2009年8月ハンギョレ21 775号

思えば、彼をすごく好きだったんだなあ

[2009.08.28 第775号]

思えば、彼をすごく好きだったんだなあ


大統領の死は、わたしの幼い日の強烈な記憶として残っている.
先生と友人皆が大統領が死んだから、これから我が国はどうなるのかと思うと、憂国忠実な気持ちで涙の海になった.
先生が涙を止められないからその日は午前中自習になり, その翌日は全校生が列を作って区役所まで歩いて焼香をしてきた.
生まれた時からただ一名だけの大統領を見てきたわたしの頭の中には、大統領と朴正煕は互いに分離出来なくて‘朴正煕 大統領’として全部入力されていた.
大統領も死ぬことがあり, また、朴正煕でない人も大統領になることができるということを、小学校を卒業する時になって知るようになったのである.

死刑囚が大統領になるその瞬間が感激させた

イラストレーション イ・ガンフン

歳月は流れて、その小学生は学生の父兄になった.
大統領を直接選ぶ権利を保証しろと街頭で叫ぶこともして, 苦労して勝ち取ったその当然の権利を行使するために投票場に行ったこともすでに何回もある.
そのように私たち市民が選択した大統領が既に何人もある.
そのうちの真に大きな感激で就任式を見守ったのは、DJ(註:金大中-キム・デジュンの韓国式略称)が大統領になる時だった.
私は政治家DJをそんなに好きではなかったようだ.

1987年、大統領選挙で候補単一化に対する市民の熱望を無視したまま両金(註:金大中と金泳三)が背を向けて座っていた光景は終始消せない傷として残った.
大統領DJにも語るべき言葉は多かった.
私は、彼がきっぱりと過去を清算して、より遠くへ行くことを願ったが、彼の動向は常時私の考えに及ばなかった.
しかし、私はDJを好きだった.

彼の生の終始、彼に付いてまわった鎖は、どれくらい多かったことか.
解放直後、夢陽 呂運亨 先生の建国準備委員会に参加したことによって‘共産主義者’と罵倒された.
嶺南勢力執権下で‘全羅道出身’として当てられた逼迫も大きい.
国会議員選挙で三回, 大統領選挙でも三回落選した.
続く逆境と失敗の中でも挫折しない魂は当然尊敬を受けなければならない.
彼はその生自体でドラマになる人だ.
緊張が張り詰めた軍事独裁時期に、彼は最前線にいた.
暗殺危機を体験した.
自宅に監禁された.
追われるように海外に出ることもした.
内乱陰謀罪として法廷で死刑宣告も受けた.

DJには葛藤がなかったか? 一歩後退すれば、命を保証することはもちろん、高い地位も与えられて栄光を保障するのというのに, こだわり続ければまもなく死ぬかもしれないというのに, それでも信念を曲げないのは誰にでもできることではない.

彼が大統領になったことも良かった.
死刑囚が大統領になる歴史の反転は、いつでも起きることではなく, 容易になされることとも違う.
彼を大統領の席に送ることができる私達の社会が感激させた.
その社会の市民である私が誇らしかった.
大統領DJの存在は、私達が具体的に夢を見るのを可能にしてくれた.
世の中は変わることができると, 死刑囚が大統領になることができる世の中になにが不可能なのかと, 彼はその生で私たちに報せてくれた.

DJは引続き大韓民国の常識をひっくり返した.
彼は大罪を犯した者は死刑が当然だという常識をひっくり返した.
DJ以前の大韓民国は、死刑制度が存在して実際に死刑が執行される‘人権後進国’として分類されていた.
彼がいたから大韓民国が事実上の死刑廃止国になった.
彼は民主化運動云々する者は皆共産主義者だという常識をひっくり返した.
民主化運動が私達の社会の進歩に寄与したことを認めて、国家が彼らの犠牲を賛える民主化運動補償法, 野蛮な時期に疑問の死にあった人々のための疑問死真相糾明法が作られた.
彼は北朝鮮とは相容れないという常識をひっくり返した.
分断以後、初めて北朝鮮トップと向い合って座って、民族の未来を相談して合意を成し遂げた大統領が、まさにDJだ.
引続き大韓民国常識をひっくり返す
盧武鉉 前大統領の哀痛な死で号泣したDJを思う.
その年齢に, その地位にいる男子が公開的な席で号泣をするとは! その日、わたしは彼にほれた.
その率直で人間的な風貌が彼の力であったことを今は知っている.
そして、もうひとつ、彼がそのように号泣する程、今の世の中が進歩しているように見える姿がでたらめであることも今一度切実に感じる.
思えば、彼をすごく好きだったんだなあ
最後のとげは、道に心を込めた花一輪のものとしたい.
故人の冥福を祈る.

パク・ヒョンヒ ソウル クイル高 社会教師