97年5月21日 朝鮮日報

[韓日サッカー] 韓国, 宿敵 日本と 1-1 引分け



【東京=オク・デファン記者】

21日 午後 7時. 2002年 ワールドカップ共同開催を記念し、韓-日代表チームが久しぶりに正面対決した、日本東京国立競技場. アジアサッカーの未来を担って行く二 国の[サッカー祝祭]する場だった.


日本応援団は、両国が硬い握手を交わしているプラカードを準備して,韓国も二 国語で書かれた[共に行こう,フランスワールドカップに]という垂幕で和答した.
日本の観衆は、風船を振って,太鼓をたたいて[NIPON, NIPON]を連呼し,韓国応援団は、太極旗とうちわ,鉦とケンガリで祝祭ムードを演出した. 競技場の大型電光版は、共同開催が決定された96年5月31日[チューリッヒの感激]を繰り返し見せた.

しかし、勝負は勝負. 韓国と日本は一寸も譲歩のない攻防のはてに1対1で引分けた. 後半11分、韓国のコーナーキック. コ・ジョンスはボールを勢いよく日本 ゴール前に飛ばした. ボールはリモコンで操縦でもされているように正確にユ・サンチョルの頭の側に飛んで行った. ヘディングシュート,そしてゴールイン.

日本自慢の新鋭GK川口も対応無策だった. 1対0.前半を終始 胸を詰まらせ見守った故国のファンののどの渇きを涼しく解消した、見事なゴールだった. 5万余の観衆が集まったスタンドには、一瞬静寂が流れて,鉦とケンガリの音が騒がしく鳴り響いた.

総反撃にたった日本は、後半40分頃、韓国ゴール前に荒々しく追い詰めた. 韓国代表チーム末っ子のコ・ジョンスは、ゴール前でシューティングを頭で払いのけた.

しかし、2ケ国のサッカー祝祭は、韓国の勝利を願わなかった. 後半42分、韓国は結局、三浦にペナルティーキックを許した. GKキム・ボンスが満身の力を込めて体を飛ばしたが、三浦のボールは韓国ゴールの片隅に正確に引き込まれていった. 1対1. 二国のどの片方も悔いがない勝負であった.

前半は断然日本のペース. 日本のゴールゲッター、三浦は断然引き立って見えた. 彼は絢爛な身の動作とキリのようなパスで、終始韓国守備陣を困らせた. 三浦は、前半4分、精巧なパスをやりとりしてゴールの近くまで進出,シューティングを飛ばした. クロスバー オーバー. 23分、山口の中距離シュートに続き,25分には、また三浦がGKキム・ボンスと1対1のチャンスを作った. 1分後、城がペナルティエリア近くからオーバーヘッドキックを飛ばした. アトランタオリンピック最終予選決勝で見せた手並みであった.

韓国も、前半30分、コ・ジョンスに続き,後半,チェ・ヨンスとチョン・ジェグォンを投入しながら均衡を図った.

22日は、チャ・ボムグン監督の誕生日. 韓国選手は勝利で監督の誕生日を祝おうとしたが、意味通り容易なことではなかった.

[日本サッカー急成長] Jリーグは土壌…国民の熱気は肥料

【東京=オク・デファン記者】スポーツでは勝つ事も,敗れる事もある. 今までのところ、韓-日サッカー定期戦 戦績は、10勝2分け3敗. 21日、韓-日親善競技での韓国選手の技量も闘志も、過去の先輩たちに比べて遜色がなかった.

しかし、日本代表チームは'意外に'強かった. 事実、われわれは日本をあまり知らなかった.
途方もない投資と国民的熱気を土台に、爆発的に成長してきた日本サッカーを無視してきたと言えるだろう.

最近、韓国は子供サッカーから国家代表チームまで、日本と戦って勝った回数よりも敗れた回数が多い. かと言って、日本が唯一韓国にだけ強いわけではない. 僅か1年前、日本はアトランタオリンピックでホナウドとベベットが走ったブラジルを1対0で破った. 東欧の強豪ハンガリーにも、3対2で勝った. 国家代表チームも華麗な'戦果'を誇ることは同じだ. やはり、昨年行われたキリンカップ大会で、日本はユーゴとメキシコ代表を次々に破った. ユーゴは1対0,メキシコは3対2であった. 当時、ユーゴチームにはサビジェビッチとブラドミル・ジュゴビッチ、ドラガンストイコビッチ等、プロ舞台のスターが揃っていた. また、メキシコとのゲームでは、まず2ゴールを抜かれた後、3ゴールをさく烈させる底力を見せた. 世界的なゴールキーパーと評価を受けるホルヘ・カンポスも"三ゴールを明け渡すとは想像も出来なかった. 弁解するつもりはない"と完敗を自ら認めた. 5月のFIFAランキング18位(韓国は38位)は、このような成績を土台に勝ち取った副産物だというわけだ.

日本サッカーの成長背景には、プロリーグのJ-リーグがある. 93年にはじめてスタートしたから、韓国よりは丁度10年遅いわけだ. だが、4年後の97年、二プロリーグは天と地ぐらいの差を見せている. J-リーグは、優秀な世界のプロ選手が憧憬する舞台になった. ブラジル代表チームのドゥンガ、レオナルドが活躍したり活躍中で,一昨日はイタリアのロベルト・バッジョのスカウト説が飛びかった. J-リーグは世界一流選手にお金をつぎ込み、リーグの水準も共に発展させて行った. 日本選手が共に走りながら、彼らから多くのノウハウを学んだことはもちろんだ. J-リーグは99年から2部リーグを準備中だ. 来る7月には全12面の練習グラウンドを 揃えたJ-villageをオープンする. 完壁な便宜施設を揃えた'サッカー村'J-villageは、代表チーム専用グラウンドとしても使われる予定だ.

韓国はどうなのか. プロリーグには観衆がなくて,代表チームは練習場がなく、切実だ. 1千万人が暮らす首都ソウルに、いまだにサッカー専用グラウンドがひとつもない. 2002年ワールドカップを蚕室で行おうという話が遠慮なく沸き上がっている. 蚕室球場で開幕式を行うことができるかもしれなくてもワールドカップはできない.
グラウンドがはるかに遠いので、観衆は選手の顔さえわからないためだ.

サッカー協会やプロ連盟の行政は相変らずどんぶり勘定式だ. その時その時で大会を行うので、長い目で20〜30年を見通したサッカー発展という長期的なプランは思いもよらない. この渦中で、韓国サッカーの未来を担った小-中-高校生らは球場で不安を押し切ったまま球を蹴っている. 先んじた大学選抜チームの敗北が、一過性でないという事実を悟らなければならない. サッカーは、私たち国民が最も愛するスポーツで,2002年ワールドカップの成功的開催は国家的命題であるためだ.