2013年2月ハンギョレ21 947号

日本の今年は2013年ではない?

[2013.02.04 第947号]

[クォン・ヒョクテのもう一つの日本]
西暦2013年と共に昭和25年を公的用語として使う日本, “外部との関係を妄覚させる” 元号が呼び起こした時代錯誤


(1) a25=b2013=c2673 (2) d25=b1950= c2610 この式で a, b, c, dの値は? 連立方程式も, ナンセンスクイズでもないこの正体不明の等式を解くことができる人は、天才的な数学者でもなく想像力が豊富な人でもない.
日本通だとか日本‘オタク’だ.
答はこうだ.
aは平成, bは西暦, cは皇紀, dは昭和だ.
すなわち、平成25年は西暦2013年で、皇紀2673年であり, 昭和25年は西暦1950年で、皇紀2610年だ.
皇紀は神話中の人物である神武天皇以来の年度を意味するのだが、ほとんど使われないから論外としよう.
だが、平成・昭和のような元号(すこし意味は違うけれど、年号と理解しても良い)は、過去の歴史的一時期を飾るのとは違い、今でも公的用語として使われている.


敗戦後に消え、1979年復活

元号は、元来憲法と同じ効力を持った過去の‘皇室典範’(1889年)に規定されたが、敗戦後効力がなくなった.
ところが、1979年、多くの反対をはね除けて‘元号法’が制定されて、また法的根拠を持つようになった.
元号法は、“元号は政令に定める, そして、皇位の継承がある時だけ元号を変える”という非常に簡単な規定にすぎない.
あらゆる公文書に元号を表記しなければならない義務もなく、これを破った時の処罰規定もなかった.
政府も強制規定ではないことを明らかにした.
だが、1999年に制定された‘国旗・国家法’は、この元号法制定によってすべての公文書に元号使用が義務化されて、これを反すれば他の規定を適用した処罰が続くとした.

理解を助けようとするなら, 今元号は天皇が変わってこそ変わる.
これを日本では一世一元というのだが, 一つの時代はそのまま一つの元号であり、全てのものの‘土台’という意味が含まれている.
それなら、元号は空間だけでなく時間を治めて支配するという話だ.
明治維新以前には天皇が変わらなくても元号が変わる場合があった.
これを明治維新以後に一世一元として変え, 前近代の文化的象徴である天皇を呼び出して、近代国民国家の‘核’として定めるためだった.


20世紀が終わっても平成時代は続く

事実、日本の本を読んだりこれをハングルに移す時にぶつかる難しさは一つや二つではないが, そのうちでも最も頭痛を感じるのが、まさに日本の年度表記をどのように移すかだ.
近・現代だけ見ても, 明治・大正・昭和・平成につながる元号は、これに習熟しない人々にとっては非常に煩わしいことだ.
インターネットを見ると、元号を西暦に変えるプログラムがある程であるから、日本に暮らす人々にとってもなかなか不便なことでもなくはないようだ.
もちろん、やさしい方法がないわけではない.
例を上げれば、明治元年は1868年, 大正元年は1912年, 昭和元年は1926年, 平成元年は1989年であるから、これを西暦として変える時は、明治年度には1867を, 大正年度には1911を, 昭和年度には1925を, 平成年度には1988をそれぞれ足せばよい.

だが、どれくらい面倒か? より頭が痛いことは、時代区分を元号として使う場合だ.
例を上げれば、‘明治20年代’がどうだとか、‘昭和40年代’がどうだとか、このような方法で時代的背景を元号として表記してしまえば、これを特にハングルに移すことはほとんど不可能に近い.
なぜなら、明治20年代は1887年から1896年で、昭和40年代は1965年から1974年であるから、これをどのように移せるだろうか! だが、面倒という程度ならば文化像の次元で知らないふりをしてやり過ごすことができる.

しかし、これが単純に数字を移す問題だけでないことはすぐに分かる.
過去に日本のある大学で教授として仕事をしていた時に体験したことだ.
国立大学では(実は、私立大学も別段違わないけれど), あらゆる公文書は元号表記が義務化されていた.
今でも同じだ.
例を上げれば、生年月日を記載する欄に明治・大正・昭和のうちのひとつに丸をつけて、それから月日を書くようにされていた.
筆者の場合, 1959年生まれであるから昭和として正せば34年だ.
それで昭和に丸をつけて34年を書き入れなければならなかった.
‘外国人’といっても例外がないうえに、名分が教育公務員という身分であるから、書類を作成する時は常に当惑を感じた.
ローマに行けばローマ法に従えという言葉があるが, 天皇制と直接つながる元号を私が積極的に使用することは出来ない相談だった.
窮余の策として、昭和に付箋紙を貼って1959年と書き入れる‘小さな抵抗’をした.
大学院の時期に会ったある日本人の先生をまねしたのである.
私が作成した1959年と直して書いた書類を事務職員はたぶんまた昭和34年と直したことだろう.
面倒を事務職員に押し付けたわけだ.
その後、事務職員が何も言わなかったので, たぶん私のように‘小さな抵抗’をする教授が少なくなかったという推測をしてみるだけだ.

昭和34年と1959年.
同じ時間だ.
だが、同じ時間の異なる表記という単純な問題ではない.
時間と時代をなにが支配するのかという問題だ.


