映像世代の注目を集めるミュージックビデオ… 感覚的映像に集中 音楽性は後まわしに
(写真/ミュージックビデオがCD市場を変えている. 途方もない製作費を投入して作るミュージックビデオは、過度に映像に集中しているという批判を受けることもある)
‘聞く’ 音楽より ‘見る’音楽を楽しむ映像世代がCD市場の‘巨大市場’としての位置を占め、ミュージックビデオがCD産業の核弾頭として浮上している. 速度感があって、感覚的なカメラワーク, コンピュータ グラフィックスで華麗に装ったミュージックビデオは、これ以上歌手の顔を引き立って見えるように照らす小道具ではない. CD販売高100万枚を作り出す魔術の呪文だ. 昨年、顔のない新人歌手として、ミュージックビデオを通じて120万枚という驚異的な販売記録を打ち立てたチョ・ソンモは、先月出した第2集発売前、既に90万枚の予約注文を誇っていた. これから歌手は、CD製作につぎ込む金額以上のお金をミュージックビデオに注ぎ込んで, ホットな新しいアルバムを広報しようと行き交うマネジャーたちの‘仕事かばん’には、ミュージックビデオ クリップが必需品になった.
CD販売の鍵… 歌手はいなくなり、俳優だけを残す
音楽と映像の組合せという意味で、国内ミュージックビデオの嚆矢は、70年代テレビの歌謡プログラムに求めることができる. しかし、この時の‘作品’は、古宮やカフェで歌手一人が行う表情演技が全部であった. 国内大衆音楽の地図を塗り変えたソ・テジの登場以後、ミュージックビデオもまた、ビデオ水準で一定の完結性を揃えた作品に生まれ変わった. 95年、ケーブルTV音楽チャンネル m・netとKMTVの開局は、ミュージッビデオ時代の開幕を意味した. 1981年、米国の音楽チャンネルMTVが電波を放ち始め、初めてミュージックビデオとして放映した<Video Killed the Radio Star>の時代が国内にも開いたのである.
先月、m・netの集計によれば、95年から99年9月までに登録された歌謡ミュージックビデオは1463編. 95年と96年には1年200編程度にとどまっていたのに比べて、昨年は400編あまりと、著しく増加して、今年は500編以上のミュージックビデオが製作されると予想されている. 一年に1千枚程度あふれ出ている新しいCD中で、ミュージックビデオ製作をしない成人歌謡を除外すれば、大部分の歌手がCD製作と共にミュージックビデオを撮るという話だ.

ミュージックビデオがCD販売の鍵として飛躍する導火線になった‘事件’は、やはり、昨年登場した歌手チョ・ソンモの<トゥ ヘブン>だ. イ・ビョンホン, キム・ハヌル, ホ・ジュンホ 等、見慣れた俳優たちが登場し、一編の映画のように表現した、この作品は音楽チャンネルを通じて爆発的な人気を博しながら、顔も知らない歌手のCDをあっという間に100万枚以上売った. メロディよりイ・ビョンホンの凄絶な顔色で<トゥ ヘブン>と後続曲<不滅の愛>が人々に刻印されながら、ミュージックビデオは、CD企画自体を左右する位置にまで格上げされた. はじめから映像化の下絵を描いておいて、曲が作られた チョ・ソンモ議(模擬) 2家 <悲しい 霊魂式>は 発売 一ケ月万人 現在 180万枚の 販売高を 上げている.
チョ・ソンモの成功は、感覚的な画面の順列・組合せが主をなしていたミュージックビデオ界の流れを完全に変えた. 人気俳優を動員し、一つの完成されたストーリーを見せてくれる、いわゆる‘ドラマタイジング ミュージックビデオ’の洪水がさく烈したのである. 最近になってからは、バラード曲ミュージックビデオ10本中の九つがドラマタイジング構造であって、ダンス曲までドラマタイジングが登場している. 特に、新人歌手の広報は、チョ・ソンモ戦略をそのまま踏襲している. 今年登場したキム・ボムスやジョン・ジェウクを記憶している人はほとんどないが、キム・ソクフン(<約束>)やチェ・ジンシル, チェ・スジョン(<愚かな離別>)が出てくる‘あの’ミュージックビデオは多くの人々が記憶している.
