2010年4月ハンギョレ21 808号

ギャグのない政権

 [2010.04.30 第808号] [ノーサンキュー!]


≫ ギャグのない政権.イラストレーション/ イ・ガンフン

 
普段楽しんでいた<ギャグコンサート>が放送に乗らなくなってもう1ケ月だ.
<ギャグコンサート>だけがそうではない.
芸能と呼ばれる娯楽番組がぞろぞろ休止している.
理由は、亡くなった将兵たち(註:韓国海軍の哨戒艦が3月下旬、黄海の南北境界線付近で沈没したが、北朝鮮の関与が疑われている)の哀悼のためだという.
悲しいことがおきたから哀悼をするのは当然のことだ.
しかし、果してこのような哀悼が、どれくらい鎮静性を持つのか疑わしいことも率直な心情だ.


芸能番組・ミュージックビデオ規制

哀悼とは、喪失の対象と自身を分離させる心理状態だ.
このような分離が適切になされないなければ問題が発生する.
喪失の悲しみに自身を任せてしまわないための自己保全の欲望が哀悼を推し進める動力だということができる.
こういう理由から、哀悼は極めて‘個人的な行為’だ.
誰かが強制して哀悼するのとは違い、喪失の痛みを耐えられないために哀悼するものだ.
それで、今行われている状況に首をかしげざるをえない.
言論と放送をひっくり返している哀悼の旗が、言葉そのままに哀悼とは関係ない‘旗’のように見えるのは何故だろうか? 哀悼が充分ではないからというより、哀悼が課されているようだ.
悲しみを減らしてくれるのが哀悼の機能ならば, この状況はむしろ、無かった悲しみまで洗いざらい引っ張ってきて‘国民’の肩を重くさせようという形態のように見える.
事情がこれだから、北風論議沸騰が発生せざるをえない.
もちろん、李明博大統領が話すように, 現政権が北風を利用していると見るには難しい.
問題は政府よりもハンナラ党の一部議員と保守言論人のようだ.
“去る政権が10年与えてきたのが魚雷で帰ってきた”というナ・ギョンウォン議員の発言は正確にこのような状況の原因を説明してくれたかの様に見える.
‘失った10年’という陳腐なレパートリーを繰り返すことが自分たちに有利だと判断した結果が、まさにこういう謹厳な雰囲気を作りだした原因である.

<ギャグコンサート>と芸能番組だけが電波に乗られないわけではない.
最近製作したイ・ヒョリのミュージックビデオが‘道路交通法’を違反する内容のために放送不可処分を受けた事実はまたどうなのか.
髪の毛とスカートの長さまで規制した1970年代を連想させる野暮ったい保守主義が韓国社会を強打しているようなのであるが, 確実にこういう個別懸案は看過するに難しい内容を暗示している.

権威主義的体制がコメディを嫌ったことは有名だ.
もちろん、ヒトラーがチャーリー・チャップリンやミッキーマウスを楽しんでいたという事実と、この問題は別個のことだ.
個人の趣向が体制の特性を代弁するわけではないためだ.
したがって、李明博大統領個人が‘北風を利用しない’と考えることと、その体制が北風を呼称するのは他の問題だ.
だから、<ギャグコンサート>や芸能番組が1ケ月の間テレビから姿をくらましたことを李明博大統領のせいだと返すのも滑稽だ.
あらゆる問題を解決できる超越的範ちゅうとして「北朝鮮」を呼び出すことは、誰にも助けを与えない.
包み隠さず言うと、本当に北朝鮮の仕業ならば、状況はより災難に近いではないか.
ベクリョン島といえば最前線なのに, そこで任務を遂行する将兵に救命ベストさえ正しく備わっていなかったという衝撃的な事実は、どんな理由を上げてもそのまま見過ごすには難しい.
保守言論は穴があいた‘国民’の安保意識を慨嘆するのではなく, 旧態依然な自分たちのレパートリーをまず見直すべきではないだろうか.


北風, 保守主義の福音

<ギャグコンサート>が吐き出した珠玉のような風刺が、彼らにとってはそのまま‘低質コメデイ’に見えた理由がこれだ.
始終一貫、自分たちは安保思想が透徹で北朝鮮に対する大敵観が明確なのに ‘国民’はそうでないと信じる、おかしなエリート主義が彼らの主張に孕まれているのだ.
北風を利用しないと李明博大統領がどんなに話しても, 彼らの精神状態がずっとこの水準に留まる限り、現実は反対に動く公算が大きい.
北風は韓国保守主義者たちにとって、福音と同じことであるためだ.
北朝鮮の魚雷は存在しないことによって存在する‘不在原因’のようだ.
<ギャグコンサート>が消えなければならなかった理由がここにある.
彼らが欲望する現実がコメディアンの台詞のように、話も出来ない憶測で構成されているという事実を隠すために、<ギャグコンサート>が禁止されざるをえなかったのだ.
<ギャグコンサート>, 不在しながらも相変らず私たちを笑わせてくれる良い番組だ.


イ・テッカン ギョンヒ大教授・文化批評家