99年12月ハンギョレ21 286号

特集T:都市の村 "となりを内へ"


塀を崩して共同の文化を育てる‘村づくり’… 心が通じる場所を作る人々 

(写真/塀を取り払えば、心が開く. 大邱市 中区 サムドク洞で塀をなくした住宅は、村の公園の役割をする) 

都市の色は灰色だ. 冷えるように荒涼とした、侘びしい色. その後ろに, まさに塀はうずくまっている. 塀は、まさに灰色の都市の悪い‘障壁’だ. 都市の人たちは、いつからかこの塀に自身の存在を支えて生きるしかなくなった. 塀の中に広がった、小さな世界だけが唯一の彼らの安息処だ. しかし、考えを変えれば, 塀は取り払えばそれまでだ. 新しい世界とは、こういう破壊の上で作られるのかもしれない. 

大邱市 中区 サムドク洞 キム・ギョンミン(38・大邱YMCA 会員活動部長)氏の 家は塀がない. 昨年11月、塀を壊した. それで、田園が全身をそのままさらしている. そこは、数十台のテレビ, 壷, オーディオなどが設置された, 若干ぎこちないけれど、自ら調和を作り出した文化空間だ. 


可愛い田園をみんなで楽しむために 


ヒューッ. 突然に冬の風が、山寺などで聞くことができるような音を耳元でたてた. 軒下に叩き付けた風の音だ. その音に、子供たちのわいわい騒いでいる声が重なる. いつのまにか、近所の子供たちがわいわい集まって、キムさんの家の田園にある柿の木を見ていたずらをしている. 子供たちを連れてきて、歓談を交わすアジュマ(註:おばさん) もいる. キムさんの家は、この町内の路地公園であり, 大邱市内では名所になっている. キムさんは、塀があった時にはとうてい不可能な事だったと話す. 

キムさんが塀を崩すことにしたのは、当初には、可愛いがっている田園のためだったという. 塀のために田園が常時日陰になるうえに、この美しい所を自分たちだけが楽しむのは惜しいという気がした. キムさんは“路地公園があれば、住民たち, 特に主婦が集まり、話もして、子供達がきて遊ぶことができて、索漠とした路地が自ら活気をとりもどすことができるのではないか”という気がしたという. もちろん、塀を壊した後、一週間程度は不安感がないわけでもなかった. だが、塀をなくした後、変化が徐々に起こり始めた. 塀を取り払った後、町内の人々が各々、路地の育て方に関心を持ち始めたのだ. 子供たちが田園にきて遊ぶようになった. また、塀のそばの車両駐車もほとんどなくなって, 大門前のゴミもきれいに清掃されている. 

キムさんは塀を壊すことだけでは終わらなかった. 町内の子供たちの環境絵画を預かって、路地に展示する‘クロッキー・環境絵画大会’を開いた. また、引っ越していった後、放置されてきた、家のそばの5坪の店舗を引き取って、町内の住民たちが運営する、物々交換形式のリサイクルショップを開いた. この店は、今や、町内の人々の出会いの場所になった. この他に、壁画を描いたり, 路上駐車根絶などの活動も繰り広げた. キムさんは、自身のこういう活動を“住民が直接、自分たちが生きていく生の空間を考えて生活世界の問題を解決していく共同体運動”としながら“まだ出逢いの空間を最大限育てて行く開始段階”だと話した. 


大邱では、市民運動としての位置を占めて 


(写真/大邱では塀取り払い運動が大々的に広がっている. 地域住民学校に参加した会員たちが運動部屋の中で模索している) 

サムドク洞には、まさしく塀を壊しているもう一つの家がある. ナム・チャンス(68)氏の家だ. 外から広々と眺めることができる家の中には、済州島で見られる椰子の樹が田園に植えられている. あちこちに立っている柿の木には熟した実がたくさんなっていた. ナムさんは“塀を壊せば、我家がとなりの住民たちとの間の話の花を咲かせる場になると思って、思い切って塀をなくしました”と話した. キムさんは、後ろの家の塀まで、自分のお金を使って取り払った. 市も約200万ウォンの支援をしてくれた. キムさんは“となりがよく訪ねてきて、笑いが絶え間がなくて, 近所の人たち皆が良いと言ってくれるのがうれしい”と話す. 地域住民 ジョン・マルム(50・与党)さんは“突然、塀を壊し始めたときにはびっくりしましたが、その後、ぽっかりとひらいた空間が気に入りました”としながら、“こういう運動が持続的に推進されば良いですよ”と話した. 

