[2014.01.27 第996号]
放射能に敏感な組合員たちの反発で、論議沸騰の末に開いた‘福島現地 活動家招請講演会’をめぐって権利だけを主張する人々の暴力
2011年3月11日、日本 福島の原子力発電所事故は、耐えらない災難を意識しながら暮らさせて,
多くの人々がこの事故を契機に‘脱原発運動’に関心を持つようになった.
さらに、福島から飛んでくる放射性物質, 海流に流れ出る放射性物質, きのこや魚で検出され始めた放射能,
あちらこちらから流れ出る情報は運動よりは市民の不安感を刺激し続けた.
“放射能汚染された物を何故入れるのか”
そのような不安感に揺れたなかで福島県に行ってきたカン・ネヨン氏から、その住民たちの消息に接した.
彼が撮ってきた写真の中で私を驚かせたのは、福島の以前の美しい姿や、放射能に汚染された土地を除染して山積みされた黒いビニールバッグ,
空っぽの都市ではなかった.
誰も住まないだろうと感じていたそこに、今でも暮らしている人々だった.
いや, その死の土地で何故まだ? いったい何を考えて?
それで会ってみたかった.
去る1月9〜11日、ソウル, 大田, 釜山, 慶尚南道蜜陽で進行された‘福島現地 活動家招請講演会’を準備した理由は単純だった.
いったいどういう考えで、まだそちらで暮らしているのかを聞いてみたかった.
そして、彼らに学んでみたかった.
どのように、そのような状況でもまた村を建て直すと考えるようになったのか.
いつ橋が落ちて、デパートと地下鉄が崩れるのかわからず,
いつ原子力発電所で事故が炸裂するかもしれない危険な韓国で、未来を夢見る方法を学んでみたかった.
カン・ネヨン氏を中心として、脱原発と福島に関心を持った団体を集め始めて, いろいろな生活協同組合連合会など、14団体が共に行事を準備した.
ところが、講演会を僅か五日前にした1月4日に紛争が起こった.
講演会を知らせようと作ったウェブページに連絡先を残した方達に抗議の電話が来始めたのである.
講演会参加費を受けとらない代わりに、関心のある人が福島地域で製作・販売される人形とTシャツを買えるようにするという,
生協のホームページに掲載された告知文のためだった.
ところが、抗議の電話をかけたりインターネットにコメントを掲げたのは、放射能に目をつぶって核発電を支持する保守団体ではなかった.
2008年、米国産牛肉輸入を反対するろうそくのあかり集会で出会った‘82クック’と放射能から子供たちと未来を守ろうという‘チャイルド セーブ’,
進歩的なサイトとして知られた‘今日のユーモア’のような所だった.
いったい何をの考えて放射能に汚染された物を入れるかという批判が始まり、担当者たちの電話番号を共有して集中的に連絡しようという動きが上がってきたのか.
生協の物品を信頼出来ないから組合を脱退するという話から, 準備する人々を親日派だと皮肉るコメントまで、多様な言動が走って抗議の電話がきた.
物品を販売しようということではなく、そちらの住民たちの共同体に関心を持って共に連帯する方法を探すのだと説明しても効果がなかった.
販売も展示もできなくなり, やがて、講演会自体を取消せという意見が激しくなった.
講演会の趣旨を支持する意見や趣旨は良いけれど、物品を入れるのは自制しなければならないという意見もすこし上がってきたが、まもなく非難のコメントに埋もれた.
“日本人たちは心配ではなく、そのようなことをするよりは、蜜陽や江亭に神経を使えと一喝したいですね”というコメントは いらいらさせた.
結局、物品展示は取消したまま講演会は進行されて, 多くの市民が講演会に参加した.
ソウル, 大田, 釜山, 蜜陽など、いろいろな地域で多くの市民が参加した.
批判・非難したり抗議電話をかけた人々が講演会に来たのかはわからないが、その方たちが来て話を聞いたことを願う.
自分はそこにいないということで安心
講演会はうまく終わったが、今回の事態を経ながら、2008年のろうそくのあかり集会を,
そして以後、ろうそくのあかりの‘進化’と描写した多様な話を浮上させた.
一つの事件で全体の流れを評価するのは愚かなことだが, 今回の事態で進歩と呼ばれた流れ中に潜在した亀裂が表れたと考える.
講演会を反対した彼らは、情報に敏感でそれを扱うことができる人々であったし、自分の主張を明らかに伝達することができる人々だった.
ところが、彼らの主張はいつまでも‘自分’にとどまった.
私の不安をこれ以上刺激するなと要求し、他人の生をながめようとすることはなかった.
そのような点で、講演者として来た島村守彦の‘心の病気’という話が、いつまでも頭をぐるぐる回る.
あらゆる問題を福島の問題として返してしまい、自分はそこにはいないということでわたしたちは安心する.
ところが、これらすべてのことは福島のことだと, 境界を建てて壁を建てるわたしたちは誰か.
何故、日本の放射能に対する恐怖は韓国にある原子力発電所と新規原子力発電所建設を防ぐ力に深化しないか.
‘安全’に対する恐怖が話を遮る時, 科学で検証出来ない恐怖が科学として測定できない生を排除する時、これをどのように受け入れなければならないか?
親日派という非難のように、‘安全’は 安保’に転換にされて市民の連帯を遮る時、これをどうするのか.
放射能に無関心な人たちの傍観も問題だが、非常に敏感な人々の恐怖と回避も怖いという点を今回の講演会を通して学んだ.
どうして村のまん中に送電塔を建てるのか
2008年以後、食べ物に対する不安感ゆえに生協に組合員として加入した人が多い(2008年以後、生協の組合員数は50%以上増えた).
それとともに、消費者として敏感な意識を持った人が生協で増えた.
ところが、‘消費者主権’と協同組合運動の‘組合員主権’は連結するが、異なる概念だ.
協同組合は消費者ではなく、生産と消費を関連して考える組合員が主権を持つ.
抗議電話をかけた多くの人々は自身を生協組合員だと明かして、組合員が反対するからと行事を取りやめろと要求した.
しかしながら、主権は‘私の主権’だけがあるのではなく、‘あなたの主権’‘他者の主権’, などの多様な主権を通して実現される.
他者のない主権はないのに, 組合員たちはある瞬間に個別化された消費者として権利を主張した.
これをどうするのか.
自身の権利に無関心な人も問題だが、自分の権利だけを主張する人々の暴力がどれくらい怖いかを今回の機会に学んだ.
日本の活動家たちは、韓国の状況にものすごく驚いていた.
放射能にそのように敏感な人々がどうして あんな原子力発電所をそのまま置いているのか.
どうして市民が暮らす都心に核燃料工場を建てるのか.
どうして村のまん中に送電塔を建てるのかと.
有難いことに、彼らは日本で戻り連帯すると話した.
彼らは日本が韓国よりも安全なようだと考えて戻ったかもしれない.
今回の講演会を通し、蜜陽の住民たちに重要な点を学んだ.
何故、わたしたちは‘福島と蜜陽の出逢い’と名前を付けられなくて‘福島現地 活動家 招請講演会’と名前をつけたのだろうか.
何故、わたしたちは聞きたい質問だけを投げて、彼らが私たちに聞きたい質問に答えられなかったか.
ある誰かはまた心配して非難するけれど、互いの手を結ぼうとする試みは続くはずだ.
カン・スンウ 協同組合 組合員 |