[2012.04.02 第904号] [イ・チャングンの解雇日記]
労働弾圧・構造調整過程に資本の‘マルム(註:地主に委任されて小作人を取り仕切る人)’の役割をする中間管理者…彼らに不当な命令を拒否する法的権利を与えるべきだ.
以前、東国大学生達に偶然の機会に会ったことがある.
教育を商品化する学科構造調整に反対して総長室占拠闘争をした彼らの初印象は善良でかわいらしく見えた.
そんな学生達が総長室占拠闘争をしたというから、ちょっといぶかしく感じた程だった.
学生達に会った理由は、総長室占拠の過程で学校職員からの無数な暴言と暴力を体験して深刻なトラウマをもったためだ.
ジョン・ヘシン神経精神科医が彼らを心理治癒し, 私と双龍自動車労働者何名かの治療 過程を参観した.
初めは、学生達は慎ましいからなのか話を堂々巡りさせた.
間もなく、自身の内心を取り出して吐き出し、顔は歪みを反復して, 手と足は不安定に震えた.
あの憤怒と不安の震えを持ちながらも、いままで平然なふりをしていたのだ…, 双龍自動車労働者のように.
暴力を薦める社会の暴力的公権力
学生達は教職員に対する憤怒が押し寄せるというが、一方では理解できるという二つの気持ちを話した.
“教職員たちもみな生きていかなければならないから、そうしたのではないだろうか”という言葉には十分に共感しながらも疑問が生まれた.
なぜ、いつも被害者だけが加害者を理解しようとするのだろうか.
そのように考えることが気を楽にするためなのか.
圧倒的な暴力を経験した彼らの共通点だ.
双龍自動車解雇者たちも、話を理解しながらも感情が高ぶった.
加害者は被害者のこのような気持ちに気がつくこともできないのに, いや、彼らの苦痛に注目さえ与えないのに、という話だ.
日帝強制占領期間に、地主が農場や小作地を管理した人を‘マルム’という.
労働現場でもよく使われる用語であるマルムは、中間管理者あるいは経営陣の忠犬の役割をする人を俗称する.
このマルムたちが次第に凶暴に変わったが、最近度を越した.
高圧的な態度は基本であり、暴力と弾圧のための手段を研究するまでに至った.
資本の忠犬として財閥の倉庫を守るこのマルムを、わたしたちはどのようにしなければならないだろうか.
自身の生活のために労働者を弾圧せざるをえないと, 止むを得ない位置でだけ理解するなら、弱々しい声であるだけだ.
‘今に罰が当たるぞ’という呪いを浴びせても、彼らの心臓には届かない.
彼らは何故兇暴になる道を先を争って開拓するのか.
ジョン・ヘシン先生は、これに関して“弾圧の当事者がそれを自分の信念として催眠をかけないと耐えることができないため”と話す.
それなら 彼らは何故この催眠に自らをかけるのか.
彼らも破片化になる新自由主義の被害者というだけなのか.
これでは説明が不足だ.
彼らが兇暴になるのは、社会全般にわたる暴力の影が満ちあふれているためだ.
その開始が誰によってどのように作られたのかが重要だ.
‘国家公権力’は、暴力の種を社会のあちらこちらに蒔いて加速化する.
警察庁は最近3年間の模範捜査事例を発表して、2009年の双龍自動車(註:労働争議)鎮圧を優秀事例として選定した.
労働者21人が死んで1万余名の家族に苦痛と怨念の膿として残った双龍自動車鎮圧を優秀事例として称賛したのである.
この資料が一線警察官たちに対するアンケート調査結果を土台としたことを見ると、警察首長の問題だけではなく、構造の問題に見える.
このような形態は暴力に対する韓国社会の不感症を赤裸々に見せる.
これにとどまらない.
優秀事例と一緒に発表された誤った捜査には‘龍山虐殺(註:再開発のための強制退去を強行して市民5人が死亡.'09)’は言及さえしなかった.
無理な公権力鎮圧で無実の市民5人と警察官1人が死んだこの惨劇に対する警察の無反応は何を意味するのか.
