97年5月21日 朝鮮日報
[韓日サッカー] 韓国, 宿敵 日本と 1-1 引分け |
21日 午後 7時. 2002年
ワールドカップ共同開催を記念し、韓-日代表チームが久しぶりに正面対決した、日本東京国立競技場.
アジアサッカーの未来を担って行く二
国の[サッカー祝祭]する場だった. |
[日本サッカー急成長] Jリーグは土壌…国民の熱気は肥料 |
【東京=オク・デファン記者】スポーツでは勝つ事も,敗れる事もある. 今までのところ、韓-日サッカー定期戦 戦績は、10勝2分け3敗. 21日、韓-日親善競技での韓国選手の技量も闘志も、過去の先輩たちに比べて遜色がなかった. しかし、日本代表チームは'意外に'強かった. 事実、われわれは日本をあまり知らなかった. 途方もない投資と国民的熱気を土台に、爆発的に成長してきた日本サッカーを無視してきたと言えるだろう. 最近、韓国は子供サッカーから国家代表チームまで、日本と戦って勝った回数よりも敗れた回数が多い. かと言って、日本が唯一韓国にだけ強いわけではない. 僅か1年前、日本はアトランタオリンピックでホナウドとベベットが走ったブラジルを1対0で破った. 東欧の強豪ハンガリーにも、3対2で勝った. 国家代表チームも華麗な'戦果'を誇ることは同じだ. やはり、昨年行われたキリンカップ大会で、日本はユーゴとメキシコ代表を次々に破った. ユーゴは1対0,メキシコは3対2であった. 当時、ユーゴチームにはサビジェビッチとブラドミル・ジュゴビッチ、ドラガンストイコビッチ等、プロ舞台のスターが揃っていた. また、メキシコとのゲームでは、まず2ゴールを抜かれた後、3ゴールをさく烈させる底力を見せた. 世界的なゴールキーパーと評価を受けるホルヘ・カンポスも"三ゴールを明け渡すとは想像も出来なかった. 弁解するつもりはない"と完敗を自ら認めた. 5月のFIFAランキング18位(韓国は38位)は、このような成績を土台に勝ち取った副産物だというわけだ. 日本サッカーの成長背景には、プロリーグのJ-リーグがある. 93年にはじめてスタートしたから、韓国よりは丁度10年遅いわけだ. だが、4年後の97年、二プロリーグは天と地ぐらいの差を見せている. J-リーグは、優秀な世界のプロ選手が憧憬する舞台になった. ブラジル代表チームのドゥンガ、レオナルドが活躍したり活躍中で,一昨日はイタリアのロベルト・バッジョのスカウト説が飛びかった. J-リーグは世界一流選手にお金をつぎ込み、リーグの水準も共に発展させて行った. 日本選手が共に走りながら、彼らから多くのノウハウを学んだことはもちろんだ. J-リーグは99年から2部リーグを準備中だ. 来る7月には全12面の練習グラウンドを 揃えたJ-villageをオープンする. 完壁な便宜施設を揃えた'サッカー村'J-villageは、代表チーム専用グラウンドとしても使われる予定だ. 韓国はどうなのか. プロリーグには観衆がなくて,代表チームは練習場がなく、切実だ. 1千万人が暮らす首都ソウルに、いまだにサッカー専用グラウンドがひとつもない. 2002年ワールドカップを蚕室で行おうという話が遠慮なく沸き上がっている. 蚕室球場で開幕式を行うことができるかもしれなくてもワールドカップはできない. グラウンドがはるかに遠いので、観衆は選手の顔さえわからないためだ. サッカー協会やプロ連盟の行政は相変らずどんぶり勘定式だ. その時その時で大会を行うので、長い目で20〜30年を見通したサッカー発展という長期的なプランは思いもよらない. この渦中で、韓国サッカーの未来を担った小-中-高校生らは球場で不安を押し切ったまま球を蹴っている. 先んじた大学選抜チームの敗北が、一過性でないという事実を悟らなければならない. サッカーは、私たち国民が最も愛するスポーツで,2002年ワールドカップの成功的開催は国家的命題であるためだ. |