画面スケールが大きいドラマタイジング ミュージックビデオの流行は、ミュージックビデオの製作単価をあっという間に2千万〜3千万ウォンにまでのし上げた. さる11月14日、初めて電波に乗った男性3人組新鋭グループ スカイの<永遠>は、3億ウォンが投入された、いわゆるブロックバスター ミュージックビデオだ. <トゥ ヘブン>のキム・セフン監督がカナダで撮った、この作品はチャ・インピョ, チャン・ドンゴン, キム・ギュリ 等のスター級演技者のみだけでなく、2台のヘリコプターと軽飛行機まで登場する.
この作品 も、歌を歌った歌手のことは全く知られていない.
ドラマタイジング
ミュージックビデオの洪水は、知名度の高い映画監督たちまでミュージックビデオに引き込んだ. <ビート> <太陽はない>のキム・ソンス 監督と、<情事>のイ・ジェヨン監督, <花を下げた男>のファン・インリュイ監督がそうだ. 実力ある映画監督のみだけでなく、CF監督などの参加で、ミュージックビデオの水準が高まったことはよしとしながらも、最近の流れをクールな視線で見る人も少なくない. 大衆音楽評論家 ソン・ギチョル氏は“音楽的完成度より、スターを出演させて見所を提供することに偏重している、最近のドラマタイジング ミュージックビデオの流行は、本末が転倒した現象”と指摘する. ソン氏は、また“あらゆる作品で三角関係と主人公の死が反復される、想像力の貧困と催涙性の粗雑な新派的プロット”だと批判する. 製作単価上昇に現れる‘富益富 貧益貧’現象も、大衆歌謡の平均した発展を阻害する要因として作用している. ミュージックビデオ専門製作業者のMプロダクションのキム・ジョムス代表は、“投資額回収が不透明になる億台に製作費が上昇しながらも、企画社は‘興行保証手形’のつもりで投資を集中している”としながら“企画社の‘野心作’として取り上げられない限り、新人歌手などのCDやミュージックビデオは失敗するしかない”と憂慮する.
千編一律的な構成, 新人は物真似だけ
‘安全度’を探してドラマタイジング ミュージックビデオだけの注文を行なう企画社の軽薄な詳述で、最も深刻に気になる部分は、貧しくて寒々しくなる私たち大衆文化の想像力だ. 映画やTVドラマを要約抜萃するスタイルのミュージックビデオは, 主流映像媒体では試みられないミュージックビデオだけの転覆的な映像文法実験を通じて、むしろ主流媒体に生産的な影響をおよぼしてきたミュージックビデオの非主流的想像力とエネルギーを欠如している. 大衆音楽評論家のソン・ギワン氏は“一貫したナレーティブをかき乱し、新しい映像美学を作りだすミュージックビデオのジャンル的個性を放棄して映画予告篇を真似する現象は, 多様性が欠如した国内音楽ジャンルの現状をあらわすと同時に、それをより一層深刻化させている”と指摘する.
来る11月27日に開かれる‘99 m・net 映像音楽大賞’は、国内で最初に試みられるミュージックビデオに対する総合的評価の場だという面で評価される行事だ. この授賞式が、米国大衆音楽を量的や質的に豊かにした‘MTV ミュージックビデオ アワード’の韓国版であるのか, でなければ、ティーンエージャーの悲鳴に埋められて、近所のお祭りで終わるかを見守らなければならないという話だ.
キム・ユンヒュン記者
dmsgud@hani.co.kr
ハンギョレ21 1999年 11月 25日 第284号 .
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