キムさんとナムさんの、このような塀取り払いは、大邱の市民運動へと広まった. 大邱YMCA等、121機関, 団体が参加した‘大邱を愛す運動市民会議’が塀取り払い運動を市民運動として推進していることだ. 大邱市も打って出た. 市民会議と大邱市は、市庁と区役所, 町役場等、行政機関から、まず塀を崩すようにした. これを通じて、汎市民運動に拡散させて行く計画だ. 市はこのために、塀撤去時のゴミを無償で処理する等の多角的な支援対策も用意中である. 

これに助けられて、いままで塀を崩した所は、西区庁, 南区庁, 12町役場, 慶尚官営公園, 国債補償記念公園, 慶尚女商, 慶北大病院, 啓明大 トンサン医療院 等、すでに21ケ所にもなる. 塀を壊すと明らかにした所も、東区庁 等、行政機関 37ケ所, 慶北大病院 等、公共機関 5ケ所であり, 個人的なものでも、計47ケ所に達する. クァク・デフン 大邱市 内務局長は“塀の都市では、真の地方自治や国家発展を成し遂げることができない”としながら、“塀取り払い運動は、新しいイメージの大邱を作ることと、おとなりとの間に分け隔て無く過ごす社会的雰囲気に寄与することだと見ている”と強調した. 


心の障壁も消えている 

(写真/ソウルの住宅街にも、変化の風が吹いている. 塀のあった場所に共同駐車場が入るように考えられた) 



塀を崩した所は、大邱だけでない. ソウル 江北区 スユ5洞 パク・サンギ(58)さんも塀を崩した. パクさんは、おとなりと合意して、塀を壊して駐車場を使用しているケースだ. 一戸建て住宅のパクさんの家と八所帯が暮らす多所帯住宅の間には、初めは人だけが出入りすることができる小さな空間しかなかった. ところが、多所帯住宅に暮らすタクシー運転手が、塀をなくして共同駐車場を作ってみてはどうかと提案した. しかし、この提案は事実上、パクさんの家の壁を壊さないと不可能なのだった. 苦心の末に、パクさんは“皆のために”塀をなくすことにした. 言葉通り、事実上、家の壁を押し倒すことだった. この過程で、一部住民たちの反対もあったが、幸い後で皆同意した. パクさんは“さて、塀を崩すと、となりとの間にあった心の塀まで崩してしまったかのように、あらゆることが良くなった”と話す. 

このように、塀を取り払う作業は、今日も都心のあちらこちらで行われている. 物理的な塀の撤去だけではない. 心の塀をなくして、住民たち自らが近づこうという運動も活発だ. 

ソウル市政開発研究員 ジョン・ソク(38) 博士は、これを‘村作り’運動だと規定する. 村作り運動は、一言で、住民たちの手で暮らす処を育てる運動だ. 住民たち自ら出ていって、日常の生活環境の問題を解決するか改善するために努力する活動の全てを指すというのがジョン・ソク博士の説明だ. こういう動きは、一戸建て住宅街, アパート団地, 商店街等で、アパート共同体運動, 自治運動, 住民運動, アパート市民学校, 緑色アパート作り, 商店街の道の育て方 などの名前で進行している. 住民たちで繰り広げる場合もあるが, 時には、住民と行政機関が共に行うこともある. 市民団体や専門家が住民を助ける場合もある. 

ソウル 東大門区 ヨンドゥ洞 65番地一帯の花路地は、住民たちの自発的な村作り運動の良い事例だ. 古くなった一戸建て住宅五軒が両側に並んで立っているこの路地には、それぞれの家の前に、植物が並んで植えてある. バラ, おしろい花, ライラック, アレキサンドリア, へちま, 藤, 蔦, 蔓バラ, すいかずら, 瓢箪 等、いろいろだ. 冬が迫ったいまは多少さびしくなってきたが、春, 秋には、それこそ都心の中の花畑を成し遂げる. 近隣の住民たちの中には、わざわざ遠まわりして、この路地を通って出勤する人も多いらしい. 

花路地は、数年前, ある日誰かが言い出したというのではなく、住民たちが路地に花鉢をだしたことから始ったという. 花路地 住民 パク・イミ(50)さんは“いくつかの家で花鉢をだしたところ、路地の見栄えがよくなったので、みんな花鉢をだして装い始めて、いつのまにか花路地になったのです”と話した. 村 班長 キム・スク(51)さんは“花路地が外見を整えた後、春にはバラ祝祭, 夏にはすいかパーティー等で、路地中の人々の間で交流しながら、今はもう、家の中のことまで話し合う仲になった程ですよ”と自慢した. 


