2009年9月ハンギョレ21 778号

“音楽で人権を気軽に易しく”

 [2009.09.18 第778号]

カン・サネと交互に人権コンサートを行うキムC… “直球よりもっと痛快な変化球を探して”

□ アン・スチャン ジョン・ヨンイル


[ハナTV] 天下無敵 キムC,‘人権’を歌う

人権コンサートが開かれる.
‘在野歌手’が登場するステージではない.
‘トゥゴウンカムジャ’と カン・サネが、今後1年間、毎月交互に‘人権 コンサート HUMAN’を開く.
人権連帯とダウム企画が主催して、<ハンギョレ21>が後援する.
9月20日午後5時、ソウル 弘益大前 Vホールで初めてステージが開かれるのだが,‘トゥゴウンカムジャ’が先発を預かった. カン・サネは10月に開く2度目のコンサートを預かる.

‘トゥゴウンカムジャ’のボーカル キムCに、9月9日午後、弘益大前のあるカフェで会った.
‘1泊2日(註:テレビ番組名.キムCはそのMCとして出演)’撮影に気が気でない様子だとだけ知っていた彼が、何故人権を語るのか.

≫ キムC

-‘人権を音楽で語る.’今回のコンサートの主題です.どういう意味ですか.

= 良い生活をするために享受することができる, 享受するべき当然の権利が人権です.
今、このようにお金を払ってお茶を飲むことにどんな妨害も受けない権利も、やはり人権です.
弱者はその権利をよく享受できませんでした.
音楽を通してそのような話をしたいのです.
深刻で重いとは思いません.
私がこのようなコンサートをすれば、(人権も)気軽で易しくなるでしょう.

- 人権弾圧にあったことは.

= 2000年頃, 座席バスに乗って通っていました.
バス運転手が乱暴にまるで曲芸するかのように運転していました. 生命の危険を感じました.
わたしたちは料金を納めて, (安全に乗って行く)権利があります.
バス運転手に抗議したところ、むしろ私を指して、“この人のせいで速く行くことができない”と、乗客に“速く行きたければ、バスから降りろ”と叫びました.
それからこれみよがしにのろく運転しました.
バスの乗客はどっとバスから降りました.
人々が(乱暴運転に)しつけられていたのですね.
私は個人ではなく‘私たち’のための行動として考えたのに, 人々は自身が享受する権利を全く認識できなかったのです.

- 歌手としてデビューする前ですか.

= そうです.
‘ルーサー’(loser)の時には、そのような矛盾に集中するようになります.
ルーサーは時間がすごく多いです.
はじめは、‘私は何故そうなのか’と不満を抱いたのですが, そのようになった理由を外部に探すようになります. そうこうしたあと矛盾を発見して, それを話すのです.
そのようなルーサーによって世の中がかなり変わります.
インターネットで世の中に対する不満も吐き出して…. 忙しい人はそのようにはできません.

- 今ほど有名ではなかった2004年、<ハンギョレ21>インタビューでこのように話しました.
“ミュージシャンは大衆に自身の価値観を伝達することができなければならない.
ミュージシャンや他の芸術家が語る話は波及力が大きい.それで、ミュージシャンははっきりしていなければならない.”
 今でもそのような考えですか.

= 変わることはありません.
自分のメッセージを伝達するミュージシャンならば、自分の主張がなければなりません.
無責任に投げる言葉よりは、良い価値観を話さなければならない.

- 自ら賢いと考えていますか.

= 学問を勉強したことはないので, そのような方面ではっきりしているはずはありません.
しかし、私がある主張をする時, 何故そのような話をするかは知っています.

≫ ‘人権コンサート HUMAN’

- 最近、ある保守論客が狂牛病牛肉に関する映画俳優キム・ミンソン氏の文章を見て“自分の意見を陳述する知的水準ではない”と指摘しました.

= あ, その人はひとりでテーマや状況を作ることができないのですね.
あるテーマを宿主とみなして、そこに寄生して生きているかのようです.
知的水準が低ければ話す権利がないという話をしたことは, とても危険な人です.
ソウル大から出てきた人々だけが世の中に対する発言権があるとでもいうのでしょうか.
とても傲慢な態度です.
いったい、ソウル大とは何でしょう.
単なる大学です.
ソウル大を出たからといって、問題を全てわかっているわけではありません.
その上、キム・ミンソン氏のその表現は、言論とインタビューしたことではなく, 私的空間であるミニホームページに日記のように書かれたことでしょう.
そのような空間で自身の主張を展開できないならば, それこそ権利を奪い取ることです.

