反感が生じるでしょうね. そんなにまで李道令に執着する理由はなんだろうと、疑問になるでしょう. また、ものすごく悲劇的な題目でありながら、非常に楽しい歌舞が入ることもそうですね. それで、私は春香と李道令がエロチックな愛の経験を持つのが重要だと考えます. 人は精神的な愛だけでは、そんなに強くなるのは難しいですよ. 心とからだが共にあるからこそ強くなります. ここに春香が封建体制と戦う側面も浮び上がるという考えなんです. 春香の貞節は李道令に対する真心でもあるが, これは、封建体制を拒否する身振りでもあるでしょう. このような点があってこそ、今日の観客に対してもですが, 外に送りだした時、外国の観客に対しても<春香伝>の話と情緒が伝えられるものと考えます.

=今日の若い観客たちも意識していらっしゃったのですね.

-そうです. さっきも話したけど、私は特定の年齢層の観客だけではなく、あまねく受け入れることができる映画を作りたいのです. ですから、若い世代が共感する感情の流れをつかみ出すことも神経を使わなければならない問題ですよ.

=チョ・サンヒョン氏のパンソリ 春香歌は4時間30分ですが, どのように縮約なさいますか.

-今、主要な題目を選び出す作業はほとんど終ったのですが, 映画で使われるのは2時間をちょっと超えるでしょう. その程度ならば、劇の進行に無理がなく, ‘アニリ’を新しく書いて、時間の経過を説明する方式でなされることになります. 私と映画も一緒にやったことがあり、パンソリもよく知っている金明坤氏が手助けしてくれています.

=今回は、別途に音楽が全く必要ないようですね.

-その通りです. <西便制>の時、パンソリと金スチョルのシンセサイザー音楽を混ぜ、当時としては不回避だと考えたのですが, なにか不完全だという感じはありました. 例えば、眼が見えないソンファが兄さんの太鼓に合せて歌う時、声のリズムだけで感情を高めさせることができず、後でパンソリに金スチョルの音楽を取り入れたのですが, これが良いという人もあったが、私としてはパンソリの感じだけで全てを満たすことができなかったことが物足りなかったのです. 今度は、パンソリがシナリオにもなり, 音楽ともなるので、他のものは必要が全くないですよ.

=単純に技術の問題ではないのですが, 声の感じを映像で表現する方式をちょっと具体的に説明していただけますか.

-ちょっとの話で説明できるものではないのだが…、 <西便制>で最もやさしい例を探せば、こういうことがあります. 眼が見えない娘と父が廃屋になったわら家に入っていって、歌の練習をする場面がありますよ. ここで娘が練習するのが<沈清歌>の中から、娘がご飯を乞うて歩き回るという演目なんです. 歌と物語の絵がひとつになったようでした. 観客は、どんな演目の何の歌なのかは大部分識別することができないながらも、声のリズムと感じだけでそこに埋もれますよ. もちろん、<西便制>では、声が必要にしたがって割り込んだのですが, 今回は 声と画が一緒に進行します. ですから、もう少し精巧で複雑でなければならなくて、私としてもそれだけ大変ですよ.

=<西便制>を出された後に、“ソリ初心者として、私がパンソリで感じたものと愛情を見せた”と、謙遜しながら明らかにされたのですが, それからパンソリに対して新しく感じられた点がおありですか.

-謙遜ではなく、その時は本物の初心者でしたよ. 今は、同じ<春香歌>を聴いても、演目ごとに、耳にすぐになじみ、感じ方がもう少し確実になったようです. かと言って、‘耳名唱(註:聴く名人のことか)’には到底及びもつかないけれど. それほど、ソリとは奥が深いのですよ.

=とにかく、<西便制>よりははるかに明るくて非常に楽しい映画になるだろうな、という感じがします.

-うきうきするような、諧謔的で壮大な 感じがするものです. 悲劇的な演目もあって, 非常に楽しい演目もあるだろうが、全体的には、威厳があるという感じを与えるつもりです.

=製作費負担も大きいでしょうねえ.

-そうです. 製作費は30億程度だと言っていますが, ちょっと減るかもしれません. 時間がもう少し経てば明らかになるでしょう. 事実、こういう映画は、私が作りたいから作ることができるというわけではないのです. 運もあるし、製作者も決心しなければならないしね. こういう大きい映画を作ろうとするなら、市場規模も考えなければならなくて, 興行がうまくいかなかった時に受ける打撃も考慮しなければならないのに、よく受諾してくれましたよ. 最近、こういう映画を作るという決定を下せる製作者はまれですよ.

=<娼>を除けば, 最近は伝統的素材に没頭していらっしゃったようですね.

-私が昨年、サンフランシスコ映画祭で受賞したときの言葉があります. 私達が一緒に暮らす地球村が、ぼくには荒廃した花畑に見える, この花畑を美しく育てなければならない義務が現代人にあり、映画もそれに寄与しなければならない, 極東の片隅で生まれて育った私は、私が育った土地の悲しみと美しさを込めた花を作って、この地球村の花畑に植えることだろう. 確か、このような内容であったのですが, その思いは、今でもそうですよ. 私が育てなければならず、誰よりもよく育てることができる花は、わたしの土地に関したこと, 私たちの文化に関したことですよ. それでこそ、人々の目に花畑がより美しく見えるために寄与することになります. 生業もそれでこそよりうまくいくのです. 私は、何より, 明確に私たちのこととして美しい花を咲かせることができる、という、忘れてしまいがちなことに関心があるし、愛着がある. そうでなくて、何で映画を作りますか.