13歳になっても西暦を知らなかった学者

例を紐解こう.
1899年は19世紀が幕を下ろす時だが, 明治32年は続いて明治時代中にある.
1989年は冷戦が解体になる時期だが, ヒロヒトの死として昭和が終わった時期だ.
1999年は20世紀が終わる時だが, 平成11年は今でも続く平成時代だ.
また、1968年といえば世界的な反乱の年として記憶される.
それで‘68革命’という言葉が生まれた.
日本でも‘全共闘’と呼ばれる学生運動が全盛期を迎えて、東京大学の安田講堂占拠座り込み事態まで起きた年だ.
東京大学入試が中止になったから、韓国式に言うと、東京大学には68学番がない.
韓国で学番は、エリート主義や序列化の側面もあるけれど, 学番だけを聞いてその学生がどんな時代を生きたのか思い起こさせる一種の記号でもある.
それで、数字は時代なのだ.
ところが、昭和43年といえば意味ががらりと変わる.
特に、その年は‘明治100年’に該当する.
もちろん、西暦がそれ自体として抵抗や革命を, 元号がそれ自体として天皇制国家との親和性をあらわすのではないとしても, 元号を通して時代を思い起こす人は、その年を明治100年の年として, 西暦を通して時代を思い起こす人は革命の可能性があった年として記憶する.

日本の有名な社会学者であり平和運動家(後に核武装論者へと転向)だった清水幾太郎(1907〜88)は、1907年生であるが, 彼は1951年に書いた文で、“20世紀初頭に生まれたこと”を誇りとして感じたと話したことが ある.
理由は、ピカソの<アビニオンの娘たち>という絵が1907年に描かれたためだ.
そして、20世紀初めにピカソのような西洋の‘天才’たちによって開始された‘精神的冒険’は、現代思想の出発点という.
その‘天才’たちの冒険と何ら関係ない東洋の端で生まれた自身が、この冒険を自身のこととして受け入れることによって、はじめて20世紀という時代感覚を獲得することになったともいう.
彼は明確に20世紀という時代感覚の伝播者であった.
戦争が終わった1946年に、‘20世紀研究所’を作った程だ.
だが、彼が自身が生まれた1907年を20世紀初めとして認識したのは後日のことだ.
なぜなら、彼は13歳になった1919年まで西暦の存在を知らず, それでずっと明治40年生まれとして生きた.
すなわち、元号が支配する時代に, そして、その元号が支配する価値の中に生きたわけだ.
彼は1980年に書いた<日本よ、国家になれ!>という日本の核武装を主張する本で、1980年を‘昭和55年 敗戦記念日’だと書いている.
西暦を, 現代思想を, 20世紀を捨てて、また元号へと戻ったわけだ.
元号と西暦間の往復運動は、彼の思想的遍歴と共に彼が生きた日本近・現代の思想的‘歪み’を見せた.

元号使用が時代錯誤的だという元号反対陣営の主張はもっともだ.
情報化とか国際化とかという時代にはより一層そうだ.
しかも、天皇制と結びついている.
このために、少なくとも日本では元号と西暦は、それ自体として保守と革新の別名だ.
日本の新聞は概して西暦を使い、括弧の中に元号を書いたり、その反対もある.
併記で妥協ではない妥協だ.
だが、元号使用は技術的な問題ではない.
柄谷行人は2004年に書いた本で、1975年に米国エール大学で講義した時, 日本の近代文学が成立したという明治20年代と明治30年代が19世紀末だったということを考えてみたことがなかったと告白する.
それで、元号がどれくらい‘外部との関係を妄覚させるか’と考えるようになることと共に、スラヴォイ・ジジェクの言う‘時差’(Parallax View)に今でもしばられていることを告白する.
だが、彼は明治・大正・昭和に出てくるイメージが必ず天皇の生存期間に対応するのではなく, むしろ特定時代の歴史的構造と叙事を反映しているので、元号を廃棄することは日本固有の談論空間と時代区分を失うことだと話す.
しかも、西暦が数字を時間順によって羅列したように見えても、その中にはキリスト教的叙事などと同じ特定地域の価値と指向点が含まれているとも言う.
それで、柄谷は文で元号と西暦を分けて書くようだ.


鉄甲に囲まれている日本

英国ロンドン留学から帰ってきた夏目漱石(1867〜1916)は、明治国家は城郭を石を積んで作った急ごしらえの国家であるから、このままならばまもなく亡びるだろうと言った.
そして、医師でありまた軍人で作家でもあった森鴎外(1862〜1922)は、余生に<元号考>を書いた.
明治と大正という元号が、各々中国とベトナムのものだという理由であった.
それで、西暦に元号を対立させるものの、中国に由来した元号を中国と分離させ、日本固有のものとみなそうとした.
日本という国家の城郭を丈夫な鉄甲として作り変えることだ.
敢えて飛躍するなら, 今の日本は森鴎外が作った鉄甲に囲まれている.
時代は西暦として走って行くのに、政治は元号として廻っているわけだ.
韓国の今年は2013年だ.
米国も2013年だ.
もちろん、韓国と米国の2013年は同じながらも違う.
ところが、日本は2013年であり、また、平成25年だ.


聖公会大 日本学科 教授