2013年2月ハンギョレ21 949号

デジタル水没民の涙 “私たちの追憶をどこに”

[2013.02.25 第949号] [企画]

昨年末 ヤフーコリア, 1月31日 ナウヌリ, 2月18日 フリーチェル 等、インターネットサービス終了… 利用者たち, ‘水没’前に掲示物と資料などを移そうと奮闘

□ キム・ソンファン

“1995年4月28日は、歴史が短い韓国パソコン通信史に道が記憶されるだけのことはある日だ.
その日、午前に発生した大邱地下鉄ガス爆発大惨事を最も迅速で正確に, そして弛まなく報道した媒体は、その強大だという新聞でも放送でもない.
まさにパソコン通信だった.
18年前, パソコン通信は変化の象徴だった.
視空間の制約無しにモデム電話線で多様な情報を共有できるようになったおかげだった.
当時、記事には国内4大パソコン通信サービスに登録された同好会が数万620余りに達するという内容も出てくる.
同好会が作った新しい人間関係が討論の時代を開いてくれたわけだ.


“私達が直接引き受けて運営する”

パソコン通信がなじみがうすい‘追憶のアイコン’に転落した契機は、1990年代後半の超高速インターネットの登場だ.
‘パソコン通信三国志’時代を率いたハイテル・千里眼・ナウヌリも、ポータルサイトへの変身を試みなければならなかった.
しかし、ネイバー、ダウムなどとの競争に押されて徐々に下り坂を歩いた.
ハイテルは2004年にパランドットコム(paran.com)に吸収されたが, パランドットコムさえ、昨年7月にその門を閉めた.
小規模ポータルサイトとして電子メール・コミュニティサービスなどを運営してきたナウヌリ(nounuri.net)も、去る1月31日を最後にあらゆるサービスを終わらせた.
千里眼(chol.com)だけが唯一命脈を維持している状態だ.
歳月の浮沈によってパソコン通信‘3大天皇’はそのようにして消えていくようだった.

しかし、最近、パソコン通信時代の追憶を守る運動がおきた.
まさに、‘ナウヌリ救助運動’だ.
その中心には、ナウヌリ利用者であるイム・ウォンテク(50)氏がいる.
ナウヌリのストの消息を聞いた彼は、昨年12月8日‘ナウヌリ救助’(cafe.naver.com/nownurinet)というインターネットカフェを作った.
はじめはナウヌリのサーバーに積まれているパソコン通信時期からの同好会掲示板資料などを守ろうと集まった者が大部分だった. いままでで160人以上が集まった.
意義を共にする彼らが増えると、利用者たちがナウヌリを直接引き受けて運営することができるという考えに達するようになった.

本格的な活動はイム氏が去る1月25日、ソウル南部地方法院にナウヌリ運営業者であるナウSNTを相手に‘サービス利用終了禁止仮処分申請’を出て始めた.
彼は、サービス利用終了禁止仮処分申込書に、“1996年頃から目録サービスを利用したし、(同好会)掲示板に固定コラムをはじめとする多数の文を旺盛に掲載してきた.
しかし、こういう著作物はナウヌリの突然のサービス終了で全て消える危険に瀕した”と書いた.
彼はまた、“使用料金を延滞したこともないし、情報通信事業法上の天災地変などのようなことがおきなかったため、事業者がサービスを中止する何らの理由がない.
ナウヌリがサービス終了を公示した1-2ケ月は著作物を他に移すには足りない時間だ”と、サービス終了を撤回してくれと要求した.
イム氏は、“他の多くのナウヌリ会員たちも出資してでもナウヌリサービスが持続することを切実に願っている”としながら引受の意思を表明した.
裁判部の仲裁で、ナウSNTは現在掲示物などの資料を廃棄しないまま保管している.


利用者を保護する法的根拠稀薄


≫ 去る1月31日、門を閉めたナウヌリ ホームの最初の画面(上)と、2月18日にサービス終了を知らせるフリーチェル ホームの最初の画面.

ナウヌリの事例のように、ポータルサービスが門を閉めて利用者たちが積み重ねたインターネット掲示物などの資料が消える危機に瀕する事例が最近増えている.
スマートフォンなどの大衆化でインターネット生態系が変わって、いわゆる‘第1世代インターネットサイト’が経営難の列を成して門を閉めることが頻繁になったせいだ.
パランドットコムは、かつては5大演芸ニュース媒体と独占契約をする等、影響力を拡大した時期があった.
しかし、収益性が落ちて結局門を閉めた.
昨年12月31日にサービスを中断したヤフーコリアの事例はより衝撃的だった.
1990年代末、インターネットに入門した彼らが初めて無料電子メールサービスで盛んに利用した所がヤフーコリアであった.
ヤフーコリアは事業を撤収して1ケ月の期間をおいて個人情報の海外移転同意を求めない利用者の電子メール添付ファイルとブログ資料などを一括的に削除し、“資料を整理するには時間があまりにも短い”という怨声を聞くこともした.