=現代的素材はこれ以上扱わないとおっしゃられたとか.

-そのようなことは言っていませんよ. ただ、いまは、ぼくの中で求めるものをしたい, 10代 20代、という限られた観客を対象に、流行のように作る映画には手を染めたくないのです. 現代物をするといっても、ぼくの年齢にふさわしいものでしょう.

=春香と李夢龍を演じる新人俳優を公募中ですが, 望みのイメージや基準がありますか. また、もし念頭に置いている既成演技者がありますか.

-それが、少なくないのです. 春香は当然古典的な美しさがなければならず, 貞節を守るだけの強いイメージも必要とされます. その上、エロチックな演技をやり遂げる官能美もなければならない. こういうことを全て揃えた演技者を既成の俳優中にはまだ見たことがありません. 李夢龍もそうです. キーセンとふざけて遊ぶことも似合わなければならず, 御使になった時は威厳もなければならないのです. 男性的な魅力も、もちろん必要です. ところが、わたしの欲は、こういうことを全て跳び越える, 私が全く考えてもいない魅力を持った、そんな新人に会うことですよ. 期待通りになるかどうかはわからないけど.

=今年中に映画を観ることができるでしょうか.

-春から撮影をするつもりなのですが, たぶん晩秋までかかるでしょう. 四季をみな必要とするから、冬はセットで撮ることになるでしょう. 今年はまるまる<春香伝>に捧げれば, 来年初頭くらいには封切りできるでしょう.

=昨年、映画の作業を休みながら東国大で講義をなさったのですが, その経験が役に立つことがありましたか.

-わたし自身が自分の映画を客観的に観る機会となりました. 事実、映画を作ってみると、監督自身が自分の映画を俯瞰することが難しかったのです. ところが、なんとか自分の映画を私が解体して、私が正しくしたことと間違ったことを解き明かすことができました. そのような機会は、それまでは無かったので、良い経験になりましたね. 学生達にとっても良かっただろうと考えます. 自分が作ったことを、そのようにけなす人を講義室で会ったのですから.

=最後に、最近の韓国映画界に対する所感が気になります. 現在、新人たちを中心に流れているのですが, こういう現象をどのようにご覧になりますか.

-いくらか前、ある映画祭授賞式を見たら、新人監督が監督賞までもらっていたね. ある統計を見ると、韓国映画の市場占有率が15%水準だったのが、最近では25%にまで上がったのですが, こういう成長の勢いを若い監督たちが主導しているのは事実なんです. 表現方式が洗練されたのも明らかですね. 最近、韓国映画界が若い監督たちのおかげで発展しているということには異議がありません. ところが、問題は、25%まで上昇した観客の大部分が10代と20代の限られた観客層でだけ構成されているということです. 30代以上を受け入れる映画がないのですよ. ところが、静かに考えてみると、それしか方法がないという気がします. 映画も自分が生きてきた上で作るものですから, 若い監督たちが40, 50代の共感を得る作品を作ることは難しいでしょう. 人生を十分に生きてきた人々が作った映画ならば、普遍的共感を得ることができます. 今回、金ユジン監督の映画(<約束>)がうまくいくと、見終って内心拍手したのですが, 韓国映画が本物の発展をしようとするのなら、以前に仕事をしてきた人々, ペ・チャンホ, 李長鎬(イ・ジャンホ),チョン・ジヨン等、こういう監督たちが支えてこそできるのです. この人たちが能力ある人達なんです. いろいろな条件がうまく揃わなかっただけなんです. 今、趨勢を見れば、新人たちだけで映画を作ろうとしていますが、より遠くを見れば、これが長期的発展には阻害要素になりかねないと思います.

文 許ムンヨン・写真 ジョン・ジンファン 記者



シネ21 1999年 01月 19日 第185号

Copyright 1995-1999 ハンギョレ新聞社
webmast@news.hani.co.kr


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<春香伝>
李朝のハングル小説.作者不詳.18世紀初頭にパンソリ演唱者により唱物語として創作され、公演される間に小説化された.

全羅道南原に住む妓生(キーセン)の娘・春香と府使の子・夢竜はふとした出会いから熱烈な愛のとりこになる.しかし、歓喜の逢瀬もつかの間、夢竜は父の栄転で都に去り、残された春香は新任の好色な丶卞学道の添寝の命を拒んで鞭打たれ牢に入れられる.科挙に及第し暗行御使(王の隠密派遣使)に任命された夢竜は乞食に扮して南原に下り、卞府使の誕生日の酒宴が開かれ、春香が処刑される当日に現われて、悪政をさばき春香を助け出す.二人は上京し王の特旨でめでたく結ばれる.

物語の劇的展開に加えて、庶民の反抗精神を代弁した風刺、俗語の使用による親近感、さらに登場人物の造型にもみごとに成功し、今日でも小説、パンソリ、映画を通じて広く愛好される.李朝小説の最高傑作.完版(全州)、京版(ソウル)の板本のほかに写本も数十種ある.

―――――大谷 森繁氏(平凡社「朝鮮を知る事典」より)


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