2012年1月ハンギョレ21 893号

青少年 アルバイト薦める社会

 [2012.01.09 第893号] [キム・ソンユンの18 世の中]

主に‘相対的貧困’から脱皮しようと不安定労働をする青少年… 労働力搾取などの構造的問題を隠蔽する青少年アルバイト‘保護’キャンペーン

≫ 青少年は総体的危険を甘受して労働をする階層になった.
ソウルで配達アルバイトをする青少年.<ハンギョレ> キム・テヒョン記者

修学能力(註:試験)が終わった.
すこし大げさに言うと, 今の大韓民国は青少年アルバイト天国だ.
ある青少年がオートバイに乗っているとしたら、彼の正体はなにか.
何年か前なら暴走族だと答えたが、今は確証するのは難しい.
アルバイトである可能性があるためだ.
この何年間で‘青少年+オートバイ’の意味するところが変わったのである.
それもそのはず, 統計によれば2000年代中盤以来、青少年アルバイトが急増してきた.
配達アルバイト, 在宅アルバイト, 売り場管理・販売アルバイト, サービス・厨房アルバイト等々.
ティーンエージャーはアルバイトをしなければならない.
何故するのか.

表面的には、携帯用動映像再生機を購入するという意見が一番目につく.
イン講(インターネット講義)を聞こうとするならPMP(註:ポータブルメディアプレイヤー)などが必要なのだが, 父母に手を差し出して要求するは難しいという話だ.
辛い現実だ.
時々、兄や姉の大学登録金を助けるためだとか、父母にプレゼントを買うためだという返答もあるのだが, このくらいなら見上げたものだ.
もちろん, 大多数のアルバイトは消費を主目的とする.
動映像再生機は十中八九ゲームやアニメーション鑑賞に用途変更になるのが常だ.
その他にも、高価格化粧品や電子タバコあるいはノースペースペディングなどを目的として, 同年配間の流行を追う(あるいは先導する)ためにアルバイトを始める場合が多い.
異性の友人にプレゼントしようとアルバイトをする場合も同じだ.
彼らの間で通用する文化的品位を維持して向上しなければならないためだ.

このような動機をおいて‘誇示的消費’云々とするのは間違いだ.
なぜなら、20代とは違い、ティーンエージャーのアルバイトは主に同年配集団内の‘相対的貧困’問題と関連が深いためだ.
大多数の誤解とは違い,‘皆持っているのに、私だけ無い’というとても悲劇的な感情だ.
なので、ここにはある程度の構造的原因も含まれているわけだ.
標準的に賦課される消費水準は順次高まるのだが、これに耐えられるようにするなら、自分の腕でのアルバイトに走らざるをえないことだ.
アルバイト生たちはそのようにして労働現場に投身するようになるのだが, 周知のように労働の現住所は悲劇的なほどだ.

例えば、次の通りだ.

賃金奪取: 60%を超えるアルバイトたちが最低賃金以下の支給を受けて, それさえも貸し倒れになる場合がある.

超過労働: 業務時間外の残務処理は精算も出来ない.

危険労働: 業種によっては大ケガをすることがある.

作業場暴力: モニターカメラ(CCTV)で監視されたり、乱暴な言葉と嫌味を言われる.

淫らな行為: 10代女性はたびたび悪ふざけにあうこともある.

間接雇用: 配達の場合にはアウトソーシング(註:業務委託)もあり、アルバイト生の安寧と福祉は底を打たざるをえない.

あぜんとする有様ではないか.
これまで、不安定労働は、移住民, 高齢者, シングルマザー, 低学歴者, 障害者などの問題としてだけ認識されてきたことが事実だ.
ところが、今はそこに青少年も加えられるべきではないだろうか.
そして、最近、‘青少年アルバイト10戒’とか‘1318 幸福仕事場キャンペーン’のような処方策が出ている.
青少年の劣悪な労動條件を改善しようと、政府と非政府機構(NGO)などが一肌脱いだのである.
ところが、私が本当のこととして提起しようという問題は、このようなキャンペーンが運良く当面の懸案を解決しても、構造的には色々な争点が隠蔽されるという点にある.

最初は搾取の問題だ.
ティーンエージャーの労働力の奪取(Dispossession)を止めようというキャンペーンは、道徳的次元では何も言う必要がないけれど, 結果的には成人の労働力と同じように正常に搾取(Exploitation)しようという意見であるから、疑わしい部分が生まれることになる.
明らかに、私たちの大多数は何故奪取と暴力はいけないが、搾取は諒解を受けることができているかに対して全く考慮を出来ずにいる.

二つ目, 労働学習(Learning to labour)の問題だ.
青少年のアルバイトがお金の大切さを呼び覚ますのに助けに なっているようだが, それは他の観点で見ようとするなら、資本主義精神をいち早く学習することと違わない.
これまた、特に検討を経ることができずにいる.

三つ目, 文化的的思考体系の問題だ.
前述したように、アルバイトの動機が消費生活にあるだけに、構造化された観点が必要だが, 一般的にはこれを労働の問題として限定し接近する.
観点の分節性もやはり看過されるのが現実だ.
どうであれ、現在の10代はアルバイトをしなければならない.
総体的危険性を甘受しながらまでも、という話だ.
だから、わたしたちはより一層極限の事由を試みる必要がある.

文化社会研究所 研究員