98年9月29日朝鮮日報

[在日僑胞 キム・ギョンボン] 故国の舞台に立つ…10月 1〜4日 文芸会館で


マルセ太郎, 韓国名 キム・ギョンボン(65). 10余年前から 'スクリーンのない映画再現'という一人劇を試みて、日本演劇界に話題をふり撒いた在日僑胞 2世俳優だ. 95年、肝臓ガン宣告を受けて、数回の手術を繰り返しながらも巡演を強行して話題になった. chosunilbo98_9_29.jpg (11497 バイト)

彼がソウル国際演劇祭の招請を受けて舞台に立つ. "ぼくの血が流れる土地の上に立ちたい”と決行した、故国での初めての舞台だ. 10月 1日から 4日まで、ソウル文芸会館小劇場でには '泥の河'. 小栗康平監督の映画'泥の河’を85年、一人芝居で公演し、絶賛を受けた作品だ. 56年、日本の経済成長が突出し始めた時, 庶民の生を背景に少年たちの友情を写実的に描く. この日の舞台では '泥の河'に先立ち、医師から肝臓ガンの診断を告知された感慨と、死と戦う意志を込めた40分のパントマイムも披露する.

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彼は95年 1月 肝臓を半分以上切りとる大手術を受けても、すぐに舞台に立った. '岩’を主題にした芝居で、彼は特有のギャグで観客たちの笑いをさく烈させて再起した. 肝臓ガン手術から5年後、生存率は4人に一人の姿. 今回の故国公演は、初めてで最後の帰郷舞台になるかもしれない.


大阪で生まれた彼は、高等学校を卒業した後、フランスの俳優マルセル・マルソーの舞台を見てパントマイムにほれこんだ. 芸名までマルセ太郎とつけたほどだ. 56年 日劇ミュージックホールでパントマイムでデビューした. 特に、東京・浅草演芸場での猿の描写は、"猿を通した人間の内面世界の描写が劇的で、本物の猿より猿であり,痛烈である”という評価を受けた.

年間収入が百万円にもならない貧困と戦った彼が、大衆にひろく知られるようになったのは、80年代に入って映画を圧縮し、舞台で再現する一人芝居であった. 'ライムライト' 'アマデウス' 'デーブ' '息子' 'などの映画 20編あまりをレパートリーとした.

彼の演技には '音声壮大'という言葉が丁度合う. 笑いの中に隠した鋭い風刺で、映画では感じられない、もう一つの味を創造した. 映画を摸倣するので終わるのではなく、映画批評を舞台化したという話をうわさされる程だ. NHK 衛星第1放送は、以前 'マルセ太郎の芸人魂'という番組で、肝臓ガンと戦って最後の花火を舞台で燃やす彼の闘魂を紹介した. (02)745-0408.

(キム・ギチョル記者 : kichul@chosun.com)


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