- 去る6月21日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領追慕コンサートに参加しました.
そのような行動を政治的にうがってみる目が心配ではありませんでしたか.

= 特にそのような考えはしませんでした.
例えば、ネルソン・マンデラ追慕公演にミュージシャンが参加したとするなら, それはとても光栄なことではないですか.
盧前大統領ではなく、誰しも亡くなった方の最後の行く道に歌を歌うことは、私ができる平凡で小さなことの中のひとつです.
私は‘ポリテイナー’(政治指向が強い芸能人)ではありません. でも、したい話を躊躇したり、あきらめたりはしません.
私の行動を政治的だと歪曲して見られたら、悲しくなるでしょう.
でも、結局はわかることだけが見えるものです.
私の行動を敢えてうがってみるとしても, それはその人だけのこと.
悲しいけれど、どうすればいいのか. 私の意図はそうではないのに….

- そのようなことのために放送出演ができなくなったら.

= 困りますね. それでも、たぶん素敵な音楽は出てくるはずです.
アーティストにとって、貧困は一つの徳性です.

- 以前、放送娯楽番組出演に関して、“(アルバム)広報のために無理にしている”と言いましたね.
今はどうですか.

= おもしろい時間もあることはありますが、 とても苦労しています.
私は人々に笑いをあたえるコードやタイミングを知りません.
ただし、私のそばには本当にたいした専門家たちがいます.
私はそこでは、一種の‘市民代表’としてそのまま立っているのです.
それを編集でよく支えてくれます….
放送活動は否認することができない程の経済的助けになります.
私は4集アルバムまで出したのですが, ただの10ウォンも印税を受けとることができませんでした.
企画社の立場では、私が音楽をしない方が得でしょう. アルバムを出すにはお金が要るから.
しかし、音楽をしないのなら、私にとって他の活動が何の意味があるでしょうか.
音楽だけで裕福に暮らしている人々が本当にうらやましいです.
私は何故音楽だけでやれないか考えましたが, 結局、私たちの音楽が力不足のようだと反省します. かと言って、音楽をやめることはできません.

- ‘トゥゴウンカムジャ’の音楽を聞いてみると、1集では悲痛な愛, 4集では安らかな愛を歌っているようです.(‘トゥゴウンカムジャ’は、2000年に1集, 2003年に2集, 2006年に3集, そして、昨年9月に4集を出した.)

= 私が1集を出した時が30歳でした.
その歌詞は、大部分が20代の時に書きました.
その時は、‘私には時速150kmの直球があるから, どこへでも打ってみろ’ という心情でした.
変化球を投げることを知らず, 投げなければならない理由もなかったのです.
‘ルッキング三振’はそのように格好良く見えました.

- ルッキング三振?

= 打者がまっすぐ立って、球を見送るより、三振をすることです.

- いまは違うのですか.

= もう、私の肩では時速150kmの球を投げることができません.
そして、変化球を投げて空振りさせて、三振させる妙味を知るようになりました.
すこしなごむのがどれくらい良いことなのかは知っています. 軟らかい人になりたい.

≫ キムC

- 監督・俳優・作家など、いろいろな仕事をしてきたが, 変化球さえ投げるできない50代になったらどうなるか.(彼は2004年短編映画<出逢い>を演出し, 2006年<キムCのゴミ箱を空ける>というエッセー集を出し, 2007年、映画<星明りの中へ>に助演として出演, 2008年、釜山国際映画祭出品作<オイシメン>のシナリオ作業をした.)

= 今後の事を大言壮語したくありません.
窪みができるのは良くはありません.
地面に窪みができたら, 雨が降った時にどこに流れるのか明らかになります.
あまりおもしろくありません.
私の人生の窪みを破棄はしませんが.
ただし、私の中の創作機関としては、音楽が最も発達されています.

- 4集に載せた<考え>という歌の歌詞が印象的でした.
どのようにして、あのような歌詞が出てきましたか.

= 姦通罪や国家保安法のようなものは、精神を閉じ込めるものです. 考えを閉じるのは正しくありません.
私が誰かを好む権利を剥奪するのは正しくないでしょう.
私の考えを遮ることがなければ良いですが.
<考え>を聞きながら国家保安法を思い起こす人はいないでしょうけれど.(笑い)

- では, もうすこしより直説的に歌詞を書いたら.