あちらこちらで行われる労働者・撤去民・学生達に対する弾圧競争を容認する信号でなくて何だろうか.
国家公権力が率先して暴力の種を撒き散らす状況で、労働現場でマルムたちが兇暴になるということではどちらかといえば首尾一貫した連鎖反応かもしれない.
犯罪人を扱うように労働者と学生達に対する中間管理者と教職員の姿がそれほど馴染まなくない理由がここにある.

≫ 慶尚北道 クミのKEC労働者たちが工場の中で‘職場閉鎖撤回’座り込みをする同僚に女性生理用品を渡そうとしているのを用役職員たちが邪魔している.
<ハンギョレ> リュ・ウジョン
マルムたちが見せる最大値, KEC
労働現場弾圧事例は幅広いが, 頭の中を離れずに刻印された事業場がひとつある.
慶尚北道 クミにあるKECという半導体工場だ.
KEC資本はその間‘人材構造調整ロードマップ’を通して深刻な労働弾圧をじわじわ進行してきた.
また、‘管理者処遇改善’という名前で、ストライキ労働者を追い出して生じた金を活用して役員と管理者の年俸を引き上げた.
労働者を踏み潰してマルムを育成するというこの計画、これこそマルムが兇暴になるもう一つの背景であるわけだ.
より一層驚くべき事実は、KEC資本がストライキ参加程度によって労働者に色の異なる服を着せて精神教育をした事実だ(<ハンギョレ>
2011年7月7日に寄稿した‘私は晴れる’参照).
歴史の博物館にでもあるものと思っていたホロコーストが、2012年の大韓民国労働現場で堂々と行われている.
このように労働者に対する低級な認識と生を揺さぶる弾圧が、今でも毒キノコのように音も無しにどんどん広まっている.
東国大学生達は心理治癒後、心の安定をとりもどして、暴力を振り回した教職員たちと相対しても彼らの心臓は安定感ある搏動を維持するだろうか.
暴力の深い傷跡を残した教職員たちは罪責感を感じているのか気になる.
クミ KECで異なる色の服を着せて精神教育をしたその管理者は、今またどんな計画書を作って頭をこき使うのか.
腕章を巻いたマルムにすぎないという事実を本人たちは知っているだろうか.
学生弾圧が存在理由である教職員と、労働者弾圧に情熱を捧げる中間管理者というマルムたちは、今後よく生きていくことができるだろうか.
今後、大学構造調整に拍車を加えるために、よりあくらつな教職員マルムが必要なことだろう.
900万非正規職労働者の問題はよりあくらつなマルムを要求するかもしれない.
整理解雇で10万3千名が路頭に追い出された構造調整の泥沼では、マルムはより切実なのかもしれない.
労働者はいつまで被害者として容赦と理解の役割を担当しなければならないのか.

≫
ストライキが終わった後、会社側は労働者に‘革新学校’Tシャツを着せて精神教育をした.KEC労組提供
やせこけた言葉より強い法的権利
‘させるのは止むを得ないこと’という話は半分はそうかもしれないが、半分は弁解だ.
不当な人権侵害と人間尊厳破壊を知っていながらも‘止むを得ない’という言葉が通用するならば、マルムは消えるより拡大するだけだ.
内部告発者を法的に保護するように, この時代の悲しいマルムたちにも上層部線の指示を拒否する権利が附与されるべきではないか.
‘良心によって行動しなさい’というやせこけた言葉より、法的拒否権を附与するほうが暴力にやつれた現実をはるかに速い速度で改善するはずだ.
不当な公権力を拒否する警察と, 学生弾圧をからだで防ぐ教職員と, 経営陣の不当さに逆らう中間管理者に明らかな拒否権がなければならない.
マルムだと嘲笑を受けて生きていくということは、明らかに悲しくてうら寂しいことだ.
魂が抜けたまま資本の代理人として, 権力の忠犬として生きていくマルムを救う方法を悩む者もまた被害者だという事実がより一層悲しいことだ.
双竜自動車 解雇者
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