路地を花畑に… 開発風が障害に 


こういう村作りは順調なばかりではない. ソウル ジョンルン等の一部地域で繰り広げた‘クルマのない路地’運動の場合, ある程度施行されながらも、うやむやにされた所も少なくない. 持続性を整えられなくて、容易に崩れてしまう限界を見せている. 

50坪あまりの断層住宅が日時計型に林立しているソウル ウンピョン区 ジングァンネ洞 漢陽住宅団地. こちらは、開発風が不眠で、共同体的な姿が徐々に亀裂の兆しを見せている所だ. ただし、家々は、まだコンクリートの塀がそれほどない. 代わりに、いらぶき等の各種木材で塀が作られている. あたかも、素朴な田園住宅地域のようだ. こちらは、さる79年、統一路建設当時、撤去民たちの移住定着地として、当初は塀なしで造成された. この木の塀が、住民たちの間をその間はとても近くさせたと一住民は伝えた. しかし、最近になって、塀を作ったり塀を建てるために工事中の所が多くなっている. 開発制限区域(グリンベルト)解除の風が吹きながら現れた現象だと、住民は話した. グリンベルトが解除になれば、再建築をして、ヴィラやアパートを建てるべきだという人々と、このまま暮らそうという人々との対立も生じている. 開発風が、塀のない木塀村の住民たちに心の壁を積むようにし、いつのまにか塀を立てる都市の姿に変貌させているのだ. 


共同生活を渇望する多元化社会 


市庁や区役所等、いわゆる官主導で村作りがなされる所もある. ウンピョン区庁が意欲的に推進した、グサン・ヨクチョン洞の地区交通改善事業が、このようなケースだ. この事業は、幹線道路で区画されたブロック間を歩行権が保障される空間として作って、駐車も秩序をもってすることができるようにしようということだった. 韓国都市研究所 ソ・ジョンギュン研究員は“住民たち自らが始めたことではないために、住民たちの間の利害関係によって、民願がたくさん提起された”としながら“これは、住民たちが、まだ目前の利害だけを追求する行動様式に留まっている限界をよく見せている”と話した. 

市民団体主導で村作りがなされる事例では、‘歩きたい都市作りだけ市民連帯’(都市連帯)などが繰り広げる‘鍾路の育て方’, 仁寺洞の小さな12店を助けよう などがある. 都市連帯は、最近、週末には10万名が訪れる仁寺洞キルから、店を閉めて離れていく零細店を生かすための運動を繰広げている. 都市連帯のチェ・ジョンハン事務総長は“この運動も、大きく見れば、新しい 生の枠組を作る都市共同体運動の一つの試み”と話す. 

それなら、村作り運動は、どんな意味をもつのか. ソウル市政開発研究員 ジョン・ソク博士は“都市共同体運動次元で、多彩に広がる村作り運動は、生活地と人を共に治癒する、最も良い名薬でありうる”と強調した. 村作りを通じて、各自の生活地が病んでいる病気を治癒して、望む姿で生活地を育てていくことができて, 個人化した住民たちがこれを通じて、一緒に生きていく健康な生の方式を体得することになるということだ. 

ジョン博士は、したがって、村作りは ‘生活地の育て方’ですあり‘共同体創設’で,‘人作り’でもあると主張する. 檀国大 社会科学部 ジョ・ミョンレ教授は“個別生活方式から、共同体は都市社会から全く消えたとか、その機能が退色・褪色したと見るのは、誤った考え”としながら、“共同体というものも、技術の発達, 経済方式の発展, 制度の変化に進化する”と話す. ジョ教授は、むしろ、都市の規模が大きくなって、構造が複雑になるほど、都市的生とは、共に生きていくべき当為性を切実に感じるようになると付け加える. ジョ教授は、このためには、都市自治の単位がはるかにより小規模化して、分権化すると主張する. 

村作り運動. たとえ、そのスペクトラムは多様であるけれど、皆‘一緒に生きていく’都市共同体を成し遂げようという、小さな足取りだということは間違いない. 時には一度に花咲いて、時にはあっさりと破れても, この一歩一歩の足取りが続くかぎり、新しい千年のある日, この都市の侘びしい灰色の光が、いつか明るい陽光として再び広まり始めるかもしれない. 

イ・チャンゴン 記者 
goni@hani.co.kr

イム・ウルチュル 記者 
chul@hani.co.kr



ハンギョレ21 1999年 12月 09日 第286号 .



Copyright 1995-1998 ハンギョレ新聞社
webmast@news.hani.co.kr

LiveSpot Information

Scrapbook from
Korea

InternetCafe

Words on the road

LinkCollection

front page

massage board 風窓
掲示板

mail to