= そのような話法はおもしろくないですよ.
‘トゥゴウンカムジャ’の歌の中にセクシュアリティがたくさん入っていたことも結構あります.
ところが、審議委員たちに識別されないように隠します. そのセクシュアリティ要素を私だけが知っているのです.
そのような歌詞が自然に審議を通過することがおもしろいですね.
一種の戯画, 風刺というか.
直説的なものは誰でもできます. おもしろくないです.

- 同じ企画社所属のジョン・テチュンは80年代, カン・サネは90年代という時代を歌いながらもその‘話法’を別にしました. どのように評価しますか.

= 以前、学校を卒業してマッコリ屋で働いていた時, ジョン・テチュンの歌をいつも聞いていました.
この方はどこに行って作って、こういう歌と歌詞が出てくるのかと考えました.
昨年、テチュン兄が直接歌を歌うのに接しました. なんとも, その響きの塊りが普通でないですよ.
(手をぱっと広げて)こんな塊りがパン, そしてまた.

カン・サネ兄は永く共にいて、影響をたくさん受けました.
彼の歌を見てください. 喜喜楽楽する歌詞は別にありません.内省的で時代的.
その中でも<太極旗>歌詞はスライダーです.
(1996年に発表された<太極旗>の歌詞はこうだ.‘この雨が降るのは止むを得ないが/ 絶対に太雨はまたこなければ….’) 直球ではないけれど、誰が見ても分かる一時的隠喩, それでスライダーです.
例えば、パンク歌手は直説的に表現します. 誰が嫌いで, 誰が××だと歌います.
それは150kmの直球 持った子供がするものです.
ストライクでなく、ボールを投げて打者をスイング三振させるというより痛快な人々の表現法は別にあります.

- 以前“世の中は飴のようなものだ”という発言もしました. いまはそのような考えはしないのですか.

= 何故そんなことを.
例えば、2PMのあの友人のこと.
私的であるインターネット空間に、4年前に書いた文を理由に彼は友人を追放させた格好になりました.
これがそれほどの問題なのでしょうか.
そのままそのような考えを持った人だと眺めればまずいですよ.
その友人はとても幼い. その文を書いた4年前ならば、どれほど幼かったことかくら.
記者さんも考えてみて. その年齢で、何ができますか.
私などは、1〜2年前だけを見ても嘆かわしいです.
今後1年が過ぎれば、今日の私さえ嘆かわしく見えるはずです.
4年前の子供の話に、その程度の寛大さも見せることができないのでしょうか.

- 言論に対する不満もあります.

= (記者の名刺を見て)例を上げると、私が‘スチャンさん’と言ったら記者さんは気分が悪くなりますか? 自身の優越性をあらわそうという人々だけ呼称が付きますね.
アン記者, アンPD, アン検事….
ところが‘アン清掃夫’‘アン警備’という言葉を聞いたことはありますか.
自身の優越性をあらわすために、そのような呼称を自ら作りだしたのですよ.
何故そのようなものをあらわそうとするか気になります.

- それでキムCなのですか(彼の実名はキム・デウォンだ).

= そうです.
世の中で最も平等な名前です.
ただし、キム氏姓を持つ他の人が気分を悪くしないように英語を付けました.

- 尊敬する人や役割モデルがありますか.

= (暫く考える) 難しい問題ですね.
誰かのようになりたいというのならば、白南準(ナムジュン・パイク)おじさん.
七十になっても創作を止めないのは見事です.


彼の最新アルバムである4集に載せた<考え>の歌詞はこうだ.
“触ることができないなら、見るのはいかがです/ 持つことができないのなら、想いを巡らすのはちょっといかがです/ 飛べないということは、私は考えさえしないことですよ/ 勝つことができなくて、勝とうという考えまでしないことはないですよ/ 飛ぶことをあきらめた瞬間、翼をなくすのです/ 終わりがどこかにあるのに、終わりを知らないと開始することすらできませんよ….” この歌を聞いて, 記者は‘1泊2日’のキムCの代わりに‘トゥゴウンカムジャ’のキムCをより好きになった.
彼のより多くの歌を聞く方法は、02-323-3704に問い合わせすればよい.

文 アン・スチャン記者 ahn@hani.co.kr
写真 ジョン・ヨンイル記者 yongil@hani.co.kr