99年12月ハンギョレ21 286号

食べ物の話/キムチとハム・ソーセージは‘相性抜群’ 


西洋の食べ物は、その材料が加工されたものが大部分なので、専門的な調理技術がなくても、簡単に食べることができる. だが、韓国の食べ物はそうではない. アパート生活が大きな変化をもたらしたとはいうものの、一家族単位でそれぞれ自分たちの趣向や都合によって食べ物を作って食べる習慣には、大きく変わったところがない. 特に材料が主・副食とも、皆加工していない生ものが大部分で、調理法と盛り付けまでが家族の役割だ. 特筆すべきは、料理に使う基本調味料までも直接作って保存しておいて使用することだ. それで、主婦の手腕と家に伝わる慣習によって、その家の味が決まる. 

したがって、どの家でも、自分たちの固有な味が別々にあるようになっている. “ジャンの味が食べ物の味”(註:"ジャン"は醤油や味噌のこと.手作りのそれらの調味料が料理にそのまま反映すること)などや、その家の食べ物の味で女性の徳性を計る基準としてきたことも、このような食物文化で始まったのである. 

こういう特性は、私たちの食物文化の最も独創的な自慢の種になるでもある. さらに、機智に優れ、味に対する感覚を持って生まれた主婦は、その才知を一度に発揮できた. 彼女たちの手助けは、紅葉で黄色くなった木の葉でも、魚を 整えて 私は 副産物までも 看過 薬味を 自由自在で(に) 調律していって 珍味で(に) 変身させてしまうことが なかった. また彼女たちは、味の"デモ"(代母)のように、村の大きな祭りや、特別な行事に呼ばれていって、村とふるさとの食物文化を花咲かせた主人公になったりもした. 

議政府プデチゲの元祖である‘おでん食堂’ホ・ギスク(65)さんは、朝鮮戦争以後の大変だった時期, 米軍部隊から放出された半端ものの食材を集めて、韓国の薬味とキムチ, 新鮮な野菜を入れて、みんなに感嘆される珍味鍋に変身させた、議政府プデチゲの‘代母’だ. 

当時、ハムとソーセージ, ベーコン等、まだ私たちの口に馴染まなかった西洋食品を、よく熟成したキムチと野菜とを結合させて、韓国の珍味食にまで根をおろさせた. 戦争を体験した中老年世代には、郷愁に充ちた食べ物で, 若い世代には珍味鍋として歓迎を受ける. 議政府市は、ホ・ギスクさんの飲食店をはじめとして路地の中に10余か所のプデチゲ屋が一ケ所に集まっている地域を代表する食物観光地区に指定し、各種広報と支援をしている. 週末には全国から集まった客でテーブルごとにいちいち憶えられない程に混み合って, 差し出されるままに金を受け取っていると、“前から入ってきて, 後ろから出て行く”食い逃げの客が 1・2 家族ではないという. 





この人の味/ 議政府 ‘おでん食堂’の ホ・ギスクさん 


ありったけの材料をよく熟成したキムチで… 


議政府 プデチゲの代母のホ・ギスク(65)さんは27歳になった年、おでんと串のおつまみで布帳馬車(ポジャンマチャ.テント張りの屋台)形態の飲み屋を開いたという. 持って生まれた手腕で顧客が多く混雑して, 屋号が‘おでん食堂’というのも、その時の得意客たちが呼んでいた名前をそのまま書いたためという. 

ホ・ギスクさんは、当時、米軍部隊から放出された半端ものの食品の中からソーセージとハムなどを選び出して、粉トウガラシと野菜を入れて炒めて酒のつまみにして, 残りは豚粥を炊いて食事として出したということだ. そんなある日、スープをたっぷりと入れて、野菜を入れて、コチュジャンで味をつけた鍋を出してみたら、客たちにたいそううけた. 

このように始まった鍋は、ご飯のおかずはもちろん、酒のつまみにもよく, 適当 名前がないので、部隊(註:韓国語で"プデ")の肉で作った鍋という意味で“プデチゲ”と、自然に名前が付けられたという. 

歳月が流れながら、春雨と白モチ, ラーメンが入っていく等の内容は多少変わったが、基本になるソーセージとハム, ベーコン, 缶詰め豆, マカロニ等はそのままだ. よく熟成したキムチと唐辛子みそを入れれば、限りなく軟らかくて甘くさえ感じる味は、どこにも比べられない境地をかもし出している. 


有名なプデチゲ屋 


1 議政府 おでん食堂- 議政府1洞 プデチゲ通りのなかで、今年で40年近くプデチゲを出している. 創業主人のホ・ギスクさんもまだ健康な姿で、過去の味をそのまま出すために、料理の内容に大きな変化を加えなかったし、ソーセージとハム, 缶詰め豆とマカロニなども、むかし、国連軍に普及した製品と同じものを求め、その頃と丁度同じ味と雰囲気を続けている. 京畿道 議政府市 議政府1洞, ご飯を含む 1人分 5千ウォン(0351-842-0423). 


2 富川 ボシラン・プデチョンゴル- 米軍の駐屯地として有名だった富川で、20年を越える来歴のプデチゲとプデチョンゴルで知らない人がない. 富川駅前に本店があって, 中洞 新市街地に息子と嫁が経営する分店をおいている. メニューが多様なのが特徴で、クルマに乗って行くのなら、駐車が気楽にできる分店を訪ねるのが良い. 

京畿道 富川市 ウォンミ区 中洞, プデチゲ 1人分 5千ウォン(032-322-0913). 


3 水原 ドゥッコビ屋- 水原の過去の文化通りであるメサン路3街, メサン初等学校前に81年、店をあけた. 水原では来歴が最も長いプデチゲ屋だ. 鍋の中に、餅と春雨の他にもラーメンを追加して、さわやかですっきりした汁味と共にラーメンをすくって食べるのが特に珍味だ. ソーセージ焼きとハム焼きも珍味だ. 

京畿道 水原市 グォンソン区 メサン路, プデチゲ 1人分 5千ウォン(0331-242-4267). 


4 ソウル ボンミョン洞プデチゲ- 82年 ミドパ(註:デパート名)の向い側のバス停留場脇の路地で店をあけた. 同じ場所で15年を越えている. 議政府 プデチゲをソウルに紹介したが、客たちによって‘明洞プデチゲ’という、新しい名所として根をおろした. 甘辛くすっきりしたスープとハム, ソーセージ, ラーメン等の追加注文が可能で、特に冬季が1年中で最も混雑するらしい. ソウル市 中区明洞, プデチゲ 1人分 5千ウォン(02-776-9900). 


5 チョンホ洞 チョロンギコモネ- 90年 アムサ総合市場入口に店をあけて10年目を迎えている. 輸入品の中からも、デンマークとオランダ産等の貴重な製品を求めてきて、味が格別なうえに, 外観を高級化して目を引く. 甘辛だが、それほど辛くなくて, 口になじむ軟らかい味で、子供と若年層の客が特に好む店だ. 

ソウル市 江東区 アムサ洞, プデチゲ 1人分 5千ウォン(02-442-3546). 



ハンギョレ21 1999年 12月 09日 第286号 .


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