99年1月244号ハンギョレ21 hangyore2198_11_12fr.jpg (5571 バイト)

文化 . 追憶のスター, 私ではないよ


カムバックの隊列に合流する大衆音楽の巨匠たち… ロック・フォーク音楽に活気を吹き込む

hangyore99_244sanulim.jpg (9238 バイト)(写真/ サヌリムは90年代後半に登場したバンドにも大きな影響を及ぼした.)

97年以後、大衆音楽界の主要な流れのひとつは巨匠たちのカムバックだ.

この流れは、97年初め、シン・ジュンヒョンヘのトリビュートアルバムが出たことで開始した. まもなく、サヌリムの13集であり、カムバックアルバムの<ムジケ>がされ、98年にはドゥルグックァが(に) カムバックしたし, シン・ジュンヒョンのカムバックアルバム <キム・サッカッ>が出された. 事実、シン・ジュンヒョン, サヌリム, ドゥルグックァのカムバックは、96年のソテジ引退の衝撃を相殺しても余る重みと深さがあると言える.

彼らが、99年新春劈頭、大衆音楽界を揺さぶっている. 99年の大衆音楽界で、まず目につくのは、<サヌリムトリビュートアルバム>だ. これまで発表された140余曲の中から22曲を選んで、2枚のCDに収めた. サヌリムの永遠のオープニング曲 <いや すでに>で始まり、<茶碗>で終わる、このアルバムには国内の代表的なロック, フォークの音楽人が網羅された. 参加する音楽人に対する演奏料はなく, このアルバムの収益は、少年少女家長(註:何らかの理由で未成年のうちに家長にならざるをえない子供たち)助け合いに使われる予定だ. <歌謡>アルバムを企画した、キリスト教放送ハン・ヨンギル プロデューサーが企画した.


サヌリムの代表曲を2枚のCDに納めて


(写真/ 国内の代表的なロック・フォークの音楽人が参加して作った <サヌリム トリビュートアルバム>.) hangyore99_244sanulim_album.jpg (6826 バイト)


シナウィ, ユン・ドヒョンバンド, キム・ジョンソ, ムーンチャイルド, ジャウリム, キム・ジャンフン, チェ・ジェフン, ブラックシンドローム, デリ・スパイス, ファン・シネバンド, ディアブロ, 日本のバンド、コプチャンチョンゴルは、ロックを収めた1枚目の盤に登場する. この最初の方の盤に納められた曲は、第1回大学歌謡祭大賞曲の <ナ・オットケ>, <ぼくの心にサテンを敷いて> <カジマオ> <ぼくの心は荒野> <たぶん遅い夏だったね> 等、12曲だ. 個性が抜きんでた演奏者たちが、先から後から互いに‘リメイク’の実力を競う.

70年代パンクの影響の中で生まれたサヌリムは、既に当時、韓国ロックの一頂点を作ったことで評価される. ひょっとすると、彼らの音楽の本質は、当時より、90年代に入ってより理解されているかもしれない. これを証明するように、90年代末に登場したジャウリムやファン・シネバンド、オンネイヴァルグァン等、モダンロックバンドたちはサヌリムに音楽的な負債を負っていると告白している.

2枚目の盤は、フォーク音楽等だ. フォーク傾向を持った、国内音楽人が包括されたといっても言い過ぎでない、良い陣容だ. 全10曲を、イム・ジフン, キム・モッキョン, ピョン・ジンソプ, ハン・ドンジュン, キム・グァンジン, トンムルウォン, ユリサンジャ, ヨヘンスケッチ, イルギイェボ, ジャファサンなどが演奏する. 普通はサヌリムをロックバンドだと記憶するものだが、彼らはフォークの色彩が強い音楽も共に発表した. 特に、キム・チャンワンは、イム・ジフン, トンムルウォンなどと音楽的に緊密な関係を持っている.

昨年、カムバックレコード <キム・サッカッ>を発表したシン・ジュンヒョンは、昨年末、バンド キム・サッカッを構成して本格活動を準備している. ソウル松坡区文井洞のスタジオ ウッドストックで猛練習中の彼らは、秋に全国ツアーに出て, ライブアルバムとCDROMも出す計画を持っている. また永い間書き続けてきた、30分の大曲<君と私の歌>も、300余名の音楽人と共に公演する計画を推進中だ.


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(写真/ ドゥルグックァは昨年カムバック公演を成功裏に終えて、新しいレコーディング作業に没頭している.)



 

韓国的ロック完成のためのシン・ジュンヒョンの挑戦


バンド‘キム・サッカッ’は、さる83年、イ・ナミ, ムン・ヨンペと共に組んだバンド‘三旅人’以後、16年ぶりに結成したのである. ここに参加した彼らは、主にアンダーグラウンドで活動したキム・ソンス(ベース), チェ・ギョンヒ(ギター)、ユ・サンウォン(ドラム), チェ・スギョン(キーボード)だ. シン・ジュンヒョンは“朴正煕 軍事政府に強制的に奪われた音楽をとりもどして、いまや正しく聞かせてあげることができるようだ”という所感を表明した. 彼は1962年、韓国最初のロックバンド ‘THE ADD4’を組織して最初のロック音楽の <雨の中の女>を発表した. 40余年が流れるようにバンド活動を続ける、まさに真のロック精神を見せると評価される.

彼が今後演奏する音楽は、主に昨年 <キム・サッカッ>アルバムに収めた曲が中心になると発表された. 彼は“70年代、大麻事件で私が活動を禁止されて韓国ロック音楽の脈が切れた”としながら、“80年代以後、粘り強く試みてきた韓国的ロック音楽の完成に余生を捧げる”と口癖のように話してきた. 具体的には、伝統的な3拍子や5音階を使用した音楽の実験で表れるものと見られる. しかし、不幸にも、この疲れることがない巨匠の活動を難しくするものは、彼の音楽では取り去られた商業的要素だ.

昨年、公演を通じて成功的にカムバックしたドゥルグックァは、現在、新しいレコーディング作業に没頭している. たった二枚の正規アルバムと二枚のライブアルバムで不朽の名声を得た彼らの3番目のアルバムだ. 全10曲が収録されるのだが, 現在、編曲と歌詞作業中で、2月から録音に入っていく. チェ・ソンウォンは、このアルバムの特徴として“伝統的なドゥルグックァの色合いを土台に、破格的なスタイルと韓国的なリズム・メロディ, そして年輪を込めた”と説明した. 曲はジョン・インクォン, チェ・ソンウォン, チュ・チャンクォンが主に書いた.

ドゥルグックァはまだどのレコード社とも新しいアルバム契約をしていなかった. 10年間活動を中止した彼らの音楽がどうなのか、彼ら自身やレコード会社も予想するのが難しいためだ. ドゥルグックァは過去の名声でではなく、顯在的な音楽性と市場性で勝負すると明らかにしている. “昨年、数回の公演を通じて感じたことは、ドゥルグックァ以後‘バンドがなかった’ということだ. 傲慢に話しているわけではなく、本当にドゥルグックァを超えるビッグなバンドが出てくることを願う. 私たちのカムバックには、明確にそのような意味が隠れている.”


ドゥルグックァ, 全国33都市ツアー計画


彼らは、アルバムが発表されるとソウルで1回大公演を行った後、1年間全国33都市で巡演を繰り広げる計画だ. 恐らく、韓国大衆音楽史上最多都市巡演のひとつになるものと見られる. ドゥルグックァは“これは大衆音楽市場に対する一挑戦”であり“地方公演文化に活を入れようという意欲”と説明した.

主流大衆音楽界では、ダンスグループの H.O.Tとチェクスキスの二大体制が何年か続いている. ソテジの新しいアルバムはほとんどハプニングで終わって, 同時代主流の王子だったシン・スンフンとキム・ゴンモは、いまだに昨年の脱税波紋の後遺症から抜け出すことができなかった. 非主流の主要ジャンルのロックとフォークは昨年から支離滅裂状態だ. 往年の帝王であるシン・ジュンヒョン, サヌリム, ドゥルグックァの活躍が期待されるのは こういう理由からだ.


キム・ギュウォン 記者
gim@mail.hani.co.kr


ハンギョレ21 1999年 02月 04日 第244号 .

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