ポータルサイトの閉鎖で個人資料を失う利用者を‘デジタル水没民’と呼ぶに値する.
村が水に浸る前、あたふたと荷をまとめたりあきらめるべき状況が水没民と違わないからだ.
現行の法体系ではデジタル水没民を保護するだけの根拠がない.
大部分のポータルサイトは‘利用約款’などでサービス終了の30〜60日前に個人掲示物削除を通報すると定めているだけだ.
電子メール・ブログなどが大部分無料サービスであるため、具体的な契約期間なども定めていない.
しかし、膨大な資料を1・2 月で整理することは容易ではない.
デジタル水没民の慌しい‘荷造り’風景はフリーチェル(freechal.com)でも見つけることができる.
2月18日深夜12時にサービスを終了するフリーチェルは、2000年代初期にコミュニティサイトとして大人気を呼んだ.
ソーシャルネットワークサービス(SNS)などでは今回のサービス終了を‘フリーチェル滅亡’と表現することも.
2000年代中盤、サイワールド(註:サイバーワールド)の競争で押されて、有料化で新しい活路をさがそうとしていた フリーチェルは、2011年に破産を宣言してウェブハードに引き渡した.
しかし、相変らず収益を出すことができなくて事業をたたむことになった.
大学で学士助教として勤めているベク・チャンヒョン(33)氏は、以前フリーチェル閉鎖の消息を聞いて、一歩遅れて13年前に作った美術学院の先生と学生間の親睦の集いコミュニティの内容を移している.
彼は、“いまは亡くなった先生との追憶がある場所と掲示物一つ一つが会員の皆に意味が深い”としながら“このコミュニティでなくとも重要な所がいくつかあるのに、業者が提供するバックアッププログラムも無しに1ケ月中で全ての資料を移すには時間があまりにも短い”と話した.
フリーチェルはもっとも大きい, 学院講師 ペ・アムゲ(41)氏の事務室で運営するTOEIC情報共有コミュニティの状況も違わない.
12年間運営してきたこのコミュニティは、会員数だけで3万6千名を超える.
ペ氏の事務室関係者は“2年前、フリーチェルが破産する時、既に資料をネイバーカフェに移したので大きな被害があるわけではないけれど, 数多くの会員たちが共有した英語学習後記など、有形・無形の資料がそっくり失われることになって遣る瀬ない”と話した.
コミュニティに上がってきている掲示物をいちいち当事者に同意を求めて他の所に移すのは大変で、事実上そっくり捨てることになるという.


代わりに移してくれるサービスも登場

フリーチェル滅亡が迫ると、コミュニティ資料を代わりに移してくれるサービスまで登場した.
コンピュータプログラミングを専攻している大学生 パク・ジス(27)氏は、自身の大学サークルコミュニティ資料を整理して作ったプログラムで、さる2月11日からツイッターなどのSNSで申請を受けてフリーチェルのコミュニティ掲示物・写真などをバックアップする作業を代行してくれている.
掲示物1万個, 写真・貼付ファイル1千個以下を基準に10万ウォンで、超過すれば追加費用を受ける.
パク氏は“超過学期登録金を用意しようと始めたのですが, 現在までにコミュニティ10ケ所の資料を移しました”としながら“残りは余力がなくて、プログラムのソースをインターネットに公開して、他の人も利用できるようにした状態”と話した.
今でもフリーチェルでは見えない荷作りが昼夜を問わずに真っさかりだ.
今は、ぜひ自分のブログの荷作りしなくていいことを, 自分のインターネットカフェが撤去されることがないことを祈るべき時代だ.

キム・ソンファン記者 hwany@hani.co.kr

 


“ナウヌリに借金を返すために”訴訟に出たイム・ウォンテク氏

ナウヌリ利用終了禁止仮処分申請を出したイム・ウォンテク(50・写真)氏は、自身を“ナウヌリに借金をたくさんした人”と紹介した.
京畿道 議政府で農業法人会社を運営している彼は、一時国税庁公務員として仕事をした.
政府の弾圧が激しかった1990年前、国公務員労働組合準備委員会を作って公務員を辞めた.
彼は、“当時、ナウヌリ経営陣の協調のおかげで政府の弾圧を避けてパソコン通信で会員をたくさん募集できた”という.
その後には、ナウヌリの著述支援を受けて、パソコン通信に上げた文を収めた本を出し, その印税を集めて韓国納税者連盟(koreatax.org)という市民団体も建てた.
彼は、“今は私が、状態が難しくなったナウヌリを救う時”とし、“ナウヌリは敢えて門を閉める必要がない”と自身が乗り出した理由を説明した.

仮処分申請を出した理由はなにか.
利用者たちがナウヌリを継続運営するためだ.
会社を整理中であるナウSNTと連絡がよくつかなくて、不回避に仮処分申請をまず出した.
まず、インターネットカフェに集まった利用者中の10余名が‘才能寄付’形式でナウヌリ運営を助けることにした.
大部分が専門家水準で、運営に難しさがないようだ.
既存資料を維持する水準で運営するということなのか.
それは違う.
パソコン通信とインターネットの強力な点を合わせた新しい空間を作りたいのだ.
パソコン通信の時期、ナウヌリは経営陣と利用者が酒の席を共にする程に紐帯関係があった.
無差別的にあらゆる情報が公開されるポータルサイトとは違い, 私生活の保護から疎外された彼らの身辺保護もできる、密な通信文化を作りたい.

資金力等、利用者たちが引き受ける余力があるか.
一般的な企業売却では、残存価値, 売却価値を正す.
ところが、ナウヌリは売るよりは廃業をするとまず宣言したために、多量の金がなくても十分に引き受けることができる. ナウSNT側も肯定的に検討している.
引き受ければ利用者たちの共同経営システムを導入して、現在の職員も雇用を継承することになるだろう.
収益が出れば利用者に全て返す方式で運営するはずだ.
国民主企業形態と見ればいい.
既存言論では書けない記事を上げることができる、表現の自由が保障された空間として発展することができる.
今後残った法的手順としては何があるだろうか.
3月20日に2次弁論が控えている.
裁判府は、可能ならばその前に当事者間で引受交渉を終えろという.
これまで社会的影響力をおよぼしてきたナウヌリは、事実上‘公共財’だと考える.
私にとって、ナウヌリは故郷のような存在だ.
皆になければならなくて, 永遠に渇急な空間であるためだ.
まだ決まってはいないけれど、ナウヌリをつくりあげるアイデアは無窮